「――唯緋」

聞き慣れた声にうっすら目を開けると、寝台の幕の隙間から降る光と精悍な逞しい腕が見えた。
ゆっくりと覚醒する思考が、私の肩を揺さぶる大きな手の熱を認識し自然と口元が緩む。

「…おはよ、惇」
「あぁ、おはよう」

もう起きろ、と言った夏侯惇はちょっと窮屈そうな姿勢で夜着の帯を緩め、寝台から抜け出した。そのまま衣服から肩を外しつつ立ち上がり、奥へ向かう。
隆々とした筋肉が主張するその後ろ姿を眺めながら、私は重い体をなんとか起こした。

「ね、惇」
「なんだ」
「私も水欲しいな」

寝台の中から奥にいる惇に呼び掛けると、惇は水差しから茶器に水を入れて持ってきてくれた。
朝の惇は優しい。

水をゆっくり飲んでいると、いつの間にか軽い普段着に身を包んだ惇は布を持ち室を出ていった。多分、外の井戸で顔を洗いにでも行ったのだろう。顔に似合わず几帳面で綺麗好きな所は相変わらずだ。

空になった茶器を膝に下ろし、息を吐いてぼんやりと静かな室を見渡す。夜が開けて、少し経った時分だろうか。室に差し込む日の光は柔らかい色をしている。
今日は差し迫った執務も特には無かったはず。それにしては起床時間は早すぎるが、もう慣れてしまった私はなんとも思わない。
普段は夜明け前に起きて活動を始める惇が、私に合わせていつもより寝坊してくれる、今日みたいな朝が私は好きだ。

緩む口元をそのままに掛け布団に顔を埋める。そこからは、惇の匂いに混じって私の使う香の匂いが仄かにして、柄にもなく、幸せだ、なんて思ってしまう。



聞きなれた律動的な足音が聞こえ、惇が戻ってきた。
上衣を羽織り留め具を留めている背中に私はまた声を投げる。

「惇」
「なんだ」
「肌着見当たらないんだけど」

惇は渋い顔を私に向ける。

「…その辺にないのか」
「うん」

手が届く範囲を探してみるが見つからず、惇を見上げて、どこに投げた?、と聞くと、気まずそうに視線をそらしながら辺りを見回し始めた。

「…あった」
「あ、よかった。取って」

惇は半拍だけ固まって、無言で私の肌着を拾い上げて差し出す。視線は微妙にそらしたままだ。

「…脱がせるときは平気なのに何で照れてるの?」
「…」

眉間に思い切り皺を寄せ、頑なに視線を合わせようとしない惇に吹き出しそうなのを堪えながら問う。

「…肌着くらい自分で拾えるだろう」
「それは無理。誰かさんのせいで立てないから」

はっきり言ってやると、また半拍固まってしばらく黙ったのち、すまない、と低い声で、ぼそ、と言った。
こういう所が惇の辛うじて可愛い点だ。



肌着を肩に軽く掛けて寝台の上で倦怠感に身を任せている間に惇は衣服をしっかりと整え身支度を完璧に終えていた。
そういえば今日は朝から調練の監督に行くと言っていたはずだ。

「唯緋」

寝台の前に立った惇が、私と視線を合わせるように軽く身を屈めたので、何か用だろうかと首を傾けて惇を見つめる。
突然、夜着の合わせを惇に、ぐい、と引っ張られた。

「うわっ、ちょ、」

前のめりに倒れかけた上体を支えるため咄嗟に惇の胸に手をつき、危ない、と文句の一つでも言ってやろうと顔を上げて、――惇の顔がとても近くにあることに気付く。

気付いたときには、唇に柔らかい感触が優しく触れ、そしてそれはすぐに離れた。

「――行ってくる」

ぽかん、となった私の夜着の前を整えつつ手を離し、惇は目を細めて笑って言った。




朝と、愛と




(ばたん、という扉の閉まる音に我に返るまであと少し)



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