(死際-07 ID.09000の行方)
始まりは誰だったか、誰が言い出した事だったか。
機械と人間と建物の厳重で頑丈な檻の中、行動や表情一つまでも管理されていた世界。息が詰まると誰かが形容していたが、私にはよく理解出来なかった。
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限りなく自然界に近い素材で人に似せて創られた人造人間。禁忌とも言われているこの極秘計画に伴う数多の実験。それに因って生み出された一つの人型。
軌道に乗り出した難の多い計画に、科学者は政府が捻出した資金を湯水の如く浪費し嬉々として研究を重ね、そうして人型は徐々に量産されていった。
計画始動より1年半が経ち、遂に人型が10体を超えた頃。監視の必要から、名も無き人造の生命体達にIDと称して生まれた順に数字が与えられ、何時しかそれが各生命体個人を指すようになった。
更に生まれた生命の中には、科学者の気紛れで意味の解らない数字を充てられたものもいたが。
それからだろうか。この世界で必要な知識を日々詰め込んでいた私達実験体(実験関係者達は皆そう呼んでいた)は、それまで誰かを呼び掛ける事、まして自分や互いを表す固有名詞すら知る事の出来なかった各々の声を聞き、会話する事を覚えた。初めて他者と言葉を交わした時に体中を廻ったあの衝撃は、今も私の脳が鮮明に記憶している。
でもそれは――互いにコミュニケーションをとるという人間として必然のその進歩は、私達に“感情”という複雑な物を齎した。
生みの親である科学者の緩やかな統制の下、理性と本能のみで生きてきた、それが全てだった私達をより人らしく進化させたのである。ただ感情が引き金となって顔が変化する表情という物は、誰も上手く理解出来ずにいた。
均衡が崩れ始めたのは、私達が喉から声を発し脳で相手の言葉を咀嚼するという習慣を手に入れてからだった。
今生きている人間以上に知識や知恵を会得した私達は、体を適度に動かす運動という行為へと研究段階を移す事になり、増築したらしい新しい施設で子供の遊びから流行りのスポーツまでを一通り学んだ。
次第に体力も豊かになり、驚くべき事に顔の筋肉を動かして表情を自然に零すようになった。個人差はあるもののまるで無邪気な子供と評され、その感想を聞いた私達は誰からともなく喜びを感じ頬を緩ませた。
その時である。後方から轟音が響き、何事かと振り返った私の目に飛び込んできたのは、建物の基礎である鉄筋ごと崩れ落ちるコンクリートの壁。次いでその近くに毅然と立っていたのは仲間の一人、ID.02000。
程なく辺りは騒がしくなり、壁を崩壊した原因であろうID.02000は焦った表情の研究員達に囲まれ、そのまま何処かに連れていかれた。その体に損傷はまるで無く、科学者が神妙な面持ちで何か呟いたが、他の研究員にこの部屋から一人残らず出て行けと命じられた為に詳細は聞き逃した。
この破壊事件が発端なのかは知らないが、ただ一つはっきりした変化がある。監視カメラや指紋認証システム、そして鋼鉄の壁に囲まれた堅固な部屋。施設に次々と設置された目新しい機器の数々。それは、私達人造生命体に対する研究者達の態度が険しくなった事を如実に示していた。
尤もその理由を私達は推測すらせず、気に留める事もなく。彼等に言われるがまま、運動実験を繰り返していた。
それまで一日数時間は与えられていた自由時間も事件を境にめっきりなくなり、四六時中一挙一動を抑制されるようになった私達の十分に育った感情――“心”は、次第に纏わり付くような疲弊感を味わうまでになった。
運動に因って起こる肉体疲労よりも、その中身――私達を人たらしめている精神に徐々に蓄積される倦怠はとても苦しく、次第に私達は当初の如く口を開かなくなる。無言の空気の重さがまた心を悪い方へと蝕み、ただ静かに見えぬ何かに気を遣うようにそっと呼吸を零すだけ。
他の実験体の中には時折息苦しそうに顔を顰める者もいたが、私にはそれが不思議だった。濁った空間に対して感情を割いてはいないし、そうしようとも思わない。此処に有るのはただただ虚無のみ。
そんなゆらゆらした日々を過ごして幾許か経った頃。誰かが安穏と漂う霧中を破り掻き消した。薄暗く15人(※)が暮らすには少々手狭な部屋に、四方から覗く監視カメラ。
幸いにして声は記録出来ない上、防音壁も施されている。だから研究員や科学者がその場面を見ていたとしても、ばれる確率はゼロに等しい。
発したのはID.01000で、実験体の中でも初期に生まれた生命だった。彼は――男性型だったのでこう呼称しておく――ただ一言、『事を起こそう』と誘いかけるように告げた。
それが全ての始まりで、私が今こうして施設から逃げ出し追っ手を掻い潜り続けなければならない切欠でもある。
研究員達が何故あれから私達人造人間を危険視し或いは恐れていたのかは、この反乱を起こした事で判明した。
私達は確かに見た目こそオリジナルの人間と同等だが、その肉体的な力は彼等と天と地程に差があったのだ。
それを理解したのが暗闇の広い森の中、数千の軍隊を一人で相手にした時。向かってきた人間の余りの脆弱さと軽さに驚き、気が付けばそれらは皆死体となり動かなくなっていた。
人と言うのは本来こんなにも儚く非力なものなのか。容易く折れる腕、容易く折れる足、容易く折れる首。そして動きの鈍さ。相反する、傷一つ付かず返り血すら浴びない私の体。
何が異常で、何が正常なのか。山と積まれた亡骸に、何を思えば良いのか。解らないままに私は彼等を滅ぼした。何一つ感情の起こらないまま物言わぬそれを見つめ、立ち尽くした。
そこにふと他の気配がし、治まった私の闘争心がまた目覚めた。体は少しも疲れていない。
「……子供?」
その予想外の一言に、僅かに不満が湧いた。
実験体の中でも私は飛び抜けて身長が低く、小学生のそれに値するとまで言われた事がある。施設で散々言われた文句に最早怒りも沸かないが、言われて嬉しいとも思わない。
唯一身体的特徴として褒められた事があるのはこの銀髪くらいなものである。
「な、何でこんな所にいるんだ? 危ないだろ」
更に声をかけてくる辺り、向こうはまだ引かないらしい。私はゆっくりと顔を振り向け、瞬時に突っ立っていた男を蹴飛ばした。
「消えろ」
「ぐっ……」
いともあっさりと男は空に浮き、数メートル後方に飛ばされる。びしゃりと血溜まりが撥ね、腹を押さえて男は呻いた。
「げほっ……いきなり、何、だよ」
足元に落ちていた兵士のものであろう血塗れの長剣を拾い上げ、男に近付く。いきなり何だとこいつは言うが、それはそっくりこいつに返してやりたい。
だが此処に留まる理由はないし、もっと遠くへと進まねばならない。無害だと判断したら、すぐに離れよう。そう決めて。
「お前も私を狙いに来たのか」
ただ一言、私は男に尋ねる。差し向けた切っ先に、返答によっては迷いなくこいつを殺すと誓って。
「な、んの、事だよ」
「……なら良い」
男の答えはNOだった。つまり私にとって何の害もない、その程度の人間と証明されたのだ。
すぐさま武器を投げ捨てその場を離れる。真っ直ぐに、向かう先だけを見て。
「一つ聞きたい!」
まだ何か用があるのか。見逃した奪う価値もない命の持ち主は焦燥の声音で以て私に叫ぶ。
「これは……お前が、やったのか?」
今度は逆に男から尋ねられた。“これ”とは、周囲に転がる兵士達の事か。
「嗚呼、そうさ」
あっさりと、軽やかに。だからどうしたと言わんばかりの低音で、ただそれだけを返した。
わざわざ足を止め振り返ったのを止めて、私はまた歩き出す。今度何を聞かれても、もう反応しないと決めて。
そして私は歩き続ける。彼の計画の為に。散らばった仲間と、また逢う為に。何者の邪魔をも許さず、只管に。
死際-06 ID.09000の行方
(苦しくてつまらない籠の中は、もう疲れた)
※研究員達は一体二体と数えているが私達は人形のような無機物ではない=人造人間だがオリジナルの人間と大差ない存在だと認識→仲間を一人二人と数えている