「于禁殿をお慕いしています」

湿った土を踏みしめる音が止む。
昨夜からの雨は、大地だけでなく風にもそのじとりとした冷たさをもたらしていた。その風が私の頬を掠めていく。
私の前を歩く于禁殿がゆっくりと振り返った。彼の人を守る鎧が重たい音を立て、冷たい風が装束を揺らしている。

「……何を」
「私の気持ちをお伝えしておきたかったのです。于禁殿をお慕いしていると」
「…それはもう良い」

眉間に深く皺を刻み、口元を引き結んだ于禁殿をじっと見つめた。照れというよりは呆れ。そんな表情に見える。

「何故今、そのようなことを言う」

于禁殿の問いはこの場において何より尤もだろう。
勝ち戦だったとはいえ、戦いを終えたばかりの戦場で、私も于禁殿も泥と返り血にまみれている。馬を連れてくるよう部下を遣わせ陣へと戻る道中、しかも私は手負いだ。
けれども私は、止血のみを施された腕を持ち上げ于禁殿をまっすぐに見た。

「今だからこそと思いました」
「…」
「于禁殿の窮地に馳せ参じることができて嬉しいのです。この傷もその証ですから」
「…唯緋」
「諦めの悪い、その結果だとしても」

腕を振って見せると、于禁殿が目に見えて複雑そうな顔になった。眉はじっと寄り、溜め息が吐かれる。
于禁殿の隊を助勢するために駆けつけたとき、厳格な表情は微塵も崩さずしかし掛けられた、礼を言う、という言葉だけで私は全てを賭する気持ちになれた。于禁殿がきっとまた渋い顔をするだろうから、そのことは口に出さない。

「いつか、于禁殿に頼って頂けるようにと研鑽を積んできました。于禁殿の隊近くに配備されるよう、于禁殿の戦い方にとって最良の働きを目指してきたのです」

それもこれも全て、自分の心の奥であたためてきた気持ちゆえだ。
于禁殿は身動ぎと共に武器を持ち換え、私を見据えた。

「無謀は許さぬ。私がためというならば尚更だ」
「軍規を侵してまでの突出はしません。于禁殿のお考えには従います」
「…お前は私ではなく、曹操殿に仕えているはずだろう」
「お慕いする方に尽くしたいと思っては、いけませんか」

険しい顔で見下ろす于禁殿は、私の気持ちを測りかねているように思えた。
于禁殿は真面目で厳格で、何より大人だ。稚拙に迫る私の子供じみた計算も見通しているのだろう。

ふいに、蹄の音と人の気配がした。
于禁殿も私も一瞬で気配を尖らせ音のする前方を向く。
しかしそれは馬を引いてきた于禁殿の部下で、私は構えた武器を下ろしてふうと息を吐いた。于禁殿も同じように気配を解き、兵を労う言葉を掛ける。
どうやら馬は一頭しか連れてこられなかったらしい。

「…唯緋」

先に馬に跨がった于禁殿が、私に手を差し出す。
少し緊張しながら怪我をしていない方の手を重ねると、一息に引き上げられた。馬の背はあたたかく、目の前の背中は広い。

「……先程の話だが」
「はい」
「お前に私は釣り合わぬ。自らの身は自らで守ろう」

進みだした馬の歩みに揺られながら、いつもと何ら変わらない厳格な声音で于禁殿が言うのを聞く。
返事をしないのは小さな抵抗だ。さっきも言いましたが、私は諦めが悪いのです。




恋願わくは






リクエスト内容[于禁/武官主人公/想いを告げてあしらわれるがめげない]
于禁殿は主人公の真っ直ぐさが眩しくて、歳も離れた面白みもない自分とでは関係を持つなんて考えられないと思ってそうです。真面目なので真剣に考えた上であしらう于禁殿は色々な意味で難儀だなと思いました。もう少し明るいノリにしたかったのですが…厳格オーラを払えなかった…明太子様にお気に召して頂ければ有難いのですが;力量不足で、更にアップも大変遅くなり申し訳ありません。お褒めのお言葉ありがとうございます!おそれ多いです…こちらこそ楽しんで頂けて感謝です!これからもキャラが生き生きと動くお話作りを目指して精進致します。またいつでも遊びにいらして下さいませ!お気遣いも本当に…恐縮です。今回はリクエストありがとうございました(^^)



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