episode.fainal

 意識が遠のいていく。
私は、何を忘れて、何を覚えていたのだろうか。

『xxxくん、好きな人がいるんだって』

 そうだ、その言葉を廊下で聞いて、私は消えてしまいたかったのだ。
こんな気持なんて、知らなければ良かったと、悲しくて、出会わなければよかったと、何度も、何度も思った。
自分が泡のように跡形も無く消えてしまうなら良いのにと願ってやまなかった。

『さよなら、私の好きだった人』

 心の中でそう呟いて、もう忘れようって願っていたことが現実になるなんて考えても見なかったのに。

「おい、しっかりしろ」

 目を開けると、私を抱きかかえてくれていたのはジャッカルだった。

「あ…、ジャッカル…」
「よう、目、覚めたか?」
「うん」
「丸井は保健室に先生呼びに行ってる」
「うん」

 おざなりな返事しか返さない私を心配したのか、ジャッカルからはバツが悪そうに目線を外された。

「まぁ、何だな。記憶が戻らなかったとしても、今までの関係性が変わるわけじゃないんだし、みょうじが考えてるよりも、案外簡単に戻る時もあると思うぞ。みょうじは変な感じかもしれないけどな。逆に、忘れてる事で、記憶があった時と違った目線が出来るわけだから、もっと気楽に構えても良いと思うぞ」
「うん、ありがと」

 程なくして、保健室の先生と一緒に何故かテニス部のレギュラーまでもが勢揃いしていた。こんな現実離れした顔立ちの男達と本当に知り合いだったのだろうかと、記憶が無くなってすぐの時は何度も疑問符が飛んだけれど、慣れと言うものは恐ろしいもので、今はその辺に居る男子と変わらず目線を合わせることが出来る。そして多分、この中に私が好きだった人がいるのだ。
今はまだ、思い出せないけれど。

「みょうじさん、念のため病院で診察受けてから帰ってね」
「分かりました」
「みょうじ病院行くのか、じゃあ、俺は帰る」

 酷くあっさりとした返答をしたのは幸村くん。

「幸村くんが帰るなら、俺も帰るかな〜」
「あ、じゃあ俺も帰るッス!」

 続いたのは丸井くんと切原くん。

「ふむ、では俺と弦一郎が付き添うことで良いか」
「え、あぁ、うん。ありがとう」

 病院には結局、真田くんと柳くんが付き添いをしてくれた。診察の締め切りはギリギリで、受付のお姉さんに少々イヤミを言われそうだったけど、真田くんの出で立ちに驚いたのか、何も言われることも無かった。
今の私たちは周囲からどんなふうに見えているのだろうか。男友達、それとも彼氏とその友達だろうか。制服を着てなければ、真田くんも柳くんも到底学生には見えないだろう。大人びた二人に挟まれた自分が、酷く子供じみて見える気がして急に寂しさが襲ってきた。

『みょうじさん、みょうじさん、診察室1番にお入り下さい』

 看護師さんの声に反応して、待合室から立ち上がろうとした刹那、また頭痛に襲われた。ズキズキと痛むそれは、金属が奏でる不協和音のごとく頭の中に充満していった。意識はどんどんと遠のいていき、記憶の渦の中に飲まれていくのがわかる。

『あ〜、もう最悪だよ・・・。彼女とか絶対縁遠そうなのに・・・』

 これは、部屋で一人ごちていたときの私だ。

『夏祭りは必ず参加するように。真田と柳は彼女できたんだっけ? 彼女がいる奴は、連れてきても良いよ。』

 これは幸村くんが言ってた言葉だ。不協和音とともに、次々と記憶が蘇っていく。

「みょうじ、大丈夫か! みょうじ!!」
「落ち着け、弦一郎。まずはみょうじを診察室に運ぶぞ」
「あぁ、そうだな。蓮二はみょうじの荷物を頼む」

 抱きかかえてくれる真田くんからは、大人の男性のようなぬくもりを感じた。その時初めて、自分が誰を好きだったのかを思い出した。
診察室のベッドに横たえられて、先生と看護師さんが慌ただしく脈を採ったり、心電図のモニターを確認しているのが、目を瞑っていても分かる気がした。
横には多分、真田くんがいる。

