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ランプ姿の男が退屈そうに後ろの方へと振り返ると、死角となっていた食卓の奥手にいたいさなの存在に気付いた。いさなはその視線に驚いて、固まっていた身を更に縮こませた。
「おい、此処に女がいるぞ? こいつでいーじゃねーか」
些か投げやりな口調ではあったが、それを聞いて、今まで一人考え込んでいた女がその言葉に驚いて叫んだ。
「え? って事は、此処は人家だったんですか?!」
「今気付いたのか」という突っ込みをする者などこの空間には一人もおらず、たちまち女がいさなのいる方向に向かって歩いて来た。いさなはそれを、尚更にびくびくしながら見つめていた。
女はいさなの目の前まで来ると正座をし、そっと右手を差し出した。
「驚かせてすみません。あの、いきなりの事で申し訳ないですが、あなたにお願いがあるのです」
いさなはびくびくしつつも、不思議と差し出された女の右手に自分の左手を重ねていた。そして、いさなが手を重ねると、それを承諾と判断したのか女はつらつらと話し始めた。
「僭越ながら、私達の方から自己紹介をさせていただきます。私はピッチ。そして後ろにいる(情けないが可愛らしい)ランプ姿の方はサリア王子です。私はこの方のお目付け役として此処に参りました。何故私達がこの様な所にいるかと申しますと――長くなるやも知れませんがお許し下さい」
そして、女はこうなった経緯をいさなにゆっくりと噛み砕くように話し始めた。
「私達の住んでいる所は、此処とは別の世界にある、スカイワードという魔法王国です。そしてさっき私が言った様に、このランプ姿のお方は、その国の王子なのです」
――何だって?
いさなは理解しようと努めたが、実感が沸かず飲み込めない。それでも、辛うじて名前だけは飲み込めたようだが。しかし、そこで女の話は止まらない。
「そしてこの方は、次期国王になる為の修業でこちらに来たのです。その最初の修業の内容が、下界で一人の人間(=主人)の願い事を一つ叶える、と言う物なのです。……が、そこでお願いがあります」
女が勿体振る様に間を空けて言う。いさなは思わずそれにつられて、唾を飲み込む。女の願いとはこんな物だった。
「それは、あなたにこの方の修業の為の主人になって頂きたいのです」
……は……?
いさなは今度こそ訳がわからなくなった。修行? 主人? いきなり何を言い出すんだこの人は。唐突過ぎて頭が追いつかない。頭痛がしそうだ。
そこへ、一人退屈そうにしていたランプ姿の王子とやらが、突拍子もないピッチの説明に解せぬ表情のいさなの元へ、可愛らしく歩いて(本人にそのつもりはない)やってくる。何をされるのかといさなはすかさず警戒し、ピッチはいさなの前から少し下がった。王子らしき人はランプ姿でも流暢に言葉を話し、そのことにもまたいさなは驚いた。
「要はこの俺様の修行に付き合えってこった。ま、こんな姿も何だしちょっと」
そう言って、ランプ姿の王子はいさなに更に近寄り、そして――。
――ちゅっ、ぽんっ。
ほんの一瞬でそれは起こった。ランプ姿の王子がいさなの顔を目掛けてジャンプし、何と、いさなの唇にキスをしたのである。
「?!」
勿論、いきなりされたいさなとそれを後方から見ていた女は驚いて見事に固まった。本人は至って普通だった上、気付けばランプから元の姿に戻っている。いさなは何が何だか訳が分からず、その場に気を失って倒れてしまった。
――これが虹の起こした良い事なのか。それともこれはやはり夢なのだろうか。いさなの耳から二人の声が遠く聞こえた気がした……。
*************
あの衝撃的な出来事から一夜明けた。
目が覚めると、いさなはちゃんと自室のベッドの上にいた。このことからいさなは「あの不思議な事は夢と思って良いのだろう」と、心中で決定を下した。そうと分かると、いさなはのんびりと起きて背伸びをし、一息ついて服を着替え、部屋を後にしてリビングへと向かった。
しかし本当に変な夢だった。未だに名前だけはしっかと覚えている。そうして夢の事をあれこれと思い出しながら、リビングに繋がるドアを開けた。
しかし。誰もいない筈なのに人の気配がする。
あれ、誰かいる……?いや、そんな筈……
ドア口で立ち止まって先程下した決定事項を振り返っていると、何時の間にか他にも誰かいたらしく、後から急に声がかかった。だがそれはいさなには届かず、いさなはドアの隙間からリビングにいる見覚えのあるらしき人を見つめ、ひそかに冷や汗を流していた。
ま、まさかあれは……夢、じゃ……無い?
と、後ろにいた誰かがたまりかねて再度声をかけてくる。
「おい、どうしたんだ、そんな所で突っ立ってんなよ。怪しいぞ」
いさなは振り返り、声の主が誰か確認する。――昨日の背の高い王子と呼ばれてた人だ。もう此処に馴染んでいる様に見えるのは気のせいか。
嘘……。お祖母ちゃん、神様……。これは一体、どういう事なんでしょうか――。
――物語はまだ、始まったばかりである。