(飼われる男)

 一回り大きな黒いパーカーを着込んだ男は、人も疎らなこの時間帯に構内に座り込んでいた。
 ――関わりたくない。私は直感でそう思って、目が合ってしまった事実を全力で押し流そうとした。

「なあ、あんたにこれやるよ」

 無視出来た筈の声に、律儀に振り向いてしまい。直後に後悔が体を駆ける。
 差し出されたのは、穴の空いた真っ黒く薄っぺらいそれから覗く、タッチ式の青い定期券。怪訝な顔付きを惜し気もなく漏らしたまま、白い目で丁重に辞退する。第一、示された範囲が私のものと真逆の方向だ。無意味この上ない。
 初対面だと言うのに旧来の友人よろしく馴れ馴れしい口調が、まだ私を引き留めようとする。

「なあ、貰ってくれよ」

 堪り兼ね、同じくタメ口で投げやりに「貴方はどうするの」と、必要ないのに気遣うように尋ねる。懇切丁寧に変人の相手をする私を、時折じっと見詰める存在など気付かぬ振りをして。

「俺はもう無一文さ」

 朧げに、微かに、小さく、薄い。張りのない言葉には、気楽さなど皆無。いきなりのローテンションに、少しの疑問が湧く。

「無一文ならそんなの持てない筈だけど」
「たった今、さっきからな」

 嗚呼そうと納得しかけ、だがそんな状況でこんな所にいる現状を何とも思わぬ眼下の黒パーカーに、異質さを新たに感じた。同時に、段々真面目にこいつを相手する私の可笑しさも。
 深夜も間近な、都会でも田舎でもないこの駅は予想外に利用者が多い。そういえばこの街はベッドタウンだったとどうでも良い事を実感し、相変わらず私は男に視線を送る。当初よりは、若干白の度合いも減った。

 自分の悲劇だのに、黒い男は他人事。原因など探る気はないが、苛立つ事も抗う様子もない彼に、私はもどかしさを覚えた。

「あんたはこれからどうするの」

 貴方と呼ぶのが煩わしくなった一言に、彼は再び黒々と輝く双眸を見開く。

「どうもしない」

 酷く端的で無感情。一瞬息を失って、ただただ瞳を見つめる。強がっているのか、いや寧ろ、関心がない。素直に憐れみかけた私ははっとさせられ、思い留まる。何故こんなにも冷酷無慈悲な態度を取れるのか。

「こいつなんてどうでも良い魂さ」

 そしてまた不可解な発言。本当に自分が他人であるかのような。
 唐突に、いや積み重なっていた。どうしようもなく不安になって、私は問う。

「誰」

 怖くて疑問符も付けられず、遠く忘れた質問を一つ。それから、そいつは嘲笑して。

「知ってお前に意味はあるのか?」

 頓珍漢な返答に逃げられ、私の言葉は煮え切らぬ心持のまま放置された。どうしてこうも素直ではないのか。

「……家、来なさいよ」

 帰る場所が他にあったとて、今からでは身を寄せられないだろう。勝手な推測より私はそう口にして。同時にそれが、驚いたように見遣る男の名を知る言い訳にもなった。

「物好きだな、あんた」
「煩い、捨てるわよ」

 減らず口を叩く男に毒舌をかますと、気怠げに笑ってそいつは立ち上がった。

飼われる男
(ペットと言うには、余りにも)

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