December,18,
せっかくですからどこかで食事でも、と言いたいところですが――野暮用がありましてね。代わりと言っては何ですが来週のお誘いをしたいと思っていまして――24日の夜です。ええ、良い店があるんですよ。予約しておいて構いませんか?
口元がむずむずと動きそうになるのを堪える。 昨日の帰り際、会社の前で法正さんに言われた言葉を思い出すたびに顔はにやけ足をバタつかせたくなる。昨日の夜から今朝になっても、その症状は治まらない。 他の人にそんなところを見られるわけにはいかないので、仕事中は我慢だ。ああでもやっぱりむずむずする。
「……唯緋、そんなに醤油をかけるのか」 「え?」
聞こえた声にはっとなって瞬きをした。 目の前で、茶碗を片手に持ち箸を握った趙雲が真面目な顔で私の手元を凝視している。つられてその視線を追い、うわっ、と慌てて手を止めた。 記憶を遡っては心の中でニヤニヤしている間に、小鉢の冷奴は醤油浸しだ。
「何か考え事か?」 「へ、あ、ううん別に」
真面目な顔のまま尋ねてきた趙雲に内心焦りつつも首を横に振る。 賑やかな昼食どきの社員食堂で、微妙に上擦った私の声は上手くごまかされたらしい。趙雲はそれ以上は追及せず、また食事に戻った。 迂闊な自分に反省する。う、冷奴しょっぱい。 そんな私を不思議そうな顔で見ていた馬超が、ふと何かを思い出したように声を上げた。
「あぁ、そういえば法正殿が結婚するらしいな」
口の中のものを飲み込んだ音が、自分の中でやけに大きく聞こえた。あんなにからかったのに、何も味を感じない。 馬超は今、何て言った?
「法正殿が?」 「なんでも、劉備殿から勧められた話だそうだ」 「そうか…諸葛亮殿の結婚にも驚いたが、法正殿もとは」 「確かにな。おい唯緋、お前は法正殿と仲も良かっただろう。何か詳しく聞いていないのか?」
話を振られて、自分の肩が揺れるのが分かる。 首を横に振ると、そうか、と頷いて馬超は趙雲とまた話し出した。 私は黙ったまま箸を握り締める。指先は冷えて、どくどくと心臓の音が聞こえた。 馬超の台詞を反芻する。そんな話は聞いたことがなかった、それに昨日、法正さんは私に。 胃が捩れたように痛い、吐き気がする。 昼食はその後も全く味がしなかった。 法正さんが――結婚。
*
なんとか一日の仕事を終え、家へと帰りついた。 食欲はあまりなかったのでとりあえずシャワーを浴び、半乾きの髪にタオルを被せたままいつもの定位置に腰を下ろす。 膝を抱えて座り込み、机の上に置いたケータイを見つめる。
あれから考えた。 頭の中は最悪のケースばかりを想像する。結婚する予定の人が異性をクリスマスイブに誘うなんて、私には嫌な解釈しか想像できない。 遊びか、結婚するまでの繋ぎ? 自分で自分の精神をざくざく刺している気分だ。 法正さんがそんなことをする人には思えない。でもそれすら私のただの思い込みだったら。
「……あー…」
組んだ腕に顔を埋める。 なんにせよ一番痛いのは、優しくされて舞い上がっていた自分自身だ。 親しくなって、そのまま好きになってしまった自分が酷く滑稽に思えた。
そのときふいにケータイが震えた。 メールの着信を告げるそれに、のろのろと顔を上げる。ちかちか光るケータイに手を伸ばし開く。 そして、そこに映った名前を見て更に気分が落ち込んだ。
「…法正さん」
内容は24日の服装についてで、簡単なドレスコードがあるとのことだった。 何だかすごいところだなぁ。私なんかをそんなお店に連れていって何の意味があるんだろう。 差出人欄の名前をぼんやりと見つめる。 今朝までは、見るたびにどきどきしていた法正さんの名前なのに、今は違う。重たいものが胃の底に溜まっていくみたいだ。
それからたっぷり30分は考えて、私はついに――24日の約束を断りたい――とだけ返信した。
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