大きなお屋敷の広い廊下も綺麗な飾りも見慣れたものだけど、数週間見ない間に何故だかひどく懐かしいもののように感じられた。
私が廊下を歩いていても、すれ違う家政婦さんやお屋敷の人は誰も見咎めたりしない。黙って微笑んで一礼。それに私はいつも通り曖昧な笑みを浮かべて会釈する。
そうして辿り着いた士季の部屋の扉を開ける。
明かりのついていないその部屋は、カーテンの開いた窓から差し込む日の光を浴びてとても静かだ。そっと扉を閉め、主のいない部屋の中をゆっくりと進む。
部屋の中央に置かれた真っ白なシーツにちらりと目をやる。昔から、外着でベッドに乗るのを士季は嫌がった。
潔癖症。だけど、基本的に他人を部屋に入れることすら嫌がる士季にとって、私はそれだけ心を許されていたんだろう。そんなことに今さら気付く。
部屋の手前にあるソファに腰を下ろし、ゆっくりと背もたれに背中を預けた。視界に入った壁掛け時計は、士季が帰ってくる時間より一時間ほど前を指している。
早く帰ってきてよ。
呟いた私の声は響くこともなく部屋の中で消えていった。
***
ふいに扉の向こうから騒がしい気配がした。
お屋敷内が妙に浮わつくこの空気は知っている。この家の人間が帰ってきたときのものだ。
時計を見ると、6時過ぎ。こんな時間に帰ってくるのはこの大きな家で一人しかいない。
部屋に段々と近付いてくる足音がして、それが一瞬止まり扉が開かれる音がした。そのままカツカツと鳴る革靴の音が、姿を現すと同時に止まる。
「…おかえり」
ソファに凭れたまま首を傾けて目を合わせた私に、士季は目を見開いて瞬きをして、その後すぐに呆れたような顔になった。
小さく溜め息を吐いて制服の上着を脱ぎ始める士季をぼんやりと見る。思ってたより前と変わらないなぁ。
「今日は生徒会早く終わったんだね」
返事をしない士季に尚も言葉をかける。
士季は私に背を向けてクローゼットを開け、上着を吊るした。ハンガーが鳴るカチャリという音が空気を支配する。
「士季の家、なんか久しぶりな気がした。二週間くらいしか来てなかっただけなのに」
バン、とクローゼットが力任せに閉められる音がした。
目をやると、両手でクローゼットの取っ手を握り締め肩を吊り上げる士季の背中が見えた。
その背中が大きく揺れる。
「――お前は、何をしに来たんだ」
相変わらず感情を隠すのが下手くそだ。
ソファから立ち上がって、背中を向けたままの士季の後ろに歩いていく。
頑としてこちらを振り向かない背中を前に、足を止めた。
「士季に話さないといけないことがあって来たの」
「……」
「今日また先輩と一緒に帰ったけど、どきどきしなかった。士季が女子と話してるのは見ただけで胸の辺りがざわざわしたのに」
息を一つ吐く。指先がガラにもなく微かに震えているのが分かる。
士季はぴくりとも動かなかった。
「司馬昭に相談したら、士季は私のことが好きなんじゃないかって言われて、そんなはずないって言ったんだけど。今は、そうだったら良いのにって思ってる」
声は震えてなかっただろうか。
「士季が好きだよ。ずっと前から特別だったって気付いた」
言い終わるのと同時に、振り向いた士季に真正面から抱き締められた。
腕の力が痛い。でも全く嫌じゃないと思うくらいには、酔ってる自分に目を瞑らせて欲しい。
「…気付くのが遅いんだよお前は…」
「うん、ごめん」
さらにきつくなった腕に、士季の服の裾を引っ張って小さく抵抗する。案の定完全に無視された。
好きだ、と言った小さな士季の声に聞こえないふりしてやって、ささやかな仕返しをすることにした。