#社会人設定
「あー、茄子安い。買いだね」
「何を作るんだ?」
「麻婆茄子とか如何ですか」
「…おいちょっと待て。どれだけ作るつもりだ」
話しながら、無愛想な緑色のスーパーのカゴに放り込まれた茄子を鍾会がいくつか取って陳列棚に戻す。折角安いのに。唇を尖らして反抗する私に鍾会は、何日も連続で同じ食事が続くなんて論外だね、と呆れた風情で言った。我儘なやつめ。
金曜日の夜、夕食の支度を控えた主婦でごった返す時間帯を過ぎたスーパーの食品売り場は、どこか古ぼけたメロディが流れていて穏やかな喧騒に包まれている。その中を私たちと同じように買い物カゴを提げて歩く人々は一様に仕事帰りらしい風貌だ。
ある意味では見慣れた景色である。
「そういえば唯緋、酒を切らしていなかったか」
「え?…そう言われたらあと一、二本しか無かったかも…」
頭の中で鍾会の家の冷蔵庫の中を思い出そうと必死で記憶を漁り、ふと気付いて中断する。
「ていうか、一緒に住んでるわけでも無いのにあんたの家の備蓄事情まで把握してないって」
「ふん、役に立たないな」
「何その言い草!」
せせら笑うようにそう言ってお酒コーナーへと進路変更した鍾会に、むっとしたままついていく。
恋人に言う言い方じゃないでしょそれ。喉まで出かかった糾弾が不発に終わったのは、鍾会の足が私の好きなワインコーナーへと向かっていることに気付いたからだ。本人も気付いていないこんな分かりにくい優しさがひっそり嬉しい。
ワインコーナーの一角で試飲を配っていたパートらしきおばさんが、私たちに気付いたようでにっこりと笑い勧めてきた。
「試飲どうぞ。取り扱うようになったばかりの商品なんです」
「あ、じゃあ」
すぐに飛び付いた私を鍾会が小さく鼻で笑う。悪意があるわけでなく彼の癖みたいなものだから、と気にせず私は小さな紙コップを受け取った。
「ん、美味しい」
「ありがとうございます。奥様の自分へのご褒美に如何ですか?」
きょとんとなってパートのおばさんを見る。揺るぎない笑顔だ。
そしてほとんど無意識に視線を鍾会に移した。
「…そこでニヤけるのは普通私の方だと思うんだけど」
「…う、うるさい!」
真っ赤になって口元を手で隠しながら噛みついた鍾会は、にこにこするおばさんから逃げるように積まれたワインを一本ひっ掴んで踵を返す。慌てて後を追いながら、ありがとうございましたー、と掛けられた声に軽く会釈をした。
「…照れ隠しくらいもっと可愛くすればいいのに」
「うるさい。男に可愛いとか言うな」
まだ耳をほんのり赤くしたまま不機嫌丸出しの顔で早足に歩く鍾会を追いつつ、ていうか、と首を傾げる。
「私は鍾会の奥さんじゃないし」
私の言葉に突然足を止めた鍾会は、つんのめるようにして何とか立ち止まった私に即座に振り向き、ちら、と私の左手を見やった。困惑したような、しかし訝しそうに目を細めた表情に、文句を言おうとした声を収める。
「…指輪ならやっただろう」
「でもはっきりした言葉は言われてないし」
鍾会が思いきり眉間に皺を寄せて目をそらす。後ろめたく感じているときの彼の癖だ。
私が口の端を持ち上げて笑うと、鍾会は一層皺を深くして私の視線から逃げる。その反応に気をよくした私が鍾会を置いて歩き出すと、後ろで慌てたような足音が遅れて聞こえてきた。
「日曜日にでも夜景の見えるレストラン予約しよっか?」
「…うるさい」
反撃のように不意に絡め取られた左手に内心小さく、どきり、となる。
繋いだまま私の薬指を撫でている一回り大きな指。相応のお店を予約するというのもあながち冗談にはならなさそうだ。
なんでもない明日が来る幸せ