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▼2012/12/11 ( Dec ) 04:22
(2012.12.10 22:25)
椿姫さん
こんにちは、椿姫さん。蒼です。
椿姫さんはそばアレルギーなのですね…!そばアレルギーは大変ですね…、わたしは動物アレルギーです。動物園とか地獄です。今はだいぶ良くなっていますが。
そうですね。わたしが書く子たちは「感情を素直に出せる」子たちが多いように思います。わたしは正直根っこの部分はひたすら隠す人間なので、喜怒哀楽が激しいようで実はものすごく冷めてます。物事を物事としてしか受け入れることが出来ないのでそこに感情を混ぜ込むのがいささか難しい。小説の中とかテレビの中とか。そういう「第三者」の目で自分をみている「わたし」が居る、ってかんじです。自分に怒っている物事に対する現実味が薄い。
泣きたいほどに悲しいけど、泣きたくない、ですか。椿姫さんはお強い方なんですね。自分に厳しい方だなあと文面を見ていておもいます。わたしは泣きたいほどに悲しいけれどそれを「物事」としてしか処理できないから「泣けない」タイプだと思います。泣きたいけど「泣けない」ってことが多いですね。
「がんばれ」も言い方によっては力になるんですけれど、いわゆるテレビでニュースや震災特集でいわれている「がんばれ」はそこに自分たちが入っていないから言える言葉だなってどうしてもおもってしまいますね。「そばにいるよ」はわたし的には嬉しい言葉ですけれど、やっぱりとらえ方って難しいですね。
「復興する気ない」、ですか。おお…、厳しいお言葉ですね汗
人のとらえかたって人それぞれで、難しいなって思います。「がんばれ」の言葉も、実際現地で頑張っている人間が口にする「がんばろう」と、他の県や被害を受けていない人間が口にする「がんばろう」はやっぱニュアンスも心への響き方も違ってくると思います。きっとその「がんばっぺ」という言葉を現地の人が口にしたら「復興するっていう強い意志」ってとらえられるだろうし、他の政治家や現地と関係ない人間が言えば「なにがわかるの?」ってなってしまうんだろうなっておもいます。現地で葛藤して頑張っている人からすれば無責任に聞こえてしまうかもしれない。その気持ちはわかります。
簡単に復興って口にするなよ。復興って、実際がんばってんのは貴方たちじゃないでしょってわたしも政治家や専門家が「復興」という言葉を口にするたびに当時は思っていました。いまでもたまに、思います。でもそうやって「わたしたちの気持ちは貴方にはわからない」方式で生きるのは息苦しいし、大変だと思います。他者を混ぜ込まない生き方は難しい。だから、少しずつわたしも受け入れていかなきゃなとおもいます。あくまでわたしの考えですので、気を悪くしたらすみません。

「友達や知人の~」ということは、とありましたがすみませんわたしレスにそう書いていたでしょうか…?書いていなかった気がしたので…!
わたしは岩手の内陸に住んでいますので、被害はほとんどありませんでした。卒業式の練習(当時わたしは中3でした)を終えて電車で家に帰る時。震災に遭いました。
ぐらぐらと飛んでいくんじゃ無いかっていうぐらいはげしく電光掲示板や時計がゆれて、古い駅のホームの屋根がすさまじい音を立てて。電車の中に乗った方が安全かホームに居た方が良いのか迷ってうろちょろしているうちに、広場に集まってくださいという放送。
それにしたがって広場に行けば、さっきまで一緒に居た友人たちが居て。一緒に広場で様子をうかがうことにしました。混乱の叫び声や小さい子、お年寄りの戸惑う表情。みんなが一斉に携帯で親戚や家族に連絡を取ろうとしていました。でも、つながらない。
混沌の中でただしいのかわからない「地下で煙が上がった」という情報。宮城の方はひどいらしい。などなど情報がごちゃごちゃになって、宮城に親戚の居る友人は震えていました。
その日はとってもさむく、雪が降っていて。駅で働く食べ物やさん(パンやなど)のおねえさんたちは半袖で、みんなで毛布をわけあったりしていました。わたしたちはジャージに着替えて毛布を断って、これからどうやって帰るか考えていました。
停電で信号はついていないし、バスで帰るのも困難。わたしの家は駅から歩いて最低三時間以上はかかる場所にある。その時携帯は持っていなかったので連絡手段が無く、わたしは歩いて帰ろうと思っていました。けれど、友達が「一人になったら駄目だよ、こういうとき一人になっちゃ行けない」といってわたしを止めたので、何人かにグループで分かれて帰ることに。
一緒になった友人の家で電話を借りて、家に連絡。途中まで歩いて、待ち合わせをして帰りました。
最初におはなししたように、わたしの家は内陸にあります。川が氾濫しても被害を受けない場所に合ったし、家も建てたばかりで耐震も良く、家が一番安心な状況でした。ただ一つ大変だったのは、わたしの家はオール電化で電気が入るまでなにも調理が出来なかったこと。ちいさいガスコンロはありましたが、ガスボンベがないのでお湯をわかすことしかできない。レトルトやカップ麺を食べる日々でした。特に不自由なく、でも不安なまま毎日を過ごしました。車に行ってはラジオで大船渡や沿岸地区、宮城などほかの県の情報を聞いていました。わたしの親友は大船渡に住んでいます。彼女は無事でしたが、彼女の家ぎりぎりまで津波が来ていました。夏に遊びに行ったとき、津波のあとがくっきり残っていました。

