episode.3

 わあん、と泣きついてきたのはなまえの親友だ。どうしたの、と問いかけると目元を赤くした彼女は消え入るような声でこう言った。

「テニス部の―――くん、もう夏祭り一緒に行く人いるんだって……。」

 えっ、となまえの口から声が漏れたのは二重の意味で驚いたからだ。
 私も―――を誘おうと思っていたのに、それに、じゃあ、もしかして私たちの好きな人って、

「誰かは教えてくれなかったけど、あんな顔するんだもん……絶対敵うわけないよ……。」

 伝える前から失恋か。それも悪くないと思った。だって例え、万が一億が一―――の好きな相手が自分でも、付き合えるわけがない。親友と―――だったら、親友の方が大切だから。
 よかった、と思うと同時に、いっそ忘れたいと思った。記憶喪失にでもなりたい。こんなもやもやした気持ちのままいるなんて、辛すぎるから。


「ん、」
「目、醒めた?」

 目に入った天井や、自分を取り囲むカーテンは眩しいほどに白かった。鼻をつく薬品の香りから、ここが保健室だとわかるまでにそう時間はかからない。むくりと起き上がったなまえに笑いかけたのは幸村だ。

「私、どうして……。」
「仁王とサボってたんだって?急に倒れたって聞いたけど。」
 
 それだけ保険医に伝えて仁王はどっかに行っちゃったよ。声も潜めずに話していたから、カーテンの向こうにいたらしい保険医が顔を出す。

「こら、幸村君。貧血はどうしたの?」

 一応幸村をひと睨みしてから、彼女はこちらに体温計を差し出した。

「みょうじさん、念のため熱も測ってね。多分あなたも貧血だと思うけど。」

 なまえは言われた通り体温を測りながら、気絶する前までの記憶を何とか思い出そうとしてみたのだが頭痛が邪魔をする。確か仁王と屋上で話していたところまでは覚えているのだが、果たして何の話だっただろう?

「ねえ、なまえ。」

 保険医に起こられてパーテーションの向こうに引っ込んだはずの幸村が、またこちらに顔を出す。いたずらっこのような顔をして、今度は凛としたその声をおさえて。

「今週末、もう先約ある?」
「え?」

 ぎし、とベッドが小さく軋んだ。左手だけ脇についた幸村は、なまえに顔を近づける。

「ほら、夏祭りだろ。」

 耳に直接流れ込むような声に、なまえの頭はがんがんと揺さぶられた。なつまつり。また意識を手離しそうになるくらいの頭痛に襲われる。

「なまえを誘おうと思って、他の子は全員断ったんだ。」

 魅惑的なほどに甘い言葉は、なまえの脳を軋ませる。あまりに暴力的なその痛みに吐き気を催し、なまえは頭を抱えた。ぴぴぴぴ、と体温計の音がやけに遠くに聞こえる。

「なまえ?」

 幸村の声も遠い。チャイムの音も、保険医が呼びかける声も。その代わりに、頭の中をリフレインするのは。


「テニス部の―――くん、もう夏祭り一緒に行く人いるんだって……。」
「誰かは教えてくれなかったけど、あんな顔するんだもん……絶対敵うわけないよ……。」


 思い出したい、思い出したくない。
 忘れたい、忘れたくない。
 こんなにも幸村の声に揺らぐのは、『その人』が幸村だから?
 仁王と話したことを思い出せないのは、『その人』が仁王だから?
 丸井くんを忘れてしまったのは、『その人』が丸井くんだから?
 それとも、


 優しい声に、頭痛が退いていく。次になまえが目を覚ました時、夕暮れの保健室で彼女の髪を撫でていたのは、真田弦一郎だった。

by 冬

つぎ

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