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「東峰君、決まった?」
「う〜ん‥」

ラーメン屋。‥とは言え少しお洒落な、女性向きのラーメン屋だ。まあ、ラーメンというか鶏白湯の専門店である。私の目の前では、メニュー表を広げて唸る東峰君の姿があるわけだが、何故一緒に来ているのかということに関しては、まあ付き合っているからという至極単純な理由でして。‥まだ付き合い始めて2週間だから少し恥ずかしい。

大学に入ってから知り合った東峰君はとても優しくて真面目で、外見に反してとても控えめで気が弱い。悪く言っているように聞こえるかもしれないけど、それが彼の良いところであり、彼の好きなところなのだ。

「ナマエちゃんは決まった?」
「私、この辛そうなのがいい!」
「すごい‥チャレンジャーだね‥」
「夏は辛いの食べたくならない?」
「俺は辛いのというより、熱いのかな」
「汗が噴き出す点では同じかも」
「そうだね」

なんてことない会話もとても緩やかで穏やかで、そんな空気も私が彼を好きな理由にすぎない。恋愛はドキドキするのが正解だと言う人もいるけど、私はドキドキだけが正解じゃないと思う。だって、東峰君と居ることでもちろんドキドキもするが、こんなに心が穏やかになれるんだから。

注文を済ませて、最近の出来事から昔の高校時代の話にまで遡ること数十分後、美味しそうな匂いが鼻の前を通り過ぎた。コトリと置かれた器の中には、いかにも「辛いですよ」といいたげな赤いソースが麺の上に乗っている。それを見た東峰君が出した小さな悲鳴に、私は小さく笑った。

「辛そう‥大丈夫‥!?」
「大丈夫だよ。実際そんなに辛くないかもしれないし」
「でも真っ赤‥」
「東峰君、一口食べてみる?」

えっ。コチンと固まった東峰君は「いや、大丈夫俺は!」と言いそうになっていたが、何か考え直してまた口を閉じた。何に困ってるのかな。食べてはみたいけど、後が怖いということだろうか。スープの上に乗っている大きなささみとか、スナップエンドウとか、辛さを和らげるトッピングも食べてもいいのに。

「はい」
「えっ」
「あーん!なんちゃって」

小さいお皿に麺を移して赤いスープを一口分だけよそったが、つい麺をお箸で取った私は東峰君に差し出した。所詮恋人同士がよくやるであろうあれだ。あれ。‥って、口元まで持っていったのはいいものの、ビシリと東峰君は固まっている。そ、そんな寒いことするなってか‥!?

「あ、ご、ごめ、ごめん!調子乗った!!」
「いや!そ、そうじゃないから!!ちょっと待って、心の準備‥!」

ぎゅう、と。お箸を掴んでいた手が大きな手に包まれてどきりと心臓が波打った。東峰君、顔がスープみたいに真っ赤だ。‥こんなこと言ったら怒られるかもしれないけど、‥可愛い。私のしょうもない行動でこんなにあたふたしてくれるなんてきゅんとしちゃう。

「あの、‥さっきの、もう1回‥」
「さっきの?」
「あ、‥あーん、ていうやつ‥」
「‥」
「えっ!!?」

簡単に言えば大炎上である。照れながらにこやかに笑った東峰君が、私にあーんをしてほしいと言うなんてどんな破壊力を持つか分かっているのだろうか。掴まれた手からじわりと熱が噴き出して、思わず東峰君から顔を逸らして下を向いた。やばいこんな赤い変な顔晒せない。無理。

「ごめん!?どうした!?大丈夫!?」
「な、なんでもないから早く食べて‥」
「えっ‥顔、赤い‥」
「もう‥‥東峰君可愛すぎだよ‥」
「か‥‥かわいい‥?」
「うん‥可愛いし、‥もちろん、かっこいいです‥」

どくどくどく。告白した時くらい心臓が煩い。本人の目の前で本人にかっこいいとか言ったことなんてないから、恥ずかしくて堪らない。ってかここお店なのに、私何言ってんだろ、という羞恥心がじわりじわりと侵食していく。そうして食べてくれないまま数分が経ち、流石に引けなくなって顔を上げると、変わらず顔を赤くした東峰君だったがふわりと頬を緩ませて、少しだけ伸びた麺を口に入れた。

「‥辛ッ」
「それはそうだよ‥もう、照れるのやめて‥」
「だってほら。‥‥あの、間接キスに、なるし」
「!?」

間接キスという言葉に、ぎょっとして目を剥いた。そういえばそうじゃん私なに当たり前のように自分の箸差し出してんの!!?‥って、このお箸東峰君に使ってもらえばいいのか。

「‥なんか、自分が口をつけたお箸にナマエちゃんが口をつけるって、恥ずかしいな」

それはこっちのセリフなんですけど。出そうになった「これ使っていいよ」という言葉は飲み込んでしまうしかなくて、彼はといえば私の手をそっと離して自分のラーメンに手をつけ始めた。‥なんか悔しいから、私もあーんしてもらおうかな。‥なんて考えた矢先、東峰君の麺がずずいと私の口元に運ばれてきたものだから、私はもう両手を挙げて降参することしかできなかった。

2017.07.05