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大ヒット中の人気映画『悲鳴』。名前から察してほしい通りにホラー映画である。鉄朗君、私そんなの聞いてないんだけど。ニコニコ顔で映画のチケットを手渡されて、私は顔を歪めて鉄朗君を見た。‥してやったりな顔をしてどういうつもりだ。確かに映画の内容はなんでもいいですって言ったのは私ですけどね?

「なんか文句ありそうな顔してんなあ」
「あります。なんで?チョイスおかしくない?」
「この間内緒で合コンとか行ったの誰だっけ?」
「もう!何回も謝ったしあれは私だって知らなかったって言ったじゃん!」
「謝ってくれたついでになんでも言うこと聞くって言ったのはどのお口デスカ?」
「‥わ、‥私のお口ですけど‥!」
「ハーイ文句ない人手ェあげてー」

くっそこのムカつく男誰の彼氏だ。いや私の彼氏か。あの日だって、普通に女友達に遊びに誘われて、普通に待ち合わせして、いつも行かないカラオケに入ったら個室で合コンが開かれてるし、外で少し揉めてたらその現場を偶々カラオケに来ていた鉄朗君の後輩・犬岡君に見られるし、その経由で鉄朗君にもバレちゃうし。私に落ち度は何も無いはずなのに、昨日感じ悪く問いただされたのだ。もう許してくれてもいいんじゃないだろうか。てか許されるってなんなの。おかしい!

「鉄朗君この状況楽しんでない‥?」
「まあ別に。もう怒ってる訳じゃないしな。ナマエの反応面白くて」
「はあ!?ふざけてる!!」
「まーまーナマエ。とにかく今日は俺の言うこと聞いてくれるんだからほら行くよー」
「ちょっっと待って‥!ねえほんっとに入らなきゃだめ?今から違う映画に変えるっていう選択肢は無し?」

付き合い始めて1ヶ月。今まで繋いだことのなかった大きな手を引っ張って、徐に大きな体を引き止めた。ホラー映画は苦手だ。それを知っている筈なのに本当わざわざどうもチケットまでご丁寧にありがとうございますね。でもこのホラー映画、ヤバイのだ。本当に口コミを聞くだけで恐ろしいと思った。怖いしグロいし言うことない。つまり、どうにかして見るのをやめたい。

「だーいじょうぶだって。俺がいるんだから」
「あのね、鉄朗君がいてもダメなものはダメなんだよ。無理な物は無理だし、失神して救急車に運ばれる危険があるかもしれない。それに、なんか取り憑いちゃったらどうするの!」
「ぶはっ‥!あのな、可愛いこと行ってキャンセルさせてやろうとかそれこそダメだから。手でも握っててやるから心配すんなって。そもそも俺この映画めちゃくちゃ気になってたんだよ、評判もいいしな。‥まあ、なんなら、どうしても怖いってなったら俺がなんとかするし」
「すごく説得力ない!っうぎゃあ!」
「あ、すみませーんポップコーン1つ」

なにナチュラルにポップコーンお求めになってるんだ!!掴んでいた掌をゆるりと掴み返されて、指を絡ませたと思ったら強い力で引っ張られた。すごく恥ずかしくてすごく嬉しい筈なのに、段々と募る恐怖心がそんな気持ちを取り去っていく。ポップコーンの味キャラメルだと?それで私が喜ぶとでも思っているのだろうか。全部食べてやる。


***


結局惚れた弱みというか、自分の脇の甘さのせいというか。せめてもの抵抗で1番後ろの1番端にさせてもらったのに、私の目に飛び込んでくるのは真っ暗な廊下からふわりと浮かび上がる血濡れた長髪の女性の姿。ああ無理これは無理ほんと無理なやつ。開始20分にしていきなりこんなラスボスみたいなの出てくるなんて最後は一体どうなってしまうんだ。

「‥ナマエ?大丈夫か?」

大丈夫な訳あるか。だから言ったでしょうが。きゅう、と強めに掌を握ってくる鉄朗君の熱が伝わってこないから、相当私の手は冷えているんだろう。やっぱり来るんじゃなかったと後悔は尽きない。

「鉄朗君‥」
「ん‥?」
「なんとかしてください‥ほんと、序盤でこれとか耐えられる気がしない‥」
「‥はは、んだよ可愛いなー」
「馬鹿にしてる場合じゃないのはお分かりでしょうか」
「わーかってるって。じゃあ、どうすっかなー」

明らかになんとかできる方法を知っている顔をして私の顔を覗き込んでいるものだから、ついつい私は頬を膨らませた。館内が真っ暗だから、鉄朗君の顔がどれくらい近いのか分からないけど、多分今までで1番近い。でもそれを恥ずかしいとか考える余裕がなくて、小さく聞こえた映画の音に驚いてがばりとしがみついた。無理無理これほんと次何がくるかわかんないやつじゃんほんとなんとかして!!

その瞬間だった。

「ッ、?」
「‥どう?」

何が、どう、だ。ほんのりと濡れた何かが唇に一瞬触れた。それが何かを理解しようとした瞬間に飛び上がる悲鳴。

「わっ‥ひ、」
「ほら、こっち向いてみ?」

そうして私も悲鳴が出そうになった瞬間、また濡れた何かが唇を塞いだ。そうして何事かと頭の処理が追いつかないでいると、耳を覆うように鉄朗君の両手が触れる。

「‥っ、てつ、」
「しー」

そうして何秒か何分か経ったのか分からない。ゆっくりと顔を離された後に、鉄朗君が分かり易くにこりと笑う顔が見えた。‥このタイミングでなんてことしてくれたんだ。一応、ファーストキスだよ!私!!

「‥‥恥ずかしがってばっかのナマエちゃんには、丁度良いタイミングだったろ?」

ぺろりと唇を一舐めされて、硬直する私を他所にスクリーンに向き直った彼は、何事もなかったかのように映画の鑑賞に戻っている。

「‥‥ッ、ば、か‥」

冷たくなっていた筈の手にじんわりとした湿り気。そうしてまたきゅう、と握られた手に驚いてしまった。

もう怖くないよ、大丈夫だから。ぼそりと呟いた言葉が聞こえたのか、鉄朗君は握っていた私の指を撫でて小さく笑った。

2017.06.09