episode.4

 静寂の訪れる墓地に一陣の風が吹いた。
ざわざわと木々が揺れ、夏らしい湿っぽい気温の中の不思議な体感温度。
熱い陽射しが容赦なく降り注ぐ肌にも何故かぽつぽつと鳥肌が立つのは、私だけではない筈。
丸井の様なこの男は得体が知れないからだ。そして、今此処に居る仁王の様な男は本当に仁王雅治なのだろうか、と。

 額の皮膚から流れ落ちる雫は暑さからの汗なのかなんなのか、私はそれを手の甲で拭った。
手には私の汗と一緒に、黄色いユリの花粉が付いていた。先程供えたときに付着したんだろう。
黄ユリの花言葉を知っている者は此処には何人居るだろうか。幸村はきっとその意味を知っている。
今、幸村の墓の前で揺れる七本のユリの中には一つだけ、黄色いものがあるのは正しく気味が悪いことだ。
まるで故人幸村の仲間であった七人の男の中に一人だけ、異端者が居るみたいじゃないか。


 私は彼らのテニスを見るのが好きだった。汗をかいて、時には涙を流して暑い夏を過ごす絶対的強者のテニスは何より美しかった。
その美しさというのが何に帰還しているのか、私は分かっていた。
 勝ちに向かって不敗神話を掲げる彼らの精神、そして勝つためには手段を選ばない病的なまでの執着。

 武田信玄が憑依したかのような布武な真田は完美である。
パートナーを支えるべく守りのテニスを貫く自己犠牲のジャッカルは壮美である。
自らの脳内構想を体現する実力を持つ柳は秀美である。
魔法のように他人になりすまさないと試合の出来ない仁王は耽美である。
冷徹さを隠すように執拗なまでに紳士的な振る舞いをする柳生は清美である。
自分は天才的だと勝気な発言を自らに言い聞かせている丸井は粋美である。
自我を破り捨てて精神を崩壊させる悪魔を憑依する切原は快美である。
自らの暗闇の中に対戦相手を招待する幸村は他者にとってはまるで表裏の「高貴」「威厳」と印象付けるのだから、人間らしくてとても精美である。

 尊敬とは盲目だ。他者は一様に、誰よりも強者である幸村精市のことを焦がれるあまり彼はとても素晴らしい人だと勝手に思い込んでいるのだろう。
私はその全てが愛しかった。この夏が終わって欲しく無いと思っていた。
 しかし、まさに死闘と言ってもいい全国大会を終えて湘南に帰還した彼らの顔を見るのも楽しみであったのに。
私は腹が立っていた。
 敗北を記したテニス部の八人は、夏祭りを楽しんでいる。
夏祭りとは本来、慰霊の意味を持つということを知らない若い彼らは、無邪気に縁日を楽しんでいたのだ。
もっと絶望しなさい。
 私が何年も一方的に見つめ続けてきた、病的に美しいテニスの破綻を悔やみなさい。
暗闇から這い出て行くなんて許さない、あなたたちに似合うのは日ではなく月だ。
太陽の光を反射させるくらいの力しか無い月のように。自分たちが純粋に輝く術を持っていない者らしく、もっと暗闇に堕落しなさい。

 しかし幸村精市が私を誘ってくれた。
私のところに来てくれた。
そして気付いたのだ。私も他者に漏れずに幸村精市に対して尋常でない憧れを抱いていたこと。醜くも嫉妬して、その嫉妬心を隠すように皮肉を込めて闇を美しいと称えていただけであった。
幸村精市に恋い焦がれる数多の女と同じ様に、ひたすらにその存在に恋い焦がれていたわけではない、これは羨望。

 私の中に入ってくれた幸村精市をこのまま引きずり込んでやろう。
そして私が全て引き継いであげよう。
美しい生き様を。

 慰霊祭である夏の行事が終わり、私は鎮魂の居場所に別れを告げる。
羨ましがる提灯と鬼灯の実も全て、これまで通り「幸村精市」を羨望しながらそこに留まると良い。
私の背後には多数の細い筋が付いて回る。戻ってこい戻ってこいと、抜け駆けなんて許さないと私を引き止める。気を入れて祀られなくなった神の社には今や何の力も無かった。
 ざわざわと騒ぐ森の音に紛れて、浴衣の少年のすぐ隣を歩いた。


「なまえ!!危ない!!」

「う"ぁぁぁぁぁ!!!!!」

「生きてる……?」

 なまえが自分の腕の中に居るのだから、確認する必要もないくせに。
生きてる?だなんてわざわざ尋ねる幸村の心の中ではどんな陰りが産まれたのか、私が知りたいのはそっちだ。

「うん、生きてる。生きてるよ……」
「よかった」

 私が入りたかったのはこの肉体では無い。しかし私の力ではもうどうすることも出来ない。
女は駄目なのだ。
女は胎盤を持っているから。生命の産みであるから。宿されてしまう。
このままでは私の方が吸収されてしまう。
 彼女が死を迎えるほんの少し前に引き抜いた幽体であっても、幽体とは正しく本人に帰属するものなのだ。
魔法でもなんでもない、これは女の魂の宿。



「やはりな。」

 呟いた仁王は、何を知っているのだろう。驚きで救急車もパトカーも呼べないまま、私たちは立ち尽くした。訳が分からない。今まで築いてきた城に、綻びが入る音がする。

「あれ」

 か細い声が出た。私の身体の、いや心の中で何が起きているのかまるで分からない。
ただじゅくじゅくと溶ける様に脳が痛み、全身の神経が焼ける様に熱くなった。

「ねえ、これ、誰だか分かる?」

 本日彼らに尋ねようと思っていた言葉が急に口から出てきた。
そんな事を言いたいのではないのに。丸井が負傷している混沌のこの場面で自分も体調が悪いだなんて言うのはとても場違いだとは思うが、もう我慢出来ない。
体調が悪いことを伝えたいという意識は残っているのに。

「誰って、俺が聞きてぇよ…。」

 丸井は頭を何度も触って手を見つめながらぶっきらぼうに言い捨てた。

「とにかく、警察を呼びましょう。真田くん一人ではどうにもいかないでしょう。」
「そうだな。弦一郎、どこに連絡をしたらいい?」
「俺のポケットの携帯電話を…、いや、110番で良い。簡潔にこの墓地名と状況を話してくれ。あとは向こうの聞くことに答えるだけでいい。」
「丸井くん、救急車が来るまであまり動かずに寝ていてください。」
「あー…」

 丸井が起こしていた身体を寝転ばせ、眩しい陽射しに顔を顰めた。
柳はすかさず折り畳みの日傘を開いて翳した。

「お前さんは一体誰なんじゃ。」

 丸井ブン太の様な容姿の加害者は何も言わなかった。
真田に抑え込まれながらも顔を上げて、じっとりと光の入らない黒い瞳で私だけを見ていた。

「もういい仁王、あとでどうせ尋問される。それよりお前はどんな風に丸井を助けたのか簡潔に、」
「違う。お前に聞いとるんじゃ。……なまえ。」

 全員が私を見る。
私はもう分からなくなっていた。
あなたたちと同じ様に、その丸井ブン太の様な男が誰かの方が気になるのだ。
 私と同じ。魂と肉体の融合していないそれは一体、生物であるのか。

ぐちゃぐちゃと心臓の溶ける音がする。
仁王の耳にだけは届いてそうだ。


by せん


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