門出。 旅立つ日。新しい生活を始める日。今日は先輩にとってのそれだった。住み慣れた場所をはなれ、あたらしい場所へ世界へ旅立つ日。門出の、日。 「ねえ、大地くん」 桜の下。かすむ桜のピンク色。満面の先輩の笑顔。どこにも無い手の行き場。青い空。憎いくらいに、それはその日にぴったりだった。こんなにもやわらかな緑の風に抱かれているというのに。こんなにもさわやかな気温のなかに立っているというのに。俺の心と言ったらすさんでいる。門出。この日に一番ぴったりじゃないのは、俺なのかも知れない。 先輩の、短くない長めのスカートが好きだった。先輩の、少し不格好なリボン結びが好きだった。先輩の、 ―――ああ、きりが無いな。 苦笑すれば、「大地くんってば」と先輩が俺の名前をもう一度急かすように呼んだ。返事をしなかったら、もっと呼んでくれるだろうか。そんなゆがんだことをおもいながら「何ですか」と言葉を返す。 「祝ってよ、先輩の就職。見事、来月から働くことが出来るんだから!しかも、トーキョーだよ?トーキョー。信じられる、わたしがトーキョー」 くすくす、とわらう薄紅色の唇が震える。くるくる、とふざけるように先輩が回って、スカートが広がる。それはめくれることのないまま、すぽんとブランコの間に収まった。東京、ときちんとした明確な言葉じゃ無くて、どこか未知の世界を言っているようなトーキョーという言い方。それもいつか。いや、いつかじゃない。すぐに東京という厳密な言い方に変わってしまうんだろう。宮城、という言葉が反対にきっと「ミヤギ」になってしまう。自分が住んでいる場所以外のどこかは、どこか現実味の無い言葉として響く。俺がいくらトウキョウと、東京に似せていったとしても。もう、先輩と同じ言い方は出来ない。きらきらと光る、未来と希望に満ちた瞳が胸に刺さる。 「仕事初日に道に迷って遅刻してクビになる、なんて洒落にならないのでやめてくださいね」 「いやだなあ、大地くんてば!不吉なこと言わないでよ!」 わざと意地悪な言葉を吐けば、先輩が「大地くん予言能力とか持ってないよねやめてよ…」とすこし泣きそうな顔をする。むしろそうなってくれたらいいのに。そうなって、ずっとトーキョーって言ってくれれば良い。宮城といってくれればいい。ミヤギじゃなくて、東京じゃ無くて。そうしてくれたらいいのに。俺と、同じ世界を見て欲しい。ずっと。 「つらくなったら、宮城にさっさとかえってきてください」 「いやだなあ、大地くんてば!相変わらず優しいね」 先輩。俺、やさしくなんかないんです。やさしくなんかなくて、本当はずるいことばっかかんがえてるんです。先輩にさっさと帰ってきて欲しいのは俺なんです。先輩がいないとつらいから、帰ってきて欲しいのは、俺なんです。 先輩はでもね、とキコキコブランコをゆするのをやめて此方を向く。わたし、負けないよ。そう、はっきりとした声色で告げる。トーキョーと言った同じ口とは思えないはっきりさで。負けないよ。絶対。そう言ってみせる。 「こんなチャンス、二度と無いんだから逃さない。絶対、負けないよ」 先輩が笑う。何よりも鮮やかな表情で。ぐらり、と心臓がゆれる。くらり、と脳味噌が揺れる。ああだめだ。俺は、この人を引き留めることも応援することも、できない。なんて弱いんだろう。頑張ってくださいも、負けないでくださいも、行かないでくださいも。なにもいうことなど、できないのだ。ただ。 「大地くん、いままでありがとう」 さよなら。 そう言って手を振る先輩に、手を振り返すことしか。 「さよなら」 その四文字を言うことしか、できない。自分が、誰よりも傷つかないために。自分が、誰よりも傷つくために。ずるい。俺は、ずるい。そして、最後まで俺の心臓をはなそうとしない先輩も、ずるい。 「さよなら」 桜の下。かすむ桜のピンク色。満面の先輩の笑顔。どこにも無い手の行き場。青い空。憎いくらいに、それはその日にぴったりだった。 先輩の、短くない長めのスカートが好きだった。先輩の、少し不格好なリボン結びが好きだった。先輩の、強そうで弱いところが好きだった。先輩の、子どもっぽいところが好きだった。先輩の、方向音痴なところが、たまらなく――― ああ、きりが無いな。 苦笑する。 もしも願いが叶うなら。先輩の居ない春が、これ以上俺の心の隙間に入り込まないよう。そんなことをきっと、春は許さないのだろうけれど。どこまでも世界は、俺に優しくない。手を振る先輩を追いかけることが出来ずに。春の香りを追い出すことが出来ずに。ただ、ブランコに座ったまま。遠ざかる世界にさよならをした。 あなたのいない春が待つ 2012/12/23 執筆 Hypnosさまに提出 |