episode.2

 目覚めたら、消えていた記憶が蘇っていた……なんて、奇跡みたいなことが起きればいいのに。
 翌日、丸井はそんな希望を抱きながら、なまえに「おはよー」と声をかけたが、彼女は困惑しながら「おはよ」と、挨拶を返すだけで、それ以上会話を続けようとしなかった。
後から教室き入ってきた仁王とは、楽しそうに話しているというのに……。

「あー意味わかんね」

 もう戻らないのだろうか。こんなことになるなら、あの日なまえのことをちゃんと心配してやればよかった、と丸井は臍を噛む。
そして、やり場の無い苛立ちを発散させるかのように、ファンの子から貰った手作りのカップケーキを貪り食べた。味なんてほとんどしなかった。



「なまえ、丸井くんと仲よかったのにね」

 昼休み。なまえは友人達にそう言われて、心底驚いた。

「うそ!?ほんとに?」
「……ねぇ、まじで覚えてないの?なまえは、いつも仁王と丸井と3人でつるんでたんだよ?」
「全然知らない」

 なまえがかぶりを振ると、「えー。でも、仁王のことは覚えてるんだよね?」と、友人達は不思議そうな表情を浮かべた。
改めてそのように訊かれると、なまえは自分の記憶に、自信が無くなってしまう。

「うん……多分」

 なまえは、そう曖昧に答えてから、中身の減っていないお弁当を片付けはじめた。

「ごめん、ちょっと頭痛してきちゃったから、保健室いってくるね!」

 ついて行こうか?と言う、親切な友人を適当にあしらって、なまえは席を立つ。頭痛なんて嘘だ。
彼女は逃げるように教室を出た後、保健室ではなく、屋上へと向かった。



「はあ……」

 大きなため息は、澄んだ空の青に吸い込まれていく。初夏の風が強く吹いている。今日はとても涼しい。

「あー、もう無理。無理無理無理……」

 なまえは屋上のフェンスに頭を預けながら、うわ言のように呟く。

 “覚えてないの?”

 昨日から、何度言われただろうか。記憶が不自然に抜け落ちているから、みんな不思議がる。
なまえはその度に、曖昧な記憶を繋ぎあわせようとしたり、なんとか思い出そうと試みたりした。しかし、うまく紐付けできずに、頭が混乱するだけだった。
 一昨日までは『ちょっと記憶が消えただけだ、どうってことない』と、軽く考えていのに、どうやら事態は深刻そうだ。

「そんなところに突っ立って、何とるんじゃ」

 なまえが項垂れていると、どこからともなく仁王が現れた。切れ長の目は、眩しそうに細められている。

「いやー、教室戻りたくないなあって」
「珍しいのう」
「だって!質問攻めにされたり、身に覚えの無いことばっか言われたりするんだもん!」

 なまえは、堰を切ったように、不満をぶちまける。

「あと、物珍しそうにジロジロ見られたり、名前も分からないような人に話しかけられたりするのも気持ち悪い!さっきなんて、2年生の子に馴れ馴れしく声掛けられちゃったんだよ?!そんなに記憶喪失が珍しいかー!って……。もう何が本当なのか、自分の記憶が正しいのかさえわかんなくなっちゃうよ。今ならとんでもない嘘つかれたって信じるかもしれない」

 なまえは、一息に捲し立てたあと、フェンスに頭を打ち付け始めた。ガシャンガシャン、と派手な音が鳴る。

「やめんしゃい」
「こうすれば、記憶戻るかな? って」
「考えることは変わらんのう。お前さん、1週間前もそうやって頭打っとったぜよ」
「な、なんのこと?」
「失恋して落ち込んで、記憶消したいって言うとったんじゃ」
「嘘だ……覚えてないよ、そんなの」

 なまえの声は、急に弱々しくなる。

「いっそのこと全部消えちゃえばよかったのに……」
「馬鹿な事言いなさんな」
「だって」
「そのうち思い出すじゃろ」

 仁王はしゅんと肩を落としているなまえを励ますように、ぽんぽんと彼女の頭を撫でた。

「……ねえ、私が失恋した相手って誰だったんだろう?知ってる?」
「知らん」
「まあ……誰って判明したところで、仕方ないんだけどさ。全然覚えてないし。あ、そういえば私って、丸井くんと仲よかったの?」

 仁王はまさか丸井の話が出てくるとは思わなかったが、表情を変えずに「まあまあ」とだけ答えた。

「そうだったんだ。あの丸井くんと……」

 その口ぶりは、まるで他人事。覚えていないのだから無理もない。
なまえは昨日も今朝も、丸井に素っ気ない態度をとってしまったことを思い出して、なんだか申し訳ない気持ちになった。

「私の好きな人って、丸井くんだったのかな……?」
「それはない」

 突拍子も無い発言に、仁王は即答する。

「何で言い切れるの?」
「なんとなく」

 なまえは、不服そうに「ふーん。つまんないの」と頬を膨らませた。

「なあ……夏祭り、俺と行くか?」
「え?」

 何の脈絡もない誘いに目を丸くするなまえに、仁王は嘘みたいな甘い声で囁く。だらしなく結われたネクタイが、風に揺れている。

「浴衣、買ったんじゃろ。見たい」

 何を考えているのだろうか。
『詐欺師』の異名を持つ男の口元は、ニヤリと弧を描いていた。



 5限目が始まるチャイムが鳴っても、仁王となまえは教室には帰らなかった。
 なまえは、保健室で休んでいることになっているし、仁王が授業をサボるのはいつものこと。2人の欠席を誰も不審に思わない。
 ただ丸井だけが、2つの空席を訝しみ、そして、言いようもない感情に苛まれていたのだった。

by ずっきーに

つぎ

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