December,24,
「綺麗だなー…」
データの打ち込みをしながら、窓の外のイルミネーションを眺める。 会社の外の街路樹は毎年この時期になると鮮やかな電飾を施され、街を彩る。それに伴い交通量も増えるのだ、特に歩行者。 そういえば去年のこの日も、この景色をこの場所で見ていた。そんな記憶が頭をよぎりなんとも切ない気分になる。
上司は勿論、早々に仕事を終わらせ退勤している。予定については言わずもがな。 最近は月英が左手の薬指に指輪をつけ始め、上司のドヤ顔も連発される一方だ。月英が幸せそうだから別に良いけど。 窓の外は風もあまりなく、去年と違い今年はそこまで寒くないらしい。またパソコン画面に視線を移す。
本当はこのデータ入力も、今日しなければいけないわけじゃない。ただ私が定時で帰る気分にならなかっただけだ。 一大決心をしてお断りのメールを送った次の日、法正さんから返信があった。 何かありましたか、という、気遣うようなその文面に私はまた舞い上がりそうになり、しかしそれ以上に落ち込みもした。 自分は自惚れているのかもしれない、そうだとしたら恥ずかしいしみっともない。そんな感情がぐるぐると堂々巡りする。 結局、法正さんからのそのメールに返信はしていない。
「…今日なに食べようかな」
帰りに調達する夕飯について考えを巡らせる。 作る気力はあるはずもございません。誰に言うでもない言い訳を心の中で呟いて正当化する。
パソコンをシャットダウンさせようと操作したとき、――廊下から足音が聞こえた。 コツコツとフロアを踏む音はどんどん大きくなる。顔を上げて時計をちらりと見て、何故か嫌な予感が胸をよぎった。 今と全く同じ状況、なんだか前にもあったような。 いやいやと打ち消す。多分趙雲とか馬超とか、警備員の人とかだ。きっとそう。そうじゃなきゃ、
「――何故こんな時間にこんなところにいるんですかあなたは」
なんで、なんだって。 フロアの入り口に立ち険しい顔で私を見つめる法正さんを、どこか呆然と見る。 会いたくないはずなのに、苦しいはずなのに、どこかで期待していた自分がみっともないじゃないか。
「…なんて顔をしているんですか」 「…え、」
ゆっくりと部屋に入ってきた法正さんが、眉間をぐっと詰めて複雑そうな表情を浮かべる。そんな顔をしたいのは俺の方だ、と呟くのが聞こえた。私は一体どんな顔をしているんだろう。 パソコン画面を見ると、『新しいプログラムを更新中です』と表示されている。タイミング悪すぎる。 私の目の前で法正さんの足が止まり、私はまた彼を見上げるしかなかった。
「……俺との約束をキャンセルする、何かもっと大事な用事があったのではないですか」
法正さんより、大事な用事。 他ならない本人の口からそう言われたということに理解が及んで――ぷつり、と私の中の何かが切れた。
「…それは……っ」 「…はい?」 「それは、法正さんの方じゃないですか…!」
喉がひくついて涙がぼろぼろと溢れた。 ぎょっとしたような顔の法正さんを下から睨み付けて、上手く出せない声を絞り出す。
「け、結婚…するなら……私なんか遊びか繋ぎなら、もう放っといてくださいよ……!」 「……は?何を言って、」 「そのたびに期待しちゃう私が馬鹿みたいじゃないですか…!」
しゃくり上げそうになる息を必死に押さえつけて叫ぶと、涙がぼたぼたと床に落ちた。 唇を噛み締めて俯く。更に床に水滴が落ちるが、もうどうでもいいと思った。 そのとき、頭上で舌打ちした音が聞こえ――力ずくで腕を引かれた。
「……なんだ遊びって。ふざけるなよ」
低いドスの効いた声が耳のすぐ近くで聞こえて、ぞわりと肌が粟立つ。 背中にある大きな腕に容赦なく力が籠められ、法正さんに抱きすくめられているということに気がついた。
「…ちょ、痛…っやめ、」 「あれだけあなたに報いていたというのに分かってもらえなかったというなら、俺にも考えがあります」 「何ですかそれ、法正さん結婚するんでしょうっ!?」 「…………は?」
