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「隣に女の子が引っ越してきた?」

ばちばちと瞬きを繰り返す目の前の男は、お盆の上にラーメン大盛りとチャーハン大盛りと餃子10個セットを乗せて身を乗り出していた。近えよバカ。俺のカツカレーに唾が飛んだらどうしてくれる。いや、まあだとしても食うけど。
冒頭の言葉が飛んできた理由。それは、木兎にぼろっとつい話してしまったのが事の始まりだった。「黒尾ん家でマリカしよーぜ」が発端で、後は流れるみたいに「隣に女の子引っ越してきたから煩くすんなよ」と発言してしまったのがコイツの興味をそそってしまったらしい。

「いーなー。仲良くなったら飯とか作ってくれるじゃん!」
「お前の観点なんなの?」
「俺も彼女欲しい!遊べる女の子欲しい!」
「なに勘違いしてっか知らねえけどどっちも今の俺には当て嵌まんねえからな」
「でも可能性はあるだろ?」
「いやまあ‥そうなんデスケドモ‥」
「いーなー!」

ずごご、と大きなコップの中に入っていた水がなくなったらしい音がした。大盛りの昼食をガツガツ食べ始めた木兎は、ここの大学で俺と同じ勉強をして、同じサークルに入っている。ついでに言わせてもらうと彼女とは最近別れたばかりで、本人曰く傷心中らしい。傷心の癖に「仲良くなったら飯とか作ってくれるじゃん」なんて言えるか普通。しかも前の彼女は若干セフレっぽ‥いや皆まで言うのはやめておこう。

隣に引っ越してきた苗字さんは、どうやら学生とかではなく普通に仕事をしている人らしい。ということは俺よりも歳上になるのかもしれなくて、歳上か‥という自分の妄想にもちょっとだけ心臓が早くなってしまった。実際の所は分からないので、事実は早く解明した方が良さそうな気がする。ここ2、3日の彼女の行動は、朝は割と早くて、夜は割と遅いことも判明。‥って俺はストーカーか。でも気になってしまうのだ。隣の扉の音とかテレビの音とか、今までになかった人がいるという事実が。それが、一目惚れしてしまった女の子であることが1番ヤバイ。

「なあ、黒尾ん家行ったら紹介してくれよ」
「するか。なんでわざわざピンポン押してまで木兎紹介しなきゃなんねえんだよ」
「ケチんぼかよ!自分ばっかりずるいぞ!」
「お前つい最近まで彼女いただろーが」
「別れたんだから問題ナシ!」
「傷心どこいった」

カツカレーのカツを1つ口に運んで、今日は何時に帰ってくんだろうなあとつい考えてしまうのも、その「一目惚れ」の後遺症みたいなものなのだろう。ぶっちゃけ彼女のことを考えない日はないのだ。隣から良い匂いがした時「料理上手なんだな」って頭の中がふわふわしたし、笑い声が聞こえたら「何見て笑ってんのかな」って気になるし。

「あーオッパイでけー子彼女にほしー」
「お前なんで別れたんだよ」
「それ今聞く!?タイミング違くね!?」
「じゃあどのタイミングで聞きゃいいのよ」

どうやら傷口を突いたのはまずかったらしい。どんどんしょぼくれと化していく木兎は、口の中に収めていく食の量が減っていた。お前昼休憩の間にそれ全部食えんの?次の授業遅刻できませんけど。べそべそとなりだした木兎の皿から偶にチャーハンを奪い取っても怒り出しそうにもない姿に、なんだか面倒臭くなりそうだなと思ったら早々にここから離れなければと思ったが、カツカレーがそれを許してはくれない。今日も1日が長そうである。



―――



「‥あ、苗字さ、」

バイトから帰宅途中、丁度マンションの前にタクシーが止まった。誰が出てくるのかと思いきや、よいしょと可愛い声を聞いた瞬間それが苗字さんだと分かってしまって、つい目を凝らしてしまう。

「ん‥?」

‥だけどその後ろから出てきたのは、彼女よりも幾らか歳上っぽい眼鏡を掛けた男性だったのだ。眼球から入ってきた映像があらゆる神経を通って、雷が落ちたような気分になる。バイト先から貰ってきた賄いの袋が、重い。

「大体な、迎えに来てーじゃねえよ、飲みすぎんなって毎回言ってんだろ」
「だってゆうちゃんなんだかんだいつも絶対迎えに来てくれるじゃん〜ねえ今日なんで車じゃないの〜」
「今丁度点検出してんの。代車は乗りたくねえ主義なの」
「なのにわざわざタクシー呼んでくれてやっさしいねえ」
「可愛い可愛いなまえちゃんの為だからな」
「うわ怒ってるじゃんこわ〜」
「おい触んな、」

え、なんだこりゃどういうこった。誰だあいつは、と考えた所で、逆にいやそうだよなという思考にも到達した。そりゃそうだ。だって彼氏がいないなんて言われてもない訳だし、あんなに可愛いのに彼氏がいないなんて浅はかに考えていた俺もバカである。

そうか、詰まるところアレか。
どうやら俺は無様にも突然失恋をしてしまったらしい。‥いや早くね?