ストーリー上や表現技法ですか…
わたしはあまり堅苦しく考えず「書きたいものを書く」精神で書いています。こういう風なストーリーで、こういうふうな展開で、こういう風な終わり方にしたいっていうのをはじめからかんがえて長編は書いているのであんまり深く考えていないです。こうしたい軸にそってプロットとかはしっかりたてていれたいシーンも書き出しておきますが、だいたい筆任せというかキャラ任せです。表現も、自分の感性とあとはキャラたちに任せているのであんまり…今考えてみるとわたしかなり適当だな…笑 一話一話にがっちりああ何を入れなきゃ〜とかああここはこうしなきゃ〜みたいなのは全く考えてないですね… 軸は考えた。あとは任せたぞお前達方式です。
伏線の回収と少しミステリーちっくなものを取り入れたり「ああやっぱりな」っていうストーリーでは無く「えっこうなっちゃうの??」ってなるような謎かけは意識して入れているつもり(つもり)です。伏線をはっておいて、あっここの言葉の意味はこうだったんだねっていうのをわたし自身再確認しつつお話には入れています。
小説創作は常に全力を注いでます、という椿姫さんの言葉にすごいなあ…とおもいました。全力じゃないわけではないですが、わたしは「書きたいものを書いていこう。それで形になったらいいね」っていうゆるゆるスタンスなので自分に厳しく創作活動をしているかたは尊敬します。
前、尊敬する作家さんに「○○さんのようなおはなしを書きたいです!」とメッセージを送ったときに「あまり堅苦しく考えず、蒼さんの好きなものを蒼さんの言葉で書いていけばいいですよ。誰々のようにではなく、蒼さんの物語を紡いでいってください」といわれてから、少しずつこのスタンスになっていった気がします。前はあんなふうに書きたい!こんな風に書きたい!少しでも立派な文章をっておもっていて、自分の考えや自分の中での想像より「形」にこだわる文章だったんです。やっぱり綺麗な文章にあこがれるし、素敵な表現をつかってみたい。でもそれ以上に「わたしらしい文章」じゃなくちゃなって最近は思っています。すみませんなんか目標のようなことを語っていて…
わたしはボウフラのようにあっちいったりこっちいったり、形を追求しては気持ちばかりの文になったり不安定なので、自分のスタンスをきっちりとらえたうえで、文章作りにとってもこまかいところまで考えて創作活動をされている椿姫さん、すごいなとおもいました。素敵です。椿姫さんはサイトを経営していらっしゃるんでしょうか…??よかったらurl教えてください〜。椿姫さんの文章を読んでみたいです。

そしてそして。キャラ目線の時に一人称をなるべく避けるようにしているという言葉にびっくりしました。わたしと違う書き方の方とお話しできるのおもしろいです〜!わたしはキャラ目線とヒロイン目線を織り交ぜることが多いので、一人称はぬかさずに普通に使うことにしています。キャラ、ヒロイン、オリキャラ、それぞれ普通の小説と同じように一人称を入れるところは入れてなるべく書くようにしています。誰目線なのか一人称で確認も出来るし、と。

だらだら長文ごめんなさい!メッセージ有り難うございました。
ちなみに、時刻ならきにしないでください。そちらの真夜中でもこちらは朝なので全然大丈夫ですよ*

それでは失礼します。