おはなし | ナノ
たくさんの咽び泣く声が聞こえる、それよりもっとたくさんの笑いあう声も聞こえる。そんな喧騒の中を掻き分けて、私はずっと先輩を探していた。あの人はいったいどこに行ったんだろう。
まだ寂しい木々の間をひとり駆け抜ける。春と呼ぶにはまだ少し早い三月の風が容赦なく私を襲った。寒さに体を震わせたが、それでも私は足を止めない。
学校の奥にいくにつれ、どんどん人がまばらになっていく。本当にあの人はどこに行ったんだろう。校舎内には多分居ない、でも式典が行われた体育館にもその周りにも先輩の姿は見当たらなかった。あと先輩が行きそうなのはと少し思案して思いついた部室近くに、私の探し人は佇んでいた。ぼうっと部室の扉を眺める先輩は、私に気付いてはいないようだ。
「先輩」
脅かさないように、出来るだけ優しく私が声を掛けると、先輩はゆっくりと私の方を振り向いた。
「あぁ、お前か」
そう言って先輩が切れ長の目を細めて笑う。先輩の目は他の人と違い、赤く染まってはいなかった。
「こんな所にいていいんですか」
「いいんだよ、俺が居たいんだから。なんだか、あそこには居辛くてな」
まだ実感が湧かないからかな、先輩はそう続けた。あそこ、と言うのはさっき私が通ってきた所の事なんだろう。盛況していたあちらとは打って変わって、先輩と居るここには、私たちの他に人の気配はない。
「お前こそなんでこんな辺境な所にいるんだ。あれ、もしかして探しにきてくれた?」
たまたまです。と私が間髪入れずに言うと、お前は相変わらず素直じゃないな、と先輩は綺麗な顔を綻ばせてふっと笑った。
本当は“先輩を探してたんです”とそう言いたかったが、生憎、私の強がりは簡単には治ってくれなかったようだった。
「あーあ、この三年間短かったなー。もっとやりたいことあったし、正直高校生活の思い出ってバスケと睡眠だけだし」
「本当は彼女つくってさー、こう青春する予定だったんだけどな」
でも、楽しかったなあ。自分に言い聞かせる様にそう言い切った先輩の顔は晴れ晴れとしていて、何も後悔なんて無いようだった。私は、どうなんだろう、後悔をしているのだろうか。私と先輩の埋めようのない歳の差はどう足掻いたって消えやしないのに。
後悔先に立たず。今更ああすればよかったと嘆いたって時間は戻ってはくれない。
「早川も、黄瀬も、泣いてました」
先ほど見た、大声で泣き叫ぶ同級生とエースの姿を思い出す。何度もまだ一緒にバスケがしたいです、と繰り返し叫んでいた。素直にそう言える二人がすごく羨ましかった。それを困ったように、でも嬉しそうに慰める小堀先輩と、めそめそすんなと渇を入れる笠松先輩がいた。そんな先輩達も目に涙を浮かべて、でもそれでも笑っていた。
「お前は泣いてくれないのか?」
「まさか。泣いて欲しいんですか?」
「欲を言えばそりゃあ泣いて欲しいけど。あぁでも女の子を泣かすのは俺のプライドに反するからなあ」
「相変わらずキザですね、今時流行りませんよ」
「最後ぐらいカッコつけさせろって」
先輩が何気なしに言った最後と言う単語が私に重くのしかかった。先輩は今日でもうこの学校から居なくなる。きっともう、こんな掛け合いも、出来ない。
「そんな顔しないで、なんとか言ってくれよ」
私が相当酷い顔をしていたからだろう、困ったように苦笑する先輩が私の頭を撫でた。先輩の三年間ボールを追い掛け続けたその手は、大きくて、とても暖かかった。先輩の手の温もりが、じわりと私の心を融解させていく。必死で堪えていた物が、溢れ出そうだった。
「ありがとうございました、いままで」
先輩の力を借りてもこの下手くそな倒置法が私の精一杯だった。遂に自分の可愛気のなさに涙が出そうになった。
「こちらこそ今までありがとう」
先輩は嬉しそうによく出来ましたと私の髪をわしゃわしゃと混ぜた。せっかく時間を掛けていつもより念入りにセットしたのに。きっとこの残念な先輩には、女心なんてものは一生分からないんだろう。でもそれでいい。
「先輩、お元気で」
今度は上手く、笑えていただろうか。
「あぁ、お前こそな」
そう言って先輩の手が私から離れる。そして先輩は前を向いて歩き出した。きっとあの喧騒の中に戻り、みんなと別れを惜しむんだろう。名残惜しいなんて、思っちゃいけない。
さよなら、小さくなった先輩の背中に呟いた私の言葉は誰にも聞かれないまま消えていった。
きっと私はまだしばらくの間、学校で先輩を探し続けるんだろう。授業を受けている時に、部活中に。そして何度も後悔をし続けるんだろう。それ吹っ切るのに、一体どれくらい時間がかかるだろうか。それでも私は前を向いて歩かなきゃいけない。残された者として。