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高校の時にはなかった非情な無茶振りというものが、現在通う専門学校では日常茶飯事に行われているらしい。らしいっつーかそうだ。俺も去年やられた。そしてまさに今日も、晴れて入学してきた新入生が被害にあっていた。飲酒のできない彼らの背中を捕まえて、何故か姿を現した去年卒業した筈の俺の1つ、2つ上の先輩達がノリの良さそうな新入生を何人か個室に呼び込み、新入生への「洗礼」だとかなんとかで嫌がる男児のパンツをずりおろして股間に一味を振りかけるような謎の洗礼システム、誰が何の為に始めたのかは知らないけど、全貌を知っている俺にとっては悪夢でしかない。面白がる先輩達が嫌いというわけではない。元々は良い人ばかりだ。だけど酒が入ると、箍が外れるというか、理性よりも面白さに軍配が上がるのだろう。それでもある一定の線は引けているのだからタチが悪いというものだ。

俺が1番上になったらそんな洗礼はなくしてやると心に決めたのに、卒業生が来てしまってはまるで意味がない。つまりはもう、1年が過ぎたのである。早いものだ。

実家から少し離れた1DKのマンションもだいぶ住み慣れてきて、ちょっとした飯を作るのだって出来るようになった。なんとなく自分が器用な方なのは分かっている所があるからそんなに驚くべき要素ではないけど、中々にしっかりやれている方だとは思う。男にしては、という部分に関してだけど。

専門は、青春時代を共に過ごした海とも夜久とも違う所だった。だけど木兎がいるせいで前よりも随分煩いのは否めない。それを鬱陶しいとは思っていないが、極たまに黙ればいいのにって思うことはある。赤葦アイツすげえなって考えることもしばしばだ。

暗闇から落ちてきた花弁が、随分ゆっくりとした速度で俺の目の前を通っていく。ああ、もうそんな季節なんだなって改めて思い知らされる桃色は、なんだか無性に濃く見えた。まだ酒は飲めない歳で、当たり前に飲んでもいないのに一瞬景色がぼやけてしまう。疲れてんのか、俺。そりゃそうだ。歓迎会だからという理由だけで飲み会が開かれているのに、どうやらまた来週も行われる予定らしい。最早一体何のための歓迎会なのか。名ばかりの、至って普通に毎度の如く行われている飲み会に連日呼ぶその感覚がよく分からない。飲めない俺としては面倒でゴメンだが、一応歓迎会であるという手前行かないわけにもいかず、本日2日目のどんちゃん騒ぎだった訳である。

「‥あれ、」

帰ったら風呂入ってさっさと寝るか。右手に持った鍵をくるくると回しながら、桜の花弁越しに自分の部屋を確認すると、成る程目が変だと思っていたその理由が少しだけ分かった。俺が住み始めてから今まで、一度として灯ることのなかった隣の部屋に初めて電気が点いていたのだ。どうやら、とうとうお隣さんができた、らしい。淡く光るカーテンの柄が薄っすらと確認できて、それがちょっとオシャレでセンスが良くて、それだけでなんとなく女の子だなって自分の中で確信した。

「女の子かー‥」

出逢いなんてねえよな。‥という、先輩の言葉を思い出す。そりゃ体育系の専門学校に、女子がたくさんいるかと聞かれたら、‥それはノーだ。口を開けば胸筋だの上腕二頭筋だのと、お前それ彼女が出来ても言ってんの?ってこっちが不安になるレベルの男しかいない。そういや最近木兎もそんなこと言ってたっけか。
まあつまりそんなこんなで、俺は専門に入学してからというもの彼女ができたのは片手、しかも3本指で数えることができる程度であった。今まで付き合ってきた彼女が嫌いになったとか、そういう理由ではないのだが、単純に面倒臭くなってしまったというか、「会いたい」という言葉に首を縦に振って会う時間を作るのが億劫になってしまったとか、‥最低だとは思うけど、本当にそんな感じで付き合っては別れてを何度か繰り返し、それっきりだ。そう、女の子にハマるとか、俺にはそういう経験ができなかったのである。

「‥ほんと、大丈夫。うん、ありがと」

じっと灯りの点灯する隣の部屋をぼんやりと眺めていたら、内側からゆらりと影が動いて、そしてカラカラと窓が開いた。いけね、じっと見てるのを気付かれたら不審者と思われるかも。そう動いた身体に反して瞳はじっと固まったままだ。

ふわふわと揺れる光悦茶は春と真逆の色で、優しくて穏やかさに満ち溢れている。彼女の着ているピンク色のTシャツにすっげえ達筆な字で「春一番!」って書かれていることはこの際置いておこう。

「ごめんね、心配かけて」

電話の向こうで話す人の声の方が大きくて、何を言っているかは分からないけどぎゃあぎゃあとかなり心配されているようだ。でも俺には「あの子に何かあったのか?」と思うよりも先ず、突然現れた隣の住人に心を鷲掴みにされてしまっているらしい。指先から地面にカチャンと家の鍵が落ちた音がした。ばくばくして、自分の体じゃなくなったみたいだ。

やべえ、これなんて言うんだっけか。
身に覚えがないから、分かんねえ。