December,1X,
キーボードをたたく音と、資料や紙束のかさついた音がオフィスに響く。今年も節電絶賛推進中の我が社では最低限の照明と共に残業の夜は続くのだ。しかも、電話で無茶な注文を振ってきた上司は出張で今日は帰ってこないらしい。
「あー帰れなーい…」
窓の外に写り込むイルミネーションを横目に、資料を軽く整え溜め息を吐く。肩を回すと、ぱき、と小気味良い音がしてげんなりとした。
今日は帰りにコンビニで甘いものでも買おう。そうしよう。
そんな現実逃避で自分を慰めていると、廊下を歩く足音が聞こえてきた。
まだ残ってる人が私以外にもいたのか。趙雲?馬岱?頭の中で、よく残業をしている面子の顔を思い浮かべつつ手元から目を上げる。
そして目に映った人に思わず目を丸くしてしまった。
「お疲れ様です」
「…法正さん」
廊下の暗がりから姿を現し、オフィスの明かりに少し眩しそうに目を細めた法正さんがニヒルな笑みを浮かべる。ぽかん、とした私に歩み寄りながら、口が開いている、と指摘をくれた。慌てて口を閉じる。
「残業ですか」
「あ、はい」
私のデスクの前まで来て、その辺の椅子を引いて腰を下ろす法正さんをきょとんとしたまま見つめる。法正さんは私の上司と同じで優秀なので、仕事を残してしまうことなんてほとんどないのに珍しい。
スーツを緩く着崩した法正さんは何故か手ぶらで、長い足を組んで私の手元の資料を眺めた。
「…後はその入力だけか?」
「え?はい、まぁ」
「なら、二人で手分けした方が早く終わるでしょう」
え、と目を点にした私の手から、法正さんは自然な動作で資料の一部を抜き取る。そのまま慣れた手付きで据え置きのデスクトップを立ち上げた。
そこまでただ見つめていて、はっ、と我に返る。
「そ、そんな、悪いですっ」
「お気にせず。この間の恩を返すだけのことですから」
「恩って…」
もしかしてコンタクトを拾ったときのことだろうか。法正さんは義理堅い人なんだなぁと思い、いやいや釣り合いが取れていないだろうと慌てて思い直す。
「法正さんも何か用事があって残られてたんじゃ、」
「俺ですか?いえ特には」
「え、えぇ…」
「…俺が手伝ったと知れば諸葛亮殿はあまり喜ばないでしょうが、まぁ、あなたが気にすることではありませんよ」
そう言って法正さんは片眉を持ち上げて苦笑した。突然話題に上った私の上司の名前に小さく肩が跳ねたが、どうやらお二人は微妙な関係性らしい。
突っ込むのも野暮だろう、と考えていると聞こえてきたタイピング音に小さく目を上げる。パソコンに向かい、私なんかよりよっぽど早い速度で進められる打ち込みに、手伝ってもらえるのは確かにありがたいし、とお言葉に甘えることにした。
「……仕方がないとはいえ、女性が一人で遅くまで残るのはあまり良くない。俺のような悪党も彷徨いていることですし」
しばらくキーボードをたたく音が占めていた中、ふいに聞こえた低い声に虚をつかれて顔を上げる。
法正さんは手の動きを止めずに私を、ちら、見やり、ほんの少し口の端を持ち上げた。
「…法正さんは悪党ではないですよ、優しい方です」
「……」
結構本気で言ったのに、法正さんはなんとも言えない表情を浮かべただけだった。