おはなし | ナノ





柔らかな日差しの差す今日の良き日に、私たちはこの学校を卒業します。

そんなありふれた前置きから始まった答辞をぼうっと聞きながら、私はまだ卒業するという実感が湧かないでいた。

いつもと違う制服に付けられたブローチも、目を真っ赤に腫らす同級生も、厳格に飾り付けられた体育館だってその全てが異質で、信じられやしなかった。

この三年間、本当にたくさんの事がありました。家族、先生方、友人に支えられ、こうして私達は過ごしてこられました。目を閉じるとたくさんの思い出が蘇ってきます。この思い出たちはこれからの人生への大きな糧となるでしょう。


代表はああ言っているけれど、いつだって私の高校生活を思い返せば浮かぶのは部活のことだった。毎日毎日遅くまで練習があって、それを苦痛に感じた時だってあった。部活に入っていない周りの子を疎んだ時もあった。けど毎日が楽しかった。別に新しい門出が嫌な訳でもない。ただ私は先輩としてあの子たちに何か残してあげられたかどうか、それだけが心残りだった。私はいい先輩でいられただろうか。

卒業生、退場

それからの式はあまり覚えていない、気付くと式が終わっており、退場を告げられていた。周りを見渡せば同級生はみんな目に涙を溜めて、別れを惜しむようにゆっくりと立ち上がっていた。

在校生の間を拍手に包まれながら通り抜ける。私は自分だけ泣いていないのがなんだか恥ずかしくて下を向いて歩いた。この床だって見知った体育館のものなはずなのに、そうじゃないように見えた。


担任から解散を告げられ、皆が散り散りになる。同級生が集まってこの後の話や思い出を語らっていたが私は誰とも話す気分にはなれなくてひとり体育館をそっと後にした。

ひとり宛てもなくとぼとぼと学校内を歩く、三月の冷たい風が私を容赦無く襲った。

「先輩!」

遠くで見知った声が聞こえた。振り返るとそこには高尾がいた。卒業に耽る私をよそに高尾はいつもの調子で笑いながら言葉を紡ぐ。

「ったく、探したっすよ」

ほらみんなのとこに行きましょう、そう言って目の前に手が差し出される。一瞬その行動に戸惑ったが、高尾が寒いしいいじゃないっすか、と強引に握ったのでそのままにしておいた。始めて握った高尾の手はやっぱり男の人で、大きくて、暖かいものだった。

高尾はゆっくりと私の手を引きながら他愛のない昔話を続けて行く。夏の合宿は楽しかったとか、インターハイは悔しかったとか、最近真ちゃんがちょっとチームに馴染めてきて嬉しいとか、来年こそは勝ちたいとか。

その時間はとても優しくて温かくて、やっぱり私は秀徳バスケ部が好きだなあとしみじみ感じた。私はまだみんなとバスケをしていたい、夢を見ていたい。

卒業したくないなあ。

そんな気持ちから私が何気無くいったその言葉が聞こえたのか、高尾が足を止めた。驚いて高尾の方を向くと、眉を寄せて苦虫を噛み潰した様な顔をした高尾がいた。

「それはずるいっすよ、先輩」

繋いでいた手を引かれ高尾に抱き締められる。驚く間も無く強く抱かれ、高尾の胸に顔をうずめる形に収まった。

「ずっと我慢してたのに、なんでそんな事言うんだよ」

そう力なく言った高尾にいつもの軽口はなく、私を動揺させた。いきなり抱きしめられた事に何が抗議しようとも思ったが、じんわりと肩が濡れていく感覚にそんな思いも消え失せてしまった。

「高尾、ないてるの?」

そう言うとはっとしたように高尾は抱き締める腕を強めた。高尾の息が首筋にかかってくすぐったい。体をよじらせようとしたが、きつく締める腕がそれすら許してくれなかった。

どれぐらいそうしていただろうか、なんの前触れもなくそっと高尾が腕をはなした。その抱擁は時間にしてしまえば一瞬なものだったが、とても長いものに感じた。

「俺が泣くはずないじゃないですか、先輩は、なにもわかってない」

俺は、泣いちゃだめなんですよ。
そこには泣くのを精一杯堪える高尾の姿があった。時折学ランの袖で必死に涙を拭っているが、それは今にもこぼれ落ちそうだ。

「俺は先輩の何倍も、卒業して欲しくないって思ってます」

だけど、俺らは今から先輩方が積み上げてきたもの背負って行かなきゃいけないんですよ。だから、こんなことで泣いてちゃいけないでしょ?そう辛そうに笑う高尾に私まで泣きそうになって目を逸らした。

「だから、そんな事言わないで下さい」

後輩にこんなことを言われてしまえば私が泣けるわけないじゃないか。だからせめて最後ぐらいはこの優しい後輩に先輩らしい事をさせて欲しい。

「ほら、行こう。高尾」

少し強引に高尾の手を攫った。きっと顔は見られたくないと思うから、高尾の前を歩いた。せめて今は見ないふりをしてあげたかった。きっとこの聡い後輩には全てばれているだろうけど。

「俺、先輩が先輩でよかったです。今までお世話になりました」

大きく息を吸い込んだ後に高尾がそう言った。もう声は震えてはいなかった。

「私も後輩が高尾でよかったよ。バスケ部、頼んだからね」

私が泣いていたのはばれていないだろうか。どうかばれていませんように。今だけは少し泣きたい気分だった。


三月の冷たい風が涙の跡を冷やして通りすぎる。頬と対称に、繋いだ手はとてもあたたかかった。これが私の高校生活最期の、やさしい後輩との思い出。




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