(死際-03)
「おうおう、死体の山がゴロゴロと」
男は高木の枝の上に立ち、眼下に広がる戦場の成れの果てに呆れた声を出した。
「一体誰がやったのかねぇ」
事切れた彼等の状態を見るべく、男は木から飛び降りて噎せ返る臭いに顔をしかめながら進む。
「お、」
忙しなく辺りを観察していると酷く小柄な人物の影が映り、男はさ迷わせていた視線をそちらに向ける。黒ばかりの背景に不似合いな程に目立つ銀色の髪が、その人物の存在を浮き立たせていた。
「……子供?」
思わず上擦った声をあげてから、男ははっとして口を押さえた。それから、今の反応は至って普通だよなと言い聞かせ、落ち着き払って今度は子供に向かって口を開く。
「な、何でこんな所にいるんだ? 危ないだろ」
子供は何も返さず、その代わりにこちらが焦れったくなるほどゆっくりと首を回した。無垢な瞳が男を捉えたかと思うと、次の瞬間。
「消えろ」
出所が分からない動きに男は状況がさっぱり理解出来ず、避けるという理論が浮かんだ直後、子供の放った何かに突き飛ばされる。
「ぐっ……」
頭の何処かで“こんな子供に負けるなんて”と自嘲の念が浮かんだ辺り、まだ余裕はあるらしい。
片手が血溜まりに触れているのを目にすると直感よりも素早いものがその手を動かした。
「げほっ……いきなり、何だよ」
子供は何も返さない。まるで他人と会話することを知らないような態度に、男は困惑するばかりだった。
「お前も私を狙いに来たのか」
言うが早いか、子供は握っていたらしい武器の切っ先を男に突きつける。
「な、んの事だよ」
男は精一杯そう返すしか出来なかったが、しかしそれ以外に言葉を選ぶ必要もなかった。自分は何も知らないのだから。
「……なら良い」
一人納得したように子供は背を向けた。もう男に構う気はないみたいだ。男は反射的に「待て」と言いかけて、子供の姿に異変を感じた。
これだけ赤く染まった場所にいるのに、子供の服や体躯は全く汚れた様子がなかった。先ほどこの場所に来たばかりの男ですら、あの攻撃で見知らぬ人間の血液が付着したというのに。
「一つ聞きたい!」
遠ざかる小さな容姿に焦燥の声音を向けると、子供は当初と同じく勿体ぶってこちらを振り返る。
「これは……お前が、やったのか?」
そうでない事を悲痛なほどに願ったが、子供の答えの前には無意味なものでしかなかった。
「ああ、そうさ」
酷くあっさりとした応答。尋ねた男を些か見下しているようにとれた。何から何まで、少年とも少女ともとれない印象を与えたまま、子供はまた先へと進んだ。
「――……」
もう二度と子供は振り返らず、そして男も何も聞かなかった。
戦場を歩くには頼りない筈の小さな背中を映した後、男は骨が抜けたようにだらりと倒れ、慣れてしまった紅血の匂いに我を忘れそうになった。子供の足音は何時の間にか聞こえなくなり、男は再度自分の周囲を見回した。
信じられないのだ。無力な筈の子供が、何百という大人を相手にした事が。
信じられないのだ。小さな子供が、それらを皆血で染めたという事が。
あの儚げな手足で、一体どうやって成し遂げたのか。あの無垢な瞳で、平然とこの場に立っていられたのか。
そう言えば、「私を狙いに来たのか」と言っていた気がするが、それと何か関係があるのだろうか。――否、ないとおかしいだろう。血に塗れていなかった事も、あの素早い動きも、これだけの人間に狙われる要素なのか。
僅かでも対峙していた己が恐ろしい。そして何もされずに済んだことも恐ろしい。下手をすると、自分もこの血溜まりを作る原因になっていたかも知れない。
子供は何故男を見逃したのか。多勢で子供に挑んだ屍達と答えが違っていたからか。震える手を眼前にやり、何かを感じ取ろうとしてみたが不可能だった。
「何、だよ……」
感情が幾つも綯い交ぜになり、男は涙を落とした。あの銀糸の髪が記憶の中でちらつき、その度に男を揺さぶる。
ふいに、とても虚しい思いに駆られた。
死際-03
(だが目の前に真実は)