(風の踊り子)
ある町の海辺に、小さな紅い花がぽつりと一人佇んでいました。彼女が何時ものように風に揺られていると、何処からか人間の男性がやってきました。
男性は紅い花の近くに座り込み、画材用具を手にして、海辺の景色を描き始めました。
彼女は気付かれないまま、彼が何を描いているのか覗き込もうとしますが、地中に埋まっていては何も出来ません。そうして紅い花の一日は過ぎていきました。
男性は、翌日から毎日のように海辺にやってきては同じような絵を繰り返し描き続けました。美しい空と美しい海を、飽きずに何度も何度も描きました。
絵は少ししか見れませんでしたが、彼女はそれよりも彼の哀しげな瞳が気になりました。哀しげでありながら澄んだ目に、彼女は吸い込まれそうでした。
男性が毎日海辺で絵を描くようになってから数日が経ち、彼女はとうとう男性にその存在に気付いてもらえました。
男性は優しく微笑み、「綺麗だね」と彼女に言いました。彼女はとても嬉しくて、舞い上がりそうでした。
彼女に気付いた男性は、今度は彼女の傍でまた同じ絵を描きました。一つ変化があるとすれば、絵の中に彼女が描かれるようになったことでしょう。
彼女はそれを誇りに思いました。だけど、彼がいつも物寂しそうに空を眺めていることが気がかりであり、不思議でした。
どうしても気になって仕方がない彼女は、いつも揺れている風に自分の花びらを一枚渡し、それに想いを託しました。
『私は貴方が好きです。だから、辛かったら私に話して』
風がびゅうと音を立て、町へと向かっていきました。届くかどうか不安でしたが、後悔はしませんでした。
ですがその翌日から彼は姿を現さなくなりました。彼女は何か理由があるのだと考え、待ち続けます。
そんな彼女の元に、風の噂が入りました。
『あの人は好きな人と結ばれた 絵もやっと売れ始めた』
それを聞き、彼の幸せを喜ぶ気持ちと同時に、叶わない想いを抱えることが辛くなりました。あの花びらは、彼に届いてはいないのでしょう。
――きっと綺麗な人なんだろう、今度はその人と来てくれるのかな。また私の隣で絵を描いてほしいな……。
その知らせが彼女に届いた数日後、男性は久しぶりに海辺へとやってきました。隣にはもちろん、彼の恋人がいます。二人は手を繋いで、それは幸せに笑っていました。
だけどいつも彼を見守っていたあの紅い花はどこにもありませんでした。彼女がいたであろう場所には、枯れた残骸があっただけでした。
彼女が消えたことに悲しみを覚えた彼は、散ってしまった花びらを可能な限り拾い集め、それらを彼女が元いた場所にそっと埋めてあげました。彼の澄んだ瞳には、うっすらと涙が浮かんでいました。
そして彼は記憶を辿り、彼女の生前の真っ赤に咲き誇る姿を描いて、家に飾りました。
数年が経った今でも、その絵は色褪せずに彼の家を彩っているとか。
風の踊り子
(託した想いは変わらない)