#現代設定



もう何往復したか分からない廊下を忙しなく歩く。思った以上に大きな足音を立ててしまっていて、慌ててあまり音の立たない歩き方に変える。昔から教えられ続けたしきたりというものは、なかなか蔑ろにできない。
それにしてもやっぱりこのお屋敷は格段に広い。小さい頃は何度となく迷った景色を眺めながら思う。
曹家の親戚筋に生まれた私にとって、この本家のお屋敷は年始の挨拶のときにだけ訪れる場所だった。
親戚衆が一堂に会するこの時期、女手は給仕に大忙しになる。何せ酒呑みが多いのだ。
今年も私は例に漏れず、お膳を下げたり新しいお酒を運んだりと、宴会部屋と台所とを行ったり来たりしていた。

「…夏侯覇くん大丈夫かな」

さっき宴席に置いてきた義理の従甥のことをふと思い出す。
曹操さんに狙いを絞られかなり飲まされていて、結構きてるようだった。お水を渡して背中をさすってあげたらそのまま机に突っ伏してしまったけど。
淵ちゃんは、放っといて大丈夫、なんて言って笑ってたし。

心配だな、とぼんやり思っていたそのとき、すぐ近くでガタガタと物音がした。
え、と思ったときには――斜め後方から右腕をがしりと掴まれていて、そのまま強い力で引っ張られた。
たたらを踏むように引っ張り込まれた薄暗い部屋の中、目の前で扉が荒く閉められる。まだよく状況を理解できていない私に、背後から何かがのし掛かってきた。
後ろから伸びてきた腕にがっちりと抱き込められ、そこで初めて身体が強ばった。
え、新手のセクハラ?それとも曹操さんの悪戯?
何にせよ抵抗しようとして、――耳の近くで聞こえた、唸るような溜め息にぴたりと動きが止まる。
妙に聞き覚えのあるその声と、後ろから回された左手薬指に嵌まる見覚えのありすぎる指輪。

「……惇?」

私の背中に体重をかけてくる人間にそう問えば、返事のようなものが返ってきた。唸り声だったけど。
身体から力が抜ける。惇にもそれが分かったのか、私にかける重さが少しだけ減った。

「どうしたの、何かあった?」
「……」
「持ってきて欲しいものでもあったの」
「…お前の姿が見えなかった」
「え?」

ぼそりと呟かれた言葉に、思わず振り向こうとした。けれど惇の頭は私の頭上にあり、顔を見ることができない。
後ろから抱き締められたまま、瞬きをする。

「…私のこと探してたの?」
「……」
「どしたの惇、酔ってるでしょ」
「酔ってはいない」

絶対に酔ってる。普段の惇なら口が裂けても言わないような台詞だ。
何だか可愛く思えてきて、右手で惇の左手の甲を撫でてみた。私の肩を抱いていたその手が離れ、指が絡められる。ますますもって珍しい。

「…さっきも、覇に付きっきりだっただろう」
「大変そうだったからね」
「年始はいつもそうだ、お前は給仕や他の奴の世話に忙しい」
「この家に限っては仕方ないよ」

それは分かっている、と言った惇が黙りこくってまたのそりと体重をかけてくる。私は何も言わず、それを甘んじて受け止めた。

「……たまには、唯緋と二人で正月を迎えたいと思ったりもする」

惇の顔が見たいのに、後ろから抱き締められているせいで振り向けない。
今ようやく、私に顔を見られないようにするための惇の作戦だったのだと気がついた。




恋ぞつもりて淵となりぬる




来年は海外にでも行っちゃう?と冗談めかして言うと、惇が小さく笑う気配がした。
惇はこの家を本当に大事に思ってる人間だから、そんなことになるはずもないんだけれど。
それもいいな、と答えた声がやけに幸せそうだったから、それで充分満足だ。



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