王女様と誘拐事件:Page.01
走る、走る、王女が走る。
その必死な相好に、道行く者が何事かと振り返る。その中を、彼女は健脚を活かしてすり抜ける。
急いでいた。それはもう今までにない位急いでいた。
何とかして間に合わなければ。場所は分かっている。だからこそ、一刻も早く向かわねばならない。
王女は一人、走り続ける。過去を振り切るように、一心不乱に。
――事の発端は、王宮に突如送られてきた手紙であった。
「誘拐!?」
素っ頓狂な声でエルナが叫ぶ。
「ああ、それも元老の一人の孫娘らしい」
「何だってそんな!」
落ち着かないのか口早に尋ねるエルナを押さえ、ジェラルドは平静のまま述べた。
「しかも身代金を要求している。下手に出ると殺す、とまで書いてあった」
「場所は!」
いよいよ立ち上がり、今にも勇んで窓から飛び降りる勢いのエルナ。長息を漏らしジェラルドが諭そうとしても無駄だった。
「探知した所、此処からそう遠くないらしい。王都の中心から少し北東に行った……」
エルナは既に消えていた。今度こそ、ジェラルドの顔色は変わった。
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それから1時間余。息も絶え絶えになりながら、エルナは街外れまでやって来た。
一応、ジェラルド以外にも居場所を聞き回ったので、一人で来たにしては特に迷う事もなくやって来れた。
「……!」
古くはないが新しいとも言えない木造の小屋が視界を占領する。直感で、エルナは「此処だ」と思った。
まずは離れた位置から小屋を窺う。すると、同じように小屋から外を観察している目があった。仲間がいるのかも知れない。だが、黙って援護を待つ訳にもいかない。
大地を踏みしめ、エルナは神妙な面持ちで小屋に近付く。気取られぬよう、そっと、静かに。
「………………」
少女の様子は見えないが、喚く声がないという事は、眠らされている可能性もある。エルナの表情が益々険しくなった。
一体この馬鹿男(女かも知れない)にはどんなお灸を据えてやろうか。ただでは置かない。絶対に。
入口に立ち、意を決して扉を開く。
「誰だ!」
突然の野太い怒声に肩が少し震えたが、それをすぐに立て直し、声を張り上げる。
「女の子を返しなさい!」
謙ろうかとも考えたが、湧きあがる感情が許さなかった。
実に見下したその態度に、犯人である男が立ち上がる。右手にはナイフが、左手には攫われた少女が抱えられていた。
「金を出せ! そうすりゃ、返してやるよ」
そう言った男の手は小刻みに震えていた。おそらく、今までに子供を誘拐した事はないだろう。
エルナは犯人の要望を無視し、冷眼でつかつかと歩み寄る。男が咄嗟にナイフをこちらに突き付けるが、それでも足を止めない。
「く、来るな!」
すぐに距離は縮まり、男は次第に後ずさりを始めた。
エルナがぴたりと止まると、男は凍りそうな背筋をエルナにばれぬよう壁に押し付ける。少女を抱える力はかなり弱まっていた。
「その子を離しなさい。酷い目に遭いたくなければ」
男の闘志は削がれてしまったのか、存外苦も無く目的は達成された。
一定のリズムで寝息を立てている少女を素早く男から離し、他には見向きもせずその場を出ていこうとした、その途端。
「きゃあっ」
どうやら隙を探っていたらしい。エルナが背を向けたその時を狙い、今度は彼女を人質にした。
不意を喰らったエルナが締められた首を解放しようともがくが、少女の時とは反対に力を込めていく男の腕。その上少女を抱えている為、思うように動けない。
「諦めてたまるか……どうしても金がいるんだ」
「う……くっ」
苦しみと予想外の展開に切歯し、それでも腕の中の少女に被害を注がぬよう気を保つ。
早く何とかしなければ、と焦るものの、考えは纏まらない。暴れようにも、後一歩外に出なければ。