王女様と誘拐事件:Page.07
――此処はどこだろう。確か休む前には、城の周囲に広がる木々が目に入っていた筈なのだが。
初めて一人で城の外を歩いた嬉しさのあまり記憶が飛んだ――訳はない。もしや幻覚に惑わされているのだろうか。いや、それも違うだろう。じゃあ、これは夢の中か。
硬く冷たい、床のような感触。真っ暗な視界。そして頭痛。夢の中にしてはリアルな五感の働きよう。息を潜めて、エルナは刺すような痛みが続く頭を押さえて起き上がる。そして、そっと首を回す。
「…………」
やはり暗く、光など欠片も見えない。手で顔を覆ってみるが、違和感は何もなかった。だとしたら、この場所自体が暗いのだ。
一つ身震いをすると、底の見えない黒に僅かな恐怖が起こる。身体を丸めると、それ以上動けなくなった。
此処から出たい。だけど勇気が、出ない。エルナは後悔した。こんな変な事になるなら、城から出なければ良かったのだ。
でも、あのチャンスを逃すともう二度と一人でいけない気がしたのは事実で。だからこそ、引っ込もうとした足を無理に進めた。何よりも好奇心が勝っていたのだ、あの時は。
そこまで思考を進めて、エルナははたと思い出した。木陰での休憩の後、突然映り込んだ骨ばった手と白い布。そして途切れた意識。
「!」
――そうだ、それが原因なんだ。でも、一体誰が? あんな人、お城にいたっけ?
ううむ、と腕を組んで覚えている限りの人間の姿を浮かべる。だがぴたりと一致する人物は見つからず、益々混乱した。
どうやら王宮に出入りする人間の仕業ではないらしい。勝手に外に出たお仕置きにしてはこれはあんまりだ。それに、こんな鉄錆びた臭い、王宮にはない類のもの。
唐突に、何かが彼女の腰を押し上げた。怒りよりも、僅かに起こった探究心からと言った方が良い。誰が自分をこうしたのか、純粋に興味が沸く。
先程の恐怖心や、誘拐されたという現状も知らないまま、エルナは手探りで出口を探り、少しずつ歩を進める。
突然、黒に白が混ざる。暗さに慣れてきたエルナの両眼に強い光が突き刺さり、眩んだ目を庇うように手をやりながら恐る恐る光の原因を見遣る。
「ふん、お目覚めか」
痩せこけた長身の男がこちらを鬱陶しそうに見下ろしていた。あの骨ばった手。まさか、この人が……。不意にあの恐怖心が蘇り、エルナはまた動けなくなった。心音のスピードが速まり、息を殺すのが苦しい。
「眠らせるのも面倒だな……こっちに来い」
高圧的な態度で接する男に、エルナはすっかり委縮していた。言われるがままに近付くと強く両腕を引っ張られ、あっという間に縄で縛られる。
「!」
嫌だ、といった顔で小さく抗議するが、男は意地悪く目を細めただけで更に足首までも縛りつけ、思わずよろめいた彼女を助ける事もせずまた見下すような目を向けた。
酷く生きた心地がしない。生よりも死に近いと、本能がそう叫んだ。だが、成す術がない。戦いて男を見上げても、現状は良くならない。
男が引き返しまた真っ暗になると、力が抜けたのか唐突に涙が込み上げてきた。後悔や不安、絶望、恐怖――それらがない交ぜになり、力なく項垂れる。
何か重い物が転げ落ちたような大きな物音がして、ひっと情けない声を上げた。また落ち込んで、膝を抱えて俯いた。
此処はあの男の家だろうか。さっき出口を求めた時も思ったが、この部屋は足場が狭い。ちょっと歩く度に何かにぶつかる。加えて窓もなく、完全な八方塞り。
「誰か、助けて……」
絶望感に掠れた音は、自身の耳に響いて優しく空中に溶けた。