ゆっくりと、体重が掛けられた。
誰もいない執務室、椅子に座った俺の腿に小ぶりな膝が乗り上げ衣が擦れる微かな音が耳に届く。
俺の首筋を滑るかのように、細い指、小さな手のひら、華奢な腕が順を追ってゆっくりと回される。
それと同時に、ぐっ、と近付けられた身体はもう俺の身体と密着する寸前だ。人間の持つ生々しい温度をありえないほど近くに感じる。

なんだ。なんでこんなことになってんだ。

頭の中でガンガンと鳴り響く声は口から音になって出ていくことはない。金縛りにあったように俺の身体は身動き一つ取れなかった。

俺の首裏を緩く這っていた手が、髪の間にその指を差し入れうなじを掻き上げる。まるで意思を持った生き物が蠢くかのようなそれに、ぞく、と身体が震えた。
そんな俺の反応に気付いたらしく、目の前の顔が、にこり、と笑みを浮かべた。

あぁ、これは、ちょっと本格的にやばい。



「――唯緋、」



喉奥から絞り出すようにしてやっと出てきた声は、掠れて、どこか甘ったるいものだった。格好悪すぎだろ、俺。こんなあからさまに物欲しそうな、正直自分で自分を殴りたいくらいだ。
そんな俺の声に、唯緋はさらに口角を持ち上げて笑う。
そしてそれを合図としたかのように、俺達のあいだにあった隙間を今度こそ完全に埋め、――あ、と思う間もなく唇を重ねてきた。

おいおいおい、ちょ、

触れ合っているそこに勝手に俺の全神経が集中する。じんわりと伝わる温度や、柔らかな感触が、強烈な信号となって俺の脳髄を殴りつける。
閉じ合わされた睫毛が、唯緋の頬に影を落としている。時折忍ばす吐息と呼応するように、その影が震えた。
悩ましげに喉の奥を鳴らしながら、唯緋の右手が俺の首から鎖骨、胸へと移動する。俺の身体の輪郭を確かめるみたいにして唯緋の指が衣越しに俺の肌を熱っぽく撫でた。

だめだ、だめだ、やめろ。

声を枯らして叫びたいのに声は出ない。その間も唯緋の手は俺の身体を滑る。

これ以上は限界だ、と熱に浮かされた頭が呟いた瞬間、触れていた唇を生暖かいぬめりが襲った。

――ぶちり、と頭の中で何かが焼き切れる音がした。



「…!!…り、て…」

僅かに伸ばされていた唯緋の舌に思い切り噛みつく。さっきまでの金縛りが嘘のように動いた左手で、俺は唯緋の後頭部をわし掴んで固定した。
苦しそうに唯緋の鼻が、すん、と鳴る。でももう遅い。後悔したってもう手遅れだ。
手を伸ばし、唯緋が纏った衣服の袷を力任せに暴いて、――









――目が覚めた。



見慣れた自室の寝台の上、窓からは朝日が差し込んでいる。
勿論のこと、室には呆然とする俺一人。



***



「…」

昼過ぎの市井、茶屋の店先の席に腰掛け自分の顔くらいはある肉まんにかぶりつく横顔をぼんやり眺める。いつも思うがその大きさ、女としてどうなんだ。

「ん?なに李典。言っとくけどあげないよ」
「…いらねぇよ」

今朝、今までの人生至上最も最悪な朝を迎えた俺のことなんて露ほども知らず、唯緋は全くもって色気の無いことを言う。

いっそ全力で殴りつけたい。
夢の中とはいえ、あろうことか唯緋に欲情した俺も、
今目の前で頬をいっぱいにしながら自分の唇を舐めた唯緋の舌に、どきり、としてしまった俺も。




掻きむしって剥離




口の回りについた肉まん舐め取っただけだぞおい。しっかりしろ俺。泣きてぇ。



×
BLコンテスト・グランプリ作品
「見えない臓器の名前は」
- ナノ -