その後の二人



「これ、いるかなぁ」

ぽつりと言った私の言葉に、惇は傾けたコーヒーカップを止めて下ろす。カチ、と食器の触れ合う音がして、手元から上げた私の目と眉間に皺を寄せて見る惇の目が合った。
なんという渋顔だろうか。

「…どういう意味だ」
「あー、あのね。惇から指輪が欲しくないって意味じゃないの」

むしろ嬉しいくらいなんだけど、と続けると、惇は強張っていた肩を少しだけ緩めてしかし訝しげな顔をした。

あの日突き付けられた婚姻届はきちんと二人分の記入が済まされ、今は惇の部屋の貴重品棚に保管されている。
籍を入れるのはお互いに両親の挨拶やら仕事関係のことが済んでからが妥当だという相談に落ち着いた結果だ。ブチ切れた勢いのままだった惇は、今すぐ提出すればいいと鼻息が荒かったが。
僅かな荷物ごと惇の部屋に連れ戻され(王異の家に迎えという名の半ば連れ去る勢いでやって来た)また元の生活に戻った私達は、驚くくらい穏やかに日々を過ごしている。

社員食堂の賑やかな喧騒のなか、前までの惇ならこんな公衆の目がある場所で私と二人の姿を見せるなんてしなかっただろうなぁ、と一人ごちる。ましてや話題は婚約指輪ときた。
どういう意味だ、と言わんばかりの表情で私に続きを促す惇のむすっとした顔に苦笑いを返しながら眉を下げる。

「会社の人とか周囲も、私達の関係は大抵知ってるでしょ?その周知の事実状態であえてしるしがいるかなぁって」
「…だが、」
「だったらね、そのお金で二人で旅行とかちょっと奮発した美味しいもの食べたりとかしたいなーって思った」

これは結構効いたらしい。
難しい顔で腕を組み唸る惇は、私の言うことにも揺れていることが見てとれた。付き合ってからもお互い仕事仕事で忙しく、行ったことがない旅行に惇が二人で行きたい、と密かに思っていることは勿論知っている。
惇は真面目だから、きちんと手順を踏んで婚約指輪も用意するのが当たり前だと考えていたんだろう。 そんなとこも彼らしいといえばらしいんだけど。


「――うむ、わしも唯緋の意見に賛同する」

突如背後から聞こえた声に、ん、と顔を上げる。正面の惇が私の背後に視線を向けたままとてつもなく複雑な表情になったのを見て、声の主が誰なのか分かった。
振り向くと、口元に弧を描いて妙に大物らしいオーラを発する姿が目に入る。

「…孟徳」
「夏侯惇よ。唯緋の言う通りあえて、しるし、がいるとはわしも思えぬな」

何でしるしにやたらアクセントを置いたんだ。なにニヤニヤしてるの曹操。
妙なしたり顔で私達を見ていた曹操が、間を置いて続ける。

「唯緋の耳の後ろに、もっと明確なしるしがあるというのに、他のものは必要無いであろう」

耳の、後ろ?
曹操の言葉の意味を測りかねて、え?と言った私とは対照的に、惇は飲みかけたコーヒーを盛大に吹いて噎せ込んだ。
意味が分からず惇を見ると、噎せながら思い切り視線をそらされる。
疑問符を浮かべながら耳の後ろに手をやり――はっ、となった。

「…そ、曹操!」
「よりを戻したかと思えば仲睦まじいことよ。見せつけられる方も気を遣うのだ。お盛んなのも良いが程々にし」
「孟徳!!」

笑いながらその場を後にする曹操を赤い顔のまま怒鳴って追いかけて行く惇を、椅子から動けないまま見送る。何事かと窺うような周囲の目が痛い。
とりあえず、結んでいた髪をほどいて下ろし耳を隠す。
私から見えない、ましてや自分も忘れてしまう場所に痕をつけるなと帰ったら説教してやる、と心中で固く決めた。




愛しさは夜毎増える






リウエスト内容[夏侯惇/『そうして夜が来る』続編/曹操が絡む]
同棲カップルってこんな感じに萌えの詰まった生活をしているという夢を見ています。むぎ様に続編でのリクエストを頂き、本当に嬉しかったです!惇兄の魅力を少しでも布教できていたらいいなと、いえ惇兄の魅力は周知だとは思うのですが、思う所存であります。曹操も楽しんで書かせて頂きました(*^^*)やっぱり曹操様と惇兄の関係はこうでないと!(笑)楽しいリクエストありがとうございました。他のお話へのあたたかいお言葉も、本当に感謝感謝です。どうぞこれからもよろしくお願いします!



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