その後のとある話
――妙だ。 そう思い始めたのはつい最近だった気がする。 私が先発隊として役目を果たしたとき。武勲をあげたとき。魯粛様はいつだって、よくやった、と言ってくれた。 その度に私は、魯粛様に少しずつ認めてもらえているようで嬉しさを抑えきれなくなる。 だから、気が付いたのだ。 私を誉めてくれる魯粛様の目が、笑顔を保つ表情とは違う色をしていることに。
「…私、もっと頑張らないと」 「は?」
全体調練終わり、訓練所を後にしながらそう溢すと、たまたま同じ訓練隊を受け持っていた甘寧が隣で怪訝そうな顔をした。
「頑張るって、何をだよ」 「もっと鍛練してもっと強くならないといけないな、ってさ」 「…お、おう」
脈絡の無さに少し戸惑っているらしい甘寧を横目に、掌を握り締める。 きっと、魯粛様に認めてもらうには私はまだまだなんだ。そう考えると、全てのつじつまが合う気がした。同時に胸が、きゅう、と締め付けられる。
「魯粛様に心配なんか掛けないようにならないといけない」 「…あ?」 「甘寧、私もう少し鍛練してくる。先に戻ってて」 「え?あ、おい!」
そうと分かれば、と女々しい自分を必死に振り払い踵を返す。まず行動する、私らしいじゃないか。 元来た道を戻る私に、甘寧が何か物言いたげな表情を浮かべていたなんて知るよしも無かった。
***
「――唯緋、最近顔色悪くないかい?」
調練の監督中、指示を飛ばす私の隣で凌統がどこか遠慮がちに突然そう言った。目を丸くさせた私に、凌統は眉間に皺を寄せる。
「…自覚無いってのか」 「何が?別に普通だよ」 「甘寧から聞いたけど、食事もまともに摂らないで鍛練ばっかしてるらしいね。無茶すんなっての」 「…別に、無茶してない」
目の前を見据えたまま固い声で返すと、凌統が、あのなぁ、と語気を強めて私に軽く詰め寄った。 うるさい。私だって無理してることくらい自分で分かってる。でも、胸の中のもやもやした気持ちが少しでも薄れてくれるから、私にはこの方法しか――
口を開いて凌統に向き直った瞬間、ぐらり、と視界が揺れた。
――そして、大きな手が支えるように私の腕を掴んだ。
無意識に警鐘が鳴り響く脳内に、聞き慣れた低い声がやけにはっきりと届く。 あぁ、なんで、よりにもよってこんなときに、
「――凌統。調練の指揮は任せて良いな?」 「勿論です」
魯粛、様。
私の消え入りそうな声を無視して歩き出した魯粛様に、私は為す術なく連れて行かれるしかなかった。
すぐに到着したのは魯粛様の執務室で、奥間にある仮寝台に私は思い切り放られる。力の入らない腕を必死に突っ張ってなんとか体を起こすと、寝台のすぐ側で私を見下ろす魯粛様と目が合った。
ひゅ、と息が詰まる。
見たことの無いほど、冷たい目で私を見る魯粛様の姿がそこにはあった。
「――唯緋」
たった一言。それだけで、魯粛様はかつてないほど怒っているのだと分かった。 失望された。 そう気付いた途端、堰を切ったように涙があふれて零れた。
「魯粛さ、ま、私、認めてもらいたくて…、わた、私はまだまだだから、もっともっと強くならなくちゃ、って、」
だめだ、止まらない。こんな自分は魯粛様にだけは知られたくなかったのに。 思わず俯くと、寝台に掛けられた衣に、ぱたぱた、と染みができるのが見えた。
「もっと強くなれたら、魯粛様にし、心配掛けることも、無くな、って、」 「…もういい、唯緋」
頭の中がぐちゃぐちゃで、でも小さく聞こえた魯粛様の声に思わず肩を揺らす。 寝台の前で私の顔を覗き込むように方膝をついた魯粛様を見上げられずにいると、不意にあたたかい指が私の目尻をそっと拭った。
「…俺達はやはり、お互いの気持ちをもっと話すべきだな」 「…え、」
情けない声を上げた私に、魯粛様は眉を下げてばつが悪そうに笑う。そのまま、止まらない私の涙を指で受け止め続ける。 もう怒ってないんだ。ぼんやりとそう考え、魯粛様が差し出してくれた杯を受け取り中に満たされた水を見つめる。 倒れかけた上にこれ程水分を出しては、とどこか焦ったように言う魯粛様に、ひくついた喉が静かに治まっていくのを感じた。
「…お前は先陣を切って攻め込むのが性に合っているのだろう。天性のものだ。……だが、情けない話だが俺は怖くて仕方ない」 「…怖い?」 「唯緋を失ってしまうのが怖いのだ」
涙は止まったが赤く腫れてしまった私の目元を撫でたまま、ぽつり、とこぼした魯粛様の言葉に目を丸くする。魯粛様はどこか自嘲気味に笑うばかりだ。
「…武人としてのお前を蔑ろにしているようなものだな、俺は」 「…そんな、こと」 「いや、何度お前を後方援護部隊に回そうと思ったか。そんな風に考えてしまう時点で、俺は呉の軍師失格かもしれん」
息を吐く魯粛様に、私は内心驚きを隠せなかった。全く知らなかった。そんな様子を見たことが無かったから。 ――いや、見せないようにしていたんだろう。
「…以前も言ったが、俺は臆病な男だ」
私の目元から離れていく指を反射的に握ると、魯粛様は驚いたように少し目を瞠った。そのままもう一方の手も添えて握り締める。
「…魯粛様に大切にして頂ける私は、幸せです」 「…、」 「これからは魯粛様ときちんとお話します。だから魯粛様も、一人で抱え込まないで下さい」
婚約者なんですから、と笑うと、魯粛様も目を細めて穏やかに微笑んでくれた。
手を握ったまま二人で笑い合っていると、ふいに魯粛様は何かを思い出したような表情を浮かべた。
「俺の希望もきちんと唯緋に伝えるべきなのだな。うむ。…ならばこれからは、子敬、と呼んでもらおうか」 「…え!?な、なんですか急に」 「一人で抱え込んではいけない、と婚約者の唯緋に言われたのだからな」 「それとこれとは話が――」
そうして二人は手を取り歩く
リクエスト内容[魯粛/『マイ・フェア・レディ』続編] 年の差カップルの間にはいくつも障壁が横たわる。でもそこが良いという自論。大変お待たせ致しました…!(>_<;書きたい描写を詰め込んだら予想以上の長さになってしまいましたが、銀弥様のお気に召して頂けたら幸いです。魯粛連載にこんなにも愛を叫んで頂けて、感無量です。ありがとうございます!(;∀;)少し暗いお話になってしまったような気がしないでもないですが、結局はラブラブね、ということで一つ…失礼しましたm(__)m今回はリクエストありがとうございました!
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