Magic.03:Page.08
また、嫌な夢を見た。あの日と同じ事を言われる夢。
"人殺し" "あんたなんか要らなかった"
私は何をしたの? 頭が熱い――どうすれば――
夢の中でいさなは頭を抱えながら縮こまったまま、繰り返される言葉にただ怯えていた。
ねぇ、お母さんは何で私を嫌うの? 私は何を犯したの?
そんな問いを繰り返しても、満足出来る答えは何も来ない。
私を要らないと言うなら、いっその事、あのまま殺して欲しかった。私を独り、置いて行かないで――。
――ふ、と意識が浮き上がり、耳に周りの音が入って来ると、此処は現実なのだと覚悟して、瞼をそっと開けた。周りの音と言っても、時計が針を動かす音の外は何も聞こえないが。
時計? 嘘、外で気を失ったのだから此処は外の筈。腕時計はしていないし、一体……。まさか、まさか――……。
いさなは気分の悪さも忘れ、無意識にベッドから駆け出していった。
一方サリアは、ピッチから氷嚢を貰い居間を出ていさなの部屋へと向かっていた。だが、その途中に何かが駆けてくる音がした。そう思ったと同時に真横を風が通る。サリアは驚いて氷嚢を手放し、勢いよく後ろを振り返った。
間違いなく、それは先程まで寝ていた筈の、いさなだった。
勢い良く居間の扉が開けられ、ピッチが驚いて顔を上げると、必死の形相で佇んでいるいさながいた。
「いさなさん!」
ピッチが思わず叫ぶが、いさなにはそんな言葉など耳に入らなかった。入る余裕などなかった。
「嘘……」
小さくそう呟くと、いさなは困惑した表情で、外へ出ようと玄関に走った。まるで何かから逃げているかの様に。
「いさな(さん)!」
サリアとピッチが同時に叫んだ。しかしそれも、いさなは聞き入れなかった。
然程体力も残っていないのに、いさなは泣きそうに、それでも必死に力を込めて家の扉の鍵を下ろした。そしてこれで外に出られると半ば喜んだ所で、油断したのか、急に体がぐらついた。
すかさずサリアがいさなの体を右腕で支え、そしてそんな風になりながらも、いさなが執念く握っていた扉の取っ手を、左手でいさなの上から掴んだ。いさなは苦しみと悔しさに顔を歪め、力無くその場にへたりこんだ。
サリアが静かに問い質す。ピッチは居間の扉を開けたまま、心配そうな顔で立っていた。
「……何処に行く気だ、そんな状態で」
いさなはただ黙っていた。口を開く事すら億劫だった。
その後、いさなは眠る様にして自然と意識を失った。前日から体調不良が続いていたからか、苦悶に満ちた顔色だった。
一方サリアは先程見た事をピッチや明に告げるかどうか決めかねていた。いさなには今ピッチが付いている。序でに言ってしまうのも悪くは無いが、いさなは許さないだろう。
敢えて見なかった事にしようか、それともいさなの反応を放っておいて今の間に言うべきか。
「珍しいですね。何をそんなに考え込んでいるんです?」
頭上からピッチの言葉が降った。
「私は初めてそんな表情を拝見しましたよ」
少なからずこれは嘲笑されている様だ。サリアはその嘲笑に腸が煮えくり返り、厳めしい顔つきで「煩い」と呟いた。
「家臣の反論や嫌味に反応して食ってかかるのは貴方の悪い所です。その癖周りの注意にはまるで答えない」
呟いた筈なのに聞こえていた様だ。しかも結構な言われよう。サリアが先程まで思案していた事は思いの外あっさりと飛んでしまった。その事には本人も気付いておらず。
「聞こえてるならそう言えよ、お前」
反論するが見事にかわされた。
「たまたま、聞こえてしまったのだから不可抗力では?」
寧ろサリアが言葉に詰まり閉口してしまった。情けない事この上無い。ピッチは相変わらずしれっとした態度で氷嚢を入れ替えていた。
全く以て腹立たしい。高々お目付役、しかも若干10歳の家臣に此処まで莫迦にされようとは。
「お前ちったぁ言葉を選んだらどうなんだ。それ位出来るだろうが」
こちらも負けじと言い返した。向こうの上から目線の発言がどうにも飲み込めない。納得行かない。しかしピッチは動じる事無く、入れ替えた氷嚢を持ち言った。
「大丈夫ですよ。間違っても王子である貴方に対して暴言など吐きませんからご安心を」
気味が悪い位のくっきりとした笑顔でピッチは居間を去った。気に食わない、全く以て白々しい笑顔だ。
「……今更だがやっぱりムカつく奴だ、あいつ」
ソファーを牛耳りながら届いていないだろう台詞を最後に残した儘、サリアは世界を遮断した。