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人様に迷惑を掛けっぱなしだなんて絶対に有り得ない。借りたら必ず返す。そうやって生きてきたけれど、今回に限ってはどこまで返せばいいのか分からない。わたしが思いっきり汚してしまった床も、そして散らばったものの片付けも全部黒尾さんが「やっとくから」と、無理矢理脱衣所に押し込められた。勿論断ったけれど、彼の言う通り粉まみれのわたしが掃除をしたところでまた汚れるだけなのだ。それが凄く無駄なこともよく分かった。だから、さっさと着替えて黒尾さんの手を煩わせないように、と