無我夢中で叫びながら抵抗していると、何の前触れもなく突然、私の背中を羽交い締めしていた力がなくなった。 え、と驚きながらも顔を上げると、目を見開いてぽかんとした表情の法正さんと目が合う。え、何ですかその顔。
「……結婚、?」 「…え、法正さん結婚されるって…」 「しませんが」 「へ」
お互いにぽかんと見つめ合う。 結婚しない?誰が?どういうこと? やっと回転しだした頭で、はっと我に返った。
「あの、社長の勧めで、とか」 「…ああ、劉備殿に勧められた見合いの話ですか」
見合いってなんだ。 法正さんの発言についていけないまま言葉をなくした私に、まあ断りましたけど、と法正さんは事も無げに続けた。 えっと、ちょっと待て。
「……唯緋殿」 「……はい」 「…俺が結婚すると勘違いしたから、今日の誘いを断ったんですか?」
再度ぽかんと法正さんを見上げて、――顔が沸騰した。
「えっいやその」 「なるほど、よく分かりました。ところでさっきの『期待する』という唯緋殿の発言について詳しく聞きたいですね」 「……っ!!それは、あの、」 「俺に構われると何を期待するんです?何故期待するんです?」
とんでもなく顔が赤いであろうことが嫌でも分かる。というか怒濤の展開に頭がついていかない。 必死に離れようとしたが、いつの間にか腕はしっかりと捕まえられていて身動きできない。 法正さんの顔がじとりと近づいてきて、その距離に息を飲んだ。
「言うまで逃がしません」
物凄く楽しそうな、そして意地の悪そうなその顔に私は遂に観念した。
「……す、すきです…」 「誰がですか?」 「だ、だから……法正さんが好きです…」
消え入るような声で言うと、腕を引かれて抱き締められた。 もう一度背中に回った腕は、今度はひどく優しかった。法正さんの広い胸に顔を寄させるように頭の後ろを撫でられる。 耳元で、俺もです、と囁かれて初めて、私はそろそろと彼の背中に腕を伸ばした。
love actually is all around.
「……で、」
無造作に髪を撫でる手に緊張しつつも大人しくしていると、頭上でふいに声が落ちた。 目を上げてみると、法正さんの顔は私のデスクの上に向けられている。観察するようにまじまじと眺めてから私を見下ろした。
「仕事は終わったんですか」 「…えと、まぁ」
歯切れ悪く返答した私に法正さんは一瞬だけ疑るような目をして、まあいいですけど、と肩をすくめる。 法正さんとの約束をキャンセルしたためにできた時間を今する必要はない仕事で埋めてました、とは言えない。しかも本人に。 居心地悪くもぞもぞ動いた私をゆっくりと離し、顔を検分した法正さんが小さく笑った。
「その顔では外に食事には行けませんね」 「えっ」
その言葉で、はっと気づく。 私がさっきまで顔を埋めていた法正さんのスーツには、涙と化粧の跡がありありと残っている。背筋を嫌な汗がつたった。
「…あの、法正さん」 「はい?」 「スーツ…すみません」 「…ああ。このぐらい洗えばすむ話ですし構いませんよ」
あまり気にしていなさそうにスーツの襟を正した法正さんは私なんかよりよっぽど大人で、なんとなく気恥ずかしくなる。 身体を縮込ませる私の顔を覗きながら、法正さんは弧を描くように笑みを作った。何か企んでる気がする。
「スーツを脱ぎたいので俺は家に帰りますが、唯緋殿も来ますよね?」 「……、え」 「また断る、なんて言いませんよね」
文脈としては尋ねられているはずなのに、口調は明らかに断定している。 恩も借りもきっちり返させてもらいましょうか、と言った法正さんは誰がどう見ても悪どい笑みを浮かべていて、しかし私には幸せそうにも見えた。 だから私も覚悟を決めて、降伏することにしたのでした。
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