#現代設定
フロント台に備え付けられたベルのすぐ側に小さめのメッセージプレートを置く。
『ご用の方はお手数ですがベルを鳴らしてお呼び下さい』と書いてあるそれは、基本的にはこの夜の時間だけ役目を果たしている。ビジネスホテルという場所柄、フロントに人がいないということはまずないからだ。
カウンター上部の灯りだけ付けたままにし、ロビーの電気を順番に消して非常照明のみにする。
途端に暗くなったエントランスロビーはちょっと不気味なくらい静かになった。もう慣れたから怖くはないけれど。
フロントカウンターを後にして、奥の休憩室に向かう。扉を開けると、先に上がっていた同僚が顔を私に向けた。
「フロントやってきたよ」
「おう」
頷いて缶コーヒーを呷った甘寧の座る向かい、机を挟んだパイプ椅子に歩み寄る。
その席には缶のカフェオレが置かれていて、思わずちょっと目を丸くして向かいにある顔を見た。
「…これ貰ってもいいの?」
「あー、まぁ、そんくらい気にすんな」
「甘寧ありがとう」
居心地悪そうに身動ぎしていた甘寧に素直に感謝を口にすると、目をそらしながらも満更ではなさそうだ。ここのバイト経験としては私より一ヶ月ほどだけ先輩であるこの同僚が、後輩たちに慕われているわけがなんとなく分かった気がする。
パイプ椅子に腰を下ろし、カフェオレを両手に包む。まだ温かい。
フロントは外気に近いため何気に寒いのだ。気遣いを嬉しく思いながら缶のプルタブを開ける。
「夜に来た三階の女二人連れ、どういう関係だろうな。友達にしちゃ口調が堅苦しかったしよ」
「今日最後にチェックインしたお客様のこと?んー確かに距離感が微妙だったね…仲は良さそうだったけど」
「先輩後輩とかか」
「かなあ」
他愛もない話をしながらカフェオレをゆっくり一口飲んだ。
疲れた身体に甘さがじわーっと広がっていく。
ふう、と息を吐いて肩の力が抜けたと同時に、一気に眠気が襲ってきた。
あ、やばい。
抗おうと思うのに異様に瞼が重い。今日はお客様の入れ替わりが多くて忙しかったし、と言い訳のような言葉が頭に浮かぶ。
缶を持つ手元が視界の中でぼんやりと薄れていくのが分かる。
甘寧の話し声を遠くで聞きながら、私は意識を手放した。
*
なんか痛い。
いや痛いってほどじゃないんだけど、違和感。
何か引っ張られているような…なんだ?
「――やっと起きたか」
ぼんやりした目の前に、少し不機嫌そうな顔があった。
瞬きを一度する。目の前にあるのは勿論甘寧の顔で、机に軽く身を乗り出すようにしていた。
そこから伸ばされた右手は、――私の左の頬を摘まんでいる。
「……え」
「一瞬で寝やがって」
覚醒しきらない頭で気の抜けた声を発した私に、甘寧はジト目を向けた。頬を摘まむ指がぐりぐりと動く。
「…私寝てた?」
「気持ち良さそうにな。お前が寝たら俺も寝ちまうだろ、話相手になれや」
「あー、ごめん」
夜勤が二人のときに一人が寝てしまうともう一人は時間をもて余すことは必然だ。素直に謝ると甘寧の手が離れていった。
しかし甘寧はまだどこか不機嫌そうにぶつぶつと呟いている。
「……この状況で無防備に寝んなよ」
「え?」
「なんでもねえ」
髪をぐしゃぐしゃ混ぜながら小さくそっぽを向いた甘寧の顔をそうっと窺う。
その顔の奥に見えた時計を何気なく視界に入れ、あれ、と思った。
私が休憩室に来た時間から、20分近く経っている。
バイトの夜勤でまあ仕事中であるとはいえ、こいつは危機感てのがなさすぎると思う。
買っといてやった缶のカフェオレを大事そうに両手で持ちながら、微かな寝息を立てる目の前の唯緋を眺める。
幸せそうな顔をしているのが微妙に腹立つ。寝顔を見れて嬉しいとか、情けない自分の気持ちも自覚してるだけに尚更だ。
てかこいつまさか他の奴と夜勤のときもこんな無防備晒してんじゃねぇだろうな。
誰にぶつけたらいいのかも分からない妙な怒りが沸き上がる。だが、口を半開きにして何かもそもそと寝言を言う唯緋を見ていたらそんな怒りも萎んでいった。残るのはやるせなさだ。
振り返って時計を見る。長針があの位置に来たら起こす、と決めて缶コーヒーをぐいっと呷った。
それまで寝顔くらい見てたっていいだろ。
ミッドナイト理論