(馬鹿と天才の接点)
「全く、落ちこぼれって奴は、思考まで落ちぶれてんのね」
僕はその言葉にドキッとした。意識してはいなかったけれど、心の何処かで自分もそう思っていたらしい。少しショックだ。
僕は慌てて捻くれた言葉を返す。
「煩いな。君に僕の何が解るのさ」
「じゃあ、あんたに私の何が解るのよ」
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僕はこの学園で落ちこぼれていた。それは誰の目にも明らかな程で、否定しようがない。間違いなく学園一の落ちこぼれである。
対して僕が対峙している彼女は学園一の天才と呼ばれていて、特に魔術に関しては彼女に並ぶ者はおらず、教師よりもレベルが高いと言われている。
二人は同じクラスの一員であり、席替えで隣になってから、何かとよく話すようになった。とは言え中身は、今日は良い天気だねとか、当たり障りのない平凡な話題ばかりだけど。それでも彼女と話すのは少なからず刺激になったし、楽しいと感じていたのは事実だった。
だがこの日は全てのタイミングが悪かった(主に僕にとってで、彼女がどうだったかは知らない)。
先日行われた、基礎科目プラス魔術に関する知識を問うテストの結果が一気に返却され、一つ、また一つと増えていく赤点に、僕は毎度の如く打ちのめされていたのだ。
それを横で眺めていた彼女が、面白がっているのか僕をからかうように凄いわね、と言うから、僕は嫌になって何も返さなかった。彼女の結果など聞かずとも分かっている。それによって更に凹むのを避けたかったから。
だけど彼女は諦めが悪いというか、そこで口を閉じなかった。丸の少ない解答用紙をひったくって、分かり切った間違いをご丁寧に解説まで付けて指摘するのだ。僕はうんざりして、返してよ、と手を伸ばした。
「嫌よ。もう少し見させて」
「そんなもの見たって価値ないよ。いい加減にして」
「そんな事ないわ。面白いじゃない」
面白い? ふざけている。天才は得てして変わり者が多いって聞くけど、彼女にもそんな部分があったのか。僕は正に今、彼女の笑い物になっているのだ。隠れた場所じゃなく、目の前で。
次第に僕は苛々と自己嫌悪のせめぎ合いが酷くなり、気分が悪くなった。才色兼備ともてはやされる彼女に僕の汚点が露にされている様を見ていられなくなった。最悪だ。人生で一番最悪な日だ。
自分で自分を追い詰めている僕の事など無視して、彼女は全てに目を通していく。ああ嫌だ。嫌だ。お願いだから。止めて、何も見ないで。
「もう良いだろう。返して」
たまるフラストレーションをどうにかこうにか抑えて、結果手を震わせながらも彼女に搾り取るように言った。僕は必死だった。心の砦を無理矢理こじ開けられたような気がして、焦っていた。なのに、彼女ときたら。
「全く、落ちこぼれって奴は、思考まで落ちぶれてんのね。たかがテストの答案用紙を見られた位で、何でそんなに哀れな顔をするの」
哀れな顔。彼女は切れ長の目でそう言った。その言葉と表情と、そして彼女に同調する自分の中にあった理性にドキリとした。尤もな台詞を、僕も自分に吐いていたのだ。嗚呼、何たる皮肉。体中を巡っていた嘲りが、彼女によって明らかにされるなんて。
「煩いな。君に僕の何が解るのさ」
「じゃあ、あんたに私の何が解るのよ」
僕は既に負けていた。口でも彼女には勝てない。そう悟ってはいたけど、でも彼女も酷い。僕の許可なしに、プライバシーを侵害したのだから。落ちこぼれにも自分を守る権利がある事なんて、彼女にとっても常識だと思っていたのに。
彼女は天才だから知らないのだ。きっと分かり得ないのだ。僕が彼女の完璧な答案を知っているのとは訳が違う。
僕がどんなに愚かで、馬鹿な生き物か。それによってどれだけの自己嫌悪と諦めを抱いているか。彼女に理解出来る筈がない。彼女は学園一の天才なのだ。
だけど、僕だって彼女の事は何も知らない。住んでいる所とか、好きなものとか、何にも。そんなやりとりを進んでしなかった。だから、彼女が言い返した言葉もまた正論だった。結局お互いの事を話してこなかったのだ。裏にそんな思いが込められているのだろうと、僕は勝手に解釈した。
「何で僕がショックを受けてるって判ったの。知ってて見たの」
「さぁね。でも、興味があったのは本当よ」
僕は怒る気をなくし、諦めて話題を変えた。とはいっても、先の話からちっとも離れていないどころかただの続き。それでも構わなかった。体のいい話の種など生憎僕は持ち合わせていないし、あっても出しはしないだろう。億劫なのだ。自分から話を振る事も、相手に話を振られるのも。
だから興味があったという彼女の一言に僕は大きく驚いて、それから意味不明だと顔で訴えた。一見の価値もないただの紙切れに、何を求めていたのか。果たしてそこに興味をそそられるものでも映ったのか。
確かに馬鹿と天才は紙一重と言うけれど、視点によっては彼女の理由も至極尤もなものなのだろうか。いや、そうは思えない。天才の変わった性質と言うのは一般人には理解し難い事として取られる筈である。
一連の彼女の行動だってそうだ。僕からしてみれば余りに下らない事。
「あんたがどんな人間なのか、知りたかったの。でもあんたは何も言わない。だから、せめてその一端を掴んでみたいと思ったのよ」
僕は絶句した。予想外の答えに文字通り黙り込み、頭をフル回転させ何を返すべきか、良い言葉はないか、あらゆる所を探れるだけ探った。でも空っぽだった。正確には、閃かなかった。
嗚呼、これでまた一つ自分を嫌いになった。気の利いた言葉すら咄嗟に出ないこの安っぽい口と脳味噌がとても恨めしい。彼女は答案の何を以て僕を知ろうとしたのだろう。
「で、何か言う事は?」
全てを見透かしたような切れ長の目がより細くなって僕を責め立てる。僕は眩暈がした。視界がぐらりと歪んで、逸る心臓が呼吸を荒くさせてくる。嗚呼、どうしよう。頭が真っ白だ。
途端に悲しみが溢れてきて、そこでふと気になった。彼女の言葉を何度も反芻して、僕は一つの質問を練った。
「それは……どういう意味?」
僕の答案を見た理由は余りにもあっさりとしていて単純だった。だけど、そんな事でわざわざ答案をひったくったりするだろうか。そんなに僕の事を知りたいなら、天才なんだから他に幾らでも方法を捻り出せるだろうに。落ちこぼれにはひっくり返っても理解出来ない。
「前に、気になる人がいるって言ったでしょ? つまりは、そういう事よ」
「え……、え?」
僕の思考はまたストップした。別にこれは僕のオツムの出来が非常に悪いとか、そういったものが起因してる訳ではないと思う。
今日に限って彼女は何時も唐突で、狭いスペックを駆使しても結論が出そうにない。そういう事って、つまりは一体どういう事なんだろう。抑々気になる人云々の話など何時したと言うのか。記憶が薄い。
目を白黒させる僕の顔をまじまじと見つめて、彼女は盛大に溜息をついた。
「はぁ……あんたって鈍感ね。呆れるわ」
「う、そんなの今更だよ。はっきり言って、一体何?」
別に他人の感情に疎いと言ったって、僕にそれがない訳じゃない。それならさっき焦ったりしていたのだって、嘘になる。
はっきり言ってくれれば済む話だよと突き返すと、何時も歯切れのよい彼女が押し黙ってしまった。その様子に、僕は益々困惑する。
「あー……あんたの鈍さには負けるわ」
「何か良くない事?」
まるで僕が悪いとでも言われたみたいに思えて、表情は暗くなった。落ち込む僕などお構いなしに、彼女は顎に手を添えて唸りながらぶつぶつと何か呟いている。
天才である彼女にも、悩む事はあるらしい。意外な一面が垣間見えて、僕は少しだけ勝ち誇ったような気分になった。何を尋ねられても、どんな問題が出されても言葉が途切れる事のない彼女が、答えに窮している。
やがて決心したらしい彼女は一瞬目を伏せた後、勿体振って言った。心なしか耳が赤い。
「その……つまりは、あんたが好きって事よ」
皆帰ってしまった、たった二人しかいない広い空間に、彼女にしては小さなその声は僕の耳によく透き通った。
これは夢だ。きっとそうだ。こんな後味の複雑な展開など、現実じゃない。僕の心が拒否反応を示すように咄嗟にそう祈った。試しに頬を抓ってみたら、結構痛くてびっくりした。ああ、これは夢じゃないんだ、と。
何て事だ。ただのクラスメイトという印象しかない筈なのに、彼女は僕を好きだと言った。たったそれだけで、僕の中からそれが友情から来るものだとかいう判断は消失していた。何故、何時から、どうして。
「まあ、細かい事は後で話すわ。だから、今日一緒に帰らない?」
「え、うん、良いけど……」
僕は初めて彼女の誘いを受けた。そう言えば誰かと一緒に帰るのも初めてだ。そう意識すると共に胸が高鳴った。緊張しているのが、嫌という程分かる。
「ねえ、手出して」
そそくさと帰る用意を整えて一足先に教室を出て行こうとする僕に、彼女が更に誘いかけた。それが何の意図を含んでいるか深く考えずに上げた手が、彼女と交わる。
「!? こ、これっ」
「気にしない! ほら行こ!」
「ちょ、ちょっと!」
照れ隠しだろうか、彼女は早足で僕を引っ張っていく。表情は良く見えないけれど、でもきっと彼女は顔が赤い。他人事のように笑おうとして僕も少し恥ずかしいと感じている事に気付き、誰の視線も感じないように下を向いた。
だけど不思議と街に出てしまうと羞恥心は埋もれてしまい、それが何故だか嬉しくて、僕は笑った。それは自嘲からではない。単純に自分が幸せだと、そう思ったからである。そして彼女もそうであると、切に願って。
馬鹿と天才の接点
(かけ離れたものほど似ているという真実、そして惹かれるという事実)