#高校生設定
目についたのは偶然だった。
人影もまばらな放課後の下足室で、鞄の紐を握り締めて空を見つめる姿に、俺は思わず見入ってしまった。
かたん、と鳴った俺の靴音に気付いたのか、ふとこちらを振り返った彼女はほんの少し目を丸くして、すぐに笑顔を浮かべる。
「凌統くん。今帰り?」
「…あ、あぁ。あんたもかい?」
うん、と頷いた彼女の元まで歩いていく。クラスメイトの顔と名前くらいなら俺も把握している。彼女は確か、――唯緋だ。
隣に並ぶと、唯緋はまた群青色の空を見上げた。つられるように俺も降りしきる雨粒の先を見上げる。
「傘、誰かに持っていかれちゃったみたいでさ」
ぽつり、と零された言葉に彼女へと目線を落とすと、困ったように頬をかいて笑う姿が目に映る。
あぁ、だからこんなとこで空を眺めてたのか。理解が追い付いた俺の口から出た言葉は、自分自身思いもよらないような言葉だった。
「――良かったら、入ってく?」
右手に提げた傘を軽く振って見せると、唯緋はまた目を丸くさせて、そして笑った。
「助かる。ありがとう」
あ、そうやって笑うとえくぼが出るんだな。
*
「この先のT字路までで良いからね。私そこで左だからそこまでで大丈夫」
そう何度も主張する唯緋の勢いに気圧されながらも、雨の中を歩く。
足元で跳ねる水音に紛れて微かに触れる肩が妙に気になって仕方ない。それに引き換え彼女は屈託のない表情のままで。
「凌統くん今日部活は?」
「…ん、今日は休み」
「そっか。なんか毎日練習してるイメージがあったから」
「あー、ま、シーズンだからね」
他愛のない話をしながら静かな住宅街を進む。傘に当たる雨粒と彼女の声は不思議と聞き心地が良い。
「私ね、雨の日のたびに思うんだけど、雨って地上の空気が上に上がって冷やされて、それで水滴になって降るんだよね」
「あぁ」
「じゃあ、上に上がる空気に色をつけたすっごい細かい粉とか混ぜといたら、色つきの雨が降るんじゃないかなって」
「おー。それは面白いんじゃないの。…でもなんかそれ似たような話、なんかの漫画で見たことある気がするんだけど」
「あ、バレたか」
くるくると表情を変える唯緋につられて笑うと、彼女は少し恥ずかしそうに頬をかいた。
どうやら頬をかくのは彼女の癖らしい。そんなどこか子供っぽい仕草ですらも彼女には似合って見えて、俺は自然と何度も唯緋の横顔を見つめた。
さりげなく傘を彼女の方にほんの少し傾けて濡れることの無いようにしてやる。
「…なんか、不思議な感じ」
「ん?何がだい?」
唯緋の声に慌てて目線を前に移しつつ応えると、彼女が笑った気配を感じた。俺がこっそり見つめていたのがバレたのかと冷や汗をかいたが、どうやらそうではないらしい。
「凌統くんとこんなに近くで話したこと無かったからちょっと緊張する」
「え?」
「傘の中って、何だか別の世界って気がするから」
俺を見上げてはにかんだように笑う彼女を俺はただ見つめた。またえくぼが浮かんでる。
「今はその世界に凌統くんと私の二人だけ、っていうかさ」
――ちょっと、
言った後に照れるくらいなら言うなっての。
顔を赤くしてごにょごにょと言い訳めいた言葉を続ける彼女からなんとか視線を引き剥がし、前の一点を見つめる。
跳ねる雨の音も聞こえないくらい、――心臓がうるさい。
なんでもいいから喋ってくれよ。黙り込むなっての。
焦ったようなどこか浮わついた感覚は、見据えた先に小さく見えてきた分かれ道によって少しだけ収められた。
あのT字路までと言わず、良かったら――。
俺は口をゆっくりと開いた。
直径50センチメートルの世界に君と消える