Dark.2:Page.1

 太陽の光は雲に隠され、だが二コルとしてはこれが一番落ち着く空模様だった。
 何時も早く目覚めるのはカイトよりも二コルだ。奴隷場ではどんなに遅く寝ても早朝に起きるよう強く言われていたからだが、起きる度、過去の影響は簡単には消えないのだとあいつらに唆されている気分だった。

「朝は冷えるな……」

 まるであの時と同じだ。空模様、あるいは部屋が薄暗いからそう感じられるのか。
 あそこは冷えたコンクリートの壁に囲まれていたので一年中、朝晩は特に冷えた。それを思い出させるには、この静けさと空模様は十分その役割を果たしている。

(逃れて大分日を経た筈なのに……)

 考える度、胸が焦げ付く感じを味わう。忘れたい、ただその一心だというのに。

(今はもう、関係の無い事だ……そうだろう?)

 自問自答し、静かに思考を治める。暗い過去への回顧など、この旅の役には立たない。そもそも今の自分にそんな時間はないのだ。囚われていては、真実に近づく事は出来ない。

 ベッドから立ち上がり衣服を整えると、地図を広げて現在地を確認する。
 今日からは特別山を越えることもなく町から町へと移動出来る。昨日のように体力馬鹿のカイトと無駄な競争をせずに済むだろう。嘆息し未だ夢の中の隣のベッドを一瞥すると、ニコルは重い腰を上げて荷を整える。
 ふと外が騒がしくなった。目を覚ましたカイトの方を向く事なくニコルは窓から町を見渡す。その背後では寝起きのカイトが実に情けなさの漂う表情で迷惑そうにその騒ぎの原因を探している。
 喧騒の中から手がかりになりそうな言葉が聞こえないか、窓を開く。冷風が体を撫で、僅かに身震いしながらも二人は耳を澄ませる。微かにだが、この宿の付近から目当ての会話が聞こえた。

『えらい騒ぎだね。鵠檀の騎士ってのはここいらでも人気なのかい』
『そりゃあね、本拠地の首都からわざわざこんな所まで来るんだから。何しに来るか知らないけど』

 彼らの会話を聞こえたまま一字一句逃さずよくよく脳に染み込ませてみる。順に濾過していくと、最後に一つしこりが残った。

「“コクダンの騎士”? 何だそれは」

 無意識に出されたその疑問に、カイトは呑気に「本拠地って言ってたから、どっかのスポーツ選手じゃねーの」と当てにならない返答をする。
 一瞬納得しかけたが、彼の言う事は信用するに足りないと思うと、消化しきれないもやもやを抱えたままニコルは宿を後にした。

*************

 起床時には僅かにあったはずの光は空になく、既に一面灰色であった。好きではないが不思議と安心するそれに一瞬目をやり、すぐさま視線を活気づく街に移す。
 成程こうして歩くだけでも、そこかしこから“鵠檀の騎士”という単語が嫌になるほど聞こえてくる。耳を塞ぎたいが、そうもいかない。
 ニコルの眉間が段々と狭まる中、一際大きな歓声があがった。不機嫌な目つきで彼がその方向を返り見ると、通りのほぼ中央から端へ移動しながら手を叩く住民たちの姿が映った。

「……お出ましか」

 険しい表情で観察していると人波から繁華街には似つかわしくない集団が現れた。ニコルが“騎士”と名がつく所から想像していたのと彼等の見た目にそれほど相違はなかった。
 周囲には何時しか拍手の渦が広がり、隣のカイトまでもが熱気に圧されてか両手を何度も鳴らしていた。その馬鹿馬鹿しさに呆れ、人の壁を掻い潜ったニコルは騎士達がこちらに進んでくるのも構わず堂々と往来を過ぎゆく。拍手は未だ鳴りやまない。

 一方、彼等の為に開けた道を我が物顔で歩く少年の姿に人々が静かに噂し始めた所で、カイトは隣に旅の相棒の姿がない事に気付いた。即座に前方に塞がる住民達を押し退け、ニコルの後を追いかけた。
 距離はあるもののニコルは依然として進み続けている。これでは騎士達とぶつかってしまう、いやでも彼だってこの場の雰囲気を察して引っ込むだろうなどと、拍手を止めて会話に集中する年配の女性の集まりがそこかしこで出来上がった頃。彼女達が危惧していた事を知ってか知らずか、カイトがニコルにあと僅かという丁度その時、またもや街に歓声が響いた。
 それは彼等が現れた時とは様子が違い、絶え間なく続いていた歓迎の拍手が止むと一瞬にして身が凍るほどの冷たい風が通り抜ける。

 誰もが息を呑んだ。ニコルに追いついたカイトですら、直感からか野生の勘からか、かけようとした声を閉ざしてしまう程に。理路整然と闊歩していた鵠檀の騎士達にもざわめきが走る。
 表情を変えないのは周囲の注目を一身に浴びている二人――ニコルと、騎士達を導く銀髪を靡かせている男だった。

「…………」

 お互い無言で睨みあう。その間も顔色は決して変化しない。
 よく分からないがとにかくこのままではヤバいと感じたカイトがニコルをその場から離れさせようと手を伸ばすが、彼の手が届く前に別の手がニコルの肩を掴んだ。

「おいお前、キサキ様にぶつかっておいて謝罪は無しか!」

 男の左後ろから、沈黙かそれともニコルの態度に耐えかねたのか、騎士の一人であろう若者の怒りを含んだ言動が飛び出し、場面の空気は下降の一途を辿っていく。
 それでもニコルは顔を崩さず、寧ろ不快そうに若者を見遣った。若者がその視線にまた怒りを表すと、帯刀していた剣の柄を掴んで見せつけるように引き抜く。高圧的な、それでいて見下されている感覚に、ニコルの目は鋭い影を生む。
 いよいよ剣先が現れ、周囲からもう駄目だと悲鳴のような叫びが上がる。誰もが少年の死を予感した。それでもまだ彼は厳しい視線で若者を眺めているだけ。
 焦ったカイトが予測した最悪の事態を避けるためニコルの細い右腕を力を込めて把持すると同時、若者が剣を構えて振り下ろす。

 嗚呼、間に合わなかったかと目を塞いで後悔したが、刃がニコルを傷つける事はなく。己に向けられた届かない切っ先を何処か余裕をも感じさせる瞳で一瞥し、次いでそれを止めた物――正確には腕を見、更にその大元である男を睨み据える。

「た、隊長……?」

 制裁を加える筈だった剣は真っ直ぐ伸びた一本の腕に制止され、動揺を隠せない隊員が鵠檀の騎士を率いる男、キサキに困惑を露わにした表情を向ける。だが当人は今の動作に問題はないとぶつかった少年を視線のみで見下ろした。

「隊員が済まなかった。怪我は」
「ない」

 特に謝罪の情を込めずキサキが問うと、ニコルも無愛想に一言だけ返す。そして騎士達とは距離を取り服が触れぬよう端を歩き出すと、振り返る事は二度となかった。
 固唾を呑んで見守っていた人々はどっと詰まった息を吐き、少年の余りにも動じない姿に賛否両論のやり取りがあちこちで行われ。
 その様に苦笑しつつカイトは代わりに騎士達に低頭し、一人で行ってしまう少年の名を呼びながら脱兎の如くその空間を抜け出す。
 その後人々は何事もなく騎士達を歓迎した。


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