「バイタルは落ち着いてきたようだし、とりあえずお家の方に連絡をしてあげて、今日は入院してもらおう。君は、彼女の知り合いかな。なら、申し訳ないがご両親が来るまでは、付き添いをお願いできるかな」
「分かりました」

 真田くんにそう言い置いて、お医者さんと看護師さんはどこかに行ってしまい、部屋に残されたのは、私と真田くんのみになってしまった。
私は相変わらず目を閉じたまま、戻ってきた記憶を整理していた。
すると、真田くんは眠っている様子の私の手を取って、願うように呟いていた。

「みょうじ、俺はまだお前に何も伝えられていないのだ。このまま記憶が戻らなかったとしても、俺の気持ちは変わらんぞ」

 真田くんは何を言っているのだろう。これではまるで、告白をしているようではないか。けれど私は知っている、真田くんには彼女がいることを。だから私は失恋したと思ったのだから。

「みょうじ、頼む。目を開けてくれないか・・・」

 私は、いつまで目を閉じていればいいだろうか。これでは目を開けるタイミングを失ったまま、今日泊まるベッドに行くまで何もできない。誰かがこの場の空気を乱してくれることを思わず願っていると、コンコンと扉をノックする音が聞こえた。

「すまない弦一郎、そろそろみょうじのご両親が来るそうだ。俺は一足先に帰ろうと思う。みょうじの荷物を預けても構わないか?」
「あぁ」
「みょうじに言うことがあるのであれば、単刀直入に言うのが得策だ。妙なところで考える癖があるからな」
「それはどういうことだ?」
「告白をするなら、わかりやすく、と言うことだ」
「な、なにを言っているのだ!」
「忠告はした、では失礼する。みょうじ、意識が戻っているなら狸寝入りはしないことだ」

 扉の閉まる音を合図に、私は目を開けた。そこには真田くんがいた。

「聞いていたのか」
「うん」
「ど、どこから聞いていた」
「多分、最初から、かな?」
「そうか・・・」

 沈黙が空気を支配していた。その空気を破れる程、私には勇気が無かった。

「みょうじ、夏祭りは行く相手が決まっているのか?」
「え、いや、えっと、決まってはいない、かな」
「そ、そうか・・・。なら、俺と行かんか?」
「あ、う、うん。いいよ」
「好きな人はいるのか?」
「いるよ」
「・・・そうか。それは、誰か聞いても良いか?」
「うん・・・」

 また沈黙が流れていた。聞かれたのに答えられない。

「それは、俺か?」
「・・・うん」

 急に手を強く握られた。

「そうか。そうか!!」

 真田くんは自分で何度も納得したかのように頷いていた。
しばらくして両親が来て、一通りの手続きが終わると、記憶のほとんどは戻っている事を確認された。所々抜けているところはあるものの、生活に支障をきたすことは無いことが元々分かっているので、病院側もそれ程問題視はしていないようだった。今日一日は入院して、明日の精密検査が終わったら、明後日には晴れて退院することとなった。退院にはなぜかテニス部の面々が勢揃いして、珍しく真田くんが肩身の狭い思いをしているようだった。

 そして夏祭り。私は真田くんに手を引かれ、夏祭りが開かれている神社へと向かった。浴衣じゃないことを幸村くんに咎められたけれど、露店に並んでいる食べ物を探し歩くのは、この上なく楽しかった。
そして、神社の前で、テニス部の面々と集合写真を撮った。

「せっかくなんだから、真田も彼女と撮りなよ」
「な、何を言い出すのだ幸村」
「いいじゃないか、せっかくの記念だよ」
「真田副部長ー!! 笑顔っスよ、笑顔!!」
「わ、分かっている!!」

 赤也に茶化されている真田くんの隣へと、丸井くんに無理やり手を引かれて、りんご飴を持ったままの私は、不自然に顔を真赤にした真田くんと二人で写真を取ってもらった。記憶を無くさなかったら、きっとこの恋は実ることは無かったと思う。それでも実ったのは、記憶の底で消えたくないと思った私の想いが実らせた果実なのだと、真っ赤に染められた実をかじった。

by みつき

END

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