凛と咲き誇る大輪のカサブランカ。花言葉は、「高貴」「威厳」……彼にぴったりの花だと思う。
あれから何年経っただろう……?待ち合わせ場所へと向かう電車に揺られながら、私はあのおぞましい出来事を思い出していた。
あれはそう……例の夏祭りの日のことだった。祭りを存分に楽しんだ私は、幸村と2人で帰っていた。他の皆と途中ではぐれてしまったからだ。
幸村は「近道しようか」と言って、全く人気のなさそうな神社を指差した。
鬱蒼と生い茂る木々が、ザワザワと夜風に吹かれていて、気味が悪かった。
「なんか怖くない……?」
幸村の浴衣の袖をきゅっと掴むと「女の子ぶるなよ」と笑われてしまったので、私は渋々、幸村の後ろについて、朽ちかけた赤い鳥居をくぐった。
「ねぇ……、お化けって信じる?」
カラン、コロン……と、幸村の下駄が乾いた音を鳴らす。
「信じるわけないだろ」
「そ、そうだよね……お化けなんていないよは」
……そう言いながらも本当は、ずっと背後に嫌な気配を感じていた。私は怖くて、最後まで振り返ることが出来なかった。
その後、不幸は突然訪れた。神社を通り抜けた先の小さな踏切で、電車が通り過ぎるのを待っていたときだ。
「なまえ!!危ない!!」
幸村の手が空を切った。
「……っ!」
一瞬の出来事だった。私は後ろから走ってきた見知らぬ男に、強く腕を掴まれ、無理やり線路内に引きずり込まれたのだ。
カンカンカンカン……と、けたたましく鳴り響く警報機。男は大声で何かを言っている。私は驚きのあまり、全く抵抗出来なかった。
もうだめだ
電車はもうすぐそこまで迫っていた。眩しいライトを浴びながら、全てを諦めようと瞼を閉じたその刹那、私は誰かに強く引っ張られた。
強い衝撃を感じたのと同時に、断末魔の叫びが耳を劈く。
「う"ぁぁぁぁぁ!!!!!」
……何が起きたのだろう。
すぐには理解出来なかった。もう自分は死んでるかもしれない、とさえ思った。
「生きてる……?」
恐る恐る目を開けると、幸村が私の顔を心配そうに覗いていた。
九死に一生を得た、とでも言おうか。私は幸村に抱きかかえられ、踏切の外側に横たわっていた。
「うん、生きてる。生きてるよ……」
「よかった」
「ありがとう……」
「ふふ、目の前で死なれちゃ後味悪いからね」
幸村は綺麗に微笑んだ。その瞬間、彼には一生感謝して生きていこうと思った。
しかし安堵したのも束の間、辺りの惨状を見て、さっと血の気が引いた。
「なにこれ……」
私を踏切の中に連れ込もうとした男の姿は、もはや原型を留めていなかった。
周辺には大量の血液が飛び散り、ザクロの実のような肉片が、そこかしこに転がっていた。
「いや……っ!」
足元に血に濡れた頭部らしきものがゴロリ、と転がってきて、全身が粟立つ。飛び出した眼球が、こちらを恨めしそうに見ているような気がした。
この男は何故、私を道連れにしようとしたのだろうか……。
突然向けられた無作為な悪意に、酷いショックを受けた私は、その後のことを、ほとんど記憶していない。
もしかしたら幻だったのかもしれない、とも思う。だからこの件は、誰にも話していない。勿論、テニス部のみんなにも……。
「死」なんて、案外身近なものだ……。それを思い知ったあの日から、私の中で確実に何かが変わった。
「お待たせ」
待ち合わせ場所の駅の改札を出ると、そこには柳と真田の姿があった。久々に見る姿に、口元が綻ぶ。
「あれ?皆は?」
「まだだ」
「そっか。それより真田……なんだか貫禄が増したね?」
中学生の頃から既に、父兄や顧問に間違えられるほど大人びていた彼が、また一段と老けたように見えるのは、スーツに身を包んでいるからかもしれない。
その身なりは、中年のサラリーマンかと見紛うほどで……
「『真田はいつになったら、年齢が見た目に追いつくんだろう?』と、みょうじは思う」
「ちょっと、柳!」
「違うか?」
「ち、違わないけど……そうやって、さらっと人の思考を読んじゃうところ、ほんと昔から変わらないよね!」
柳はうっすらと笑みを浮かべた。この蒸し上がるような暑さの中でも、彼の佇まいはどこか涼しげに見えた。
しばらく改札口で待っていると、柳生、ジャッカル、ブン太、仁王と、元テニス部のレギュラーが、続々と集まってきた。
皆一様に、黒っぽい服を着ているのは、真田からそのように指示されたからだろう。
久々にみんなと会えたので、積もる話は山のようにある。挨拶もそこそこに、皆で雑談を交わしていた。
しかし、約束の時間になっても、姿を現さない困った後輩が1人……。
「暑っち〜! 赤也まだかよ!」
ブン太は上着を脱ぎ、それをジャッカルにぐいと押し付けた。 迷惑そうにそれを受け取るジャッカルは、先程から赤也に電話をかけてくれている。
「全然繋がんねぇ」
「仕方ありませんね」
柳生はため息をつき、眼鏡を押し上げた。彼も、その妖しげに光る眼鏡のせいか、とても年相応には見えない。
「なまえ、そろそろブンちゃんが蒸し豚になってしまうぜよ」
「何それ美味しそう」
「おい!」
昔と変わらないノリで、ブン太と仁王とふざけあっていると、何だか若返ったような気分になった。
「たるんどる!!」
集合時間から30分は経っただろうか。今まで仏頂面で黙っていた真田が、ついに怒声を上げた。
「ね、もう先に行っちゃおうよ。赤也には、先に行くってLINE入れておこう?」
私は怒っている真田にそう提案した。しかし、なかなか首を縦に振らない。この男はいつまで赤也のことを子供だと思ってるのだろう。
「アイツも何かあったら電話してくるじゃろ」
「うむ、しかし、」
「大丈夫だって!」
私たちは渋る真田を何とか説得して、タクシーを2台手配した。さすがに、このうだるような暑さの中、歩いて行く元気はない。
「綺麗だな」
タクシーの中で、真田が私にそう言った。あの堅物が、一丁前にお世辞なんぞ言えるようになったのか! と一瞬耳を疑ったが、手元の花束のことを言っているのだと気づいて、納得した。
「うん、ユリの花。お供えしようと思って……」
「そうか」
真田が神妙な面持ちで頷く。空気がずしりと重くなった気がした。
「皆でお墓参りなんて、初めてだね」
「ああ。今年は7回忌の年だからな」
同じタクシーに乗り合わせている柳が言った。
「もうそんなに経つんだね……」
そう思うと、胸が押しつぶされそうになった。いまだに信じられないし、信じたくもない。
あの幸村が死んでしまったなんて。
「原因不明の突然死だったんだよね……?」
「そうらしいな。表向きは」
表向きは ……?
ぐらりと眩暈がした。どういうことだろう?
私は柳の意味深な発言について、詳しく知りたかったのだか、タイミング悪くタクシーが目的地に到着してしまったので、なんとなく聞きそびれてしまった。
奇妙だ。もしかして、幸村の死は、あの夏祭りの日のことが関係しているのだろうか……?
お墓参りが終わったら、例の写真のことも含めて皆に訊いてみよう。誰か何か知っているかもしれない。
私はユリの花束を大事に、大事に、抱えてタクシーを降りた。
by ずっきーに