かたん、と鳴った窓に、走らせていた筆を止めて顔を上げる。
窓枠にかけるように現れた白い手と、続いてしれっと姿を現した見慣れた顔に、溜め息が漏れた。

「すまないね。少しお邪魔しても?」

物腰穏やかな口調とは裏腹に、私の返答も聞かずに、ひょい、と身体を乗り越えさせる郭嘉に冷たい視線を送る。ありがとう、じゃない。私は、良い、なんて一言も言ってない。

「…頭、下げといた方が良いんじゃない。外から見える」
「おや、ありがとう。察しが良くて助かるよ」
「…はぁ」

窓のすぐ下にしゃがみこむようにして腰を下ろした郭嘉から目を離し、筆を取る。ついさっきのやり取りで墨が乾いてしまった。郭嘉のせいだ。
すぐに窓の外で女官の声がした。名前をしきりに呼んで歩き回っているらしい。
その名前の持ち主を、ちら、と横目で見やると、姿を潜めたまま呑気に装束の汚れなんぞを払っている。はぁ。溜め息また一つ。

しばらくして女官の声も遠ざかり、気配も無くなったのか、郭嘉がおもむろに立ち上がった。

「突然押し掛けてすまなかった。お陰で助かったよ」

ありがとう唯緋、なんてしれっと続ける郭嘉に、筆の動きを止めずに肩をすくめてやる。

「…郭嘉が女官から逃げるなんて珍しい」
「はは、これは手厳しいな」
「どういう風の吹き回し?」
「なに、私には君しかいない、と気付いて欲しい相手がいるものでね」

ぴた、と筆を止めて郭嘉を見る。余程私が怪訝そうな顔をしていたらしく、郭嘉は苦笑を浮かべた。

「そんなに意外だったかな?」
「うん。まぁね」
「傷付くな」

あまり気にしてもいなさそうに笑う郭嘉に、首を軽く振ってみせて筆を置き書簡を畳む。相変わらず自分を読ませない男だ。
じゃあ、と室を出ていこうとする郭嘉に思い出したように声を掛けた。

「今度逃げ込む時はその本命の子のとこにしなよ。私の部屋に居た、って変な勘違いされても困るでしょ」

私の言葉に郭嘉は少し目を丸くして、ややあって軽く肩を落とし苦笑する。

「…そうだね。もう既に変な勘違いをしているらしい」
「え?」
「私はちゃんと唯緋の部屋を選んで来ただろう?」

だから安心して。ではまた。

そう言い残して郭嘉が出ていった扉を、ぽかん、と見つめる。
何だろう、今の郭嘉の言葉はまるで、私のことが――

「――いや、ないないない。郭嘉に限ってまさか」

軽く笑いながら首を振って、自分の思考を打ち消す。我ながら笑える。そんなことあるはずがないだろう。

「私、疲れてんのかな…あぁ、郭嘉のせいか」

私の部屋を後にする前に見せた、珍しく驚いたような郭嘉の顔を思い出す。そういえば、あんな顔は初めて見たかもしれない。相変わらず、読めない男だ。




ガーネットは笑う




(私としたことが、どうやら詰めが甘かったらしい)



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