その二人のとある日



「……よし」

送信のボタンを押し、ふぅと一つ息を吐く。ロッカーが並ぶ更衣室は静かで、一枚扉を隔てた外の喧騒が嘘みたいだ。
休憩も終わり、これから仕事の後半戦。サービス業はお昼を食べる時間がずれることが多いのが難点である。
――送信完了。
画面に映し出された文字を確認し、ディスプレイを消して鞄の中にしまう。ロッカーの鍵を閉め、更衣室の全身鏡で軽く制服を整えてにっこりと笑顔の確認。よし、行こう。



「休憩頂きました」

声を掛けながら店内に戻ると、ピークを過ぎた厨房はさっきより少し落ち着いていた。店内を見渡して、お客様の量を把握する。まぁこの時間帯ならこんなもんかな。
ディナーメニューと交換され回収されていたランチ専用メニューを拭こうと消毒液を取り出していると、お皿を下げて戻ってきたらしいアルバイトの子が私に近付いてきた。ん、と顔を上げると、悪戯っぽい笑みを浮かべた表情。

「お帰りなさい唯緋さん、彼氏さんとお電話してたんですか?」
「…いや、電話はしてないけど」

やけに断定的な問いかけに若干引きつつ答えると、その子は口の端をさらに持ち上げて笑い、やっぱり、と言った。

「じゃあメールですか?だって唯緋さん嬉しそうですもん」

彼女は何か妙な力でも持ってるんだろうか。
何をもってそう判断したのか真剣に謎だと思いながら、黙って消毒を始める。彼女は食器やカトラリーを分けながら、いいなー、と眉を下げて悩ましげな溜め息を吐いた。今どきの女子大生は複雑怪奇だ。



***



「――どうした呂蒙、彼女か」

完全に油断していた背後から掛けられた声に、肩が嫌な跳ね方をした。
楽しそうな響きを湛えた声は、振り向かなくともその表情まで想像がついてしまう。何とも言えず居た堪れない気持ちで振り返ると、案の定笑みを浮かべた魯粛殿が立っていた。

「…何ですか、唐突に」
「いやなに、やけに嬉しそうにケータイを見ているなと思ってな」

ぐっ、と言葉に詰まる。表情に出していたつもりは無かったのだが、まさか情けない顔を晒していたのだろうか。
いい加減、いい歳した男が指摘されるべきではないことを言われ何とも苦い表情になる。そんな俺に魯粛殿は相変わらず鷹揚に笑って俺の肩を軽く叩いた。

「俺とて連絡が来れば笑顔にくらいなるぞ」
「…魯粛殿の場合は奥様なのですから、俺とは少し違うでしょう」
「やはり相手は彼女か」

今度こそ、額に手をやりたくなった。
魯粛殿は満足そうに笑って片手を振りつつ俺を置いて行ってしまう。今日は早く帰れよ、と言い置かれた言葉に口の中だけで曖昧に返事をし、溜め息を吐いた。
右手に提げたままだったケータイの光る画面を、ちら、と見やる。

『新店舗の成績良かったみたいで大入り入った!今日の晩ご飯はちょっと奮発して豪華にするね』

少し考え、よし、と頷いてケータイをしまい歩き出す。
確認した文面のお陰か、さっき受けたダメージもほとんど消えていることが我ながらむず痒く感じた。



***



店内の清掃を済ませ、ゴミ袋をまとめる。厨房の方も片付けはあらかた済んだようで、食洗機や乾燥機が動く鈍い音が聞こえる。
ちらっと見た腕時計は、いつもより少し早い時間を差していて、それに小さな達成感を覚えた。

帰りの買い物、ちょっと高いお肉買おうかな。いやでも呂蒙はお肉よりお魚の方が好きだし、良いやつをさくで買ってお刺身とか。いっそ鰻?
どうしようかと考えながら店の扉を開ける。からんと鳴ったベルの音を聞きつつ外に置いてある立て看板を店内に片付けようと抱え、――何の気なしに上げた目が点になった。

「……え、呂蒙?」
「あ、あぁ」

瞬きを一回、二回。
店の明かりに照らされる姿は、今日の朝に見たまま全く同じ服装の同棲相手その人だ。まだよく状況が飲み込めないまま、腕時計を見る。
呂蒙は大抵まだこの時間は会社にいるはずじゃ、と思ったとき、目の前の呂蒙が微妙に目線を外しつつ口を開いた。

「…あー、何だ。買い物をするなら荷物持ちがいるだろうと思ってな」
「…買い物…あ、メールの」
「仕事も早く終わったのでな。たまには共に帰るのも良いかと、…」

不自然に言葉を区切った呂蒙が視線は合わせないまま、くしゃりと髪を混ぜるのを見つめる。迎えに来てくれたということは、言わなくても分かった。

「ありがとう。後はゴミ捨ててくるだけだから、すぐ着替えて来るね。ちょっとだけ待ってて」
「あぁ。慌てなくて良いぞ」

頬が緩むのを抑えられない(抑える理由もない!)私の頭に、笑った呂蒙が手を伸ばす。
が、伸ばしかけられたその手が一瞬固まって引っ込められたのは、私の頭に制服の一部である帽子が載っていたからだと思う。断じて、店内から私達の様子をニヤニヤと窺う同僚達の姿が目に入ったからではない。




浮上する有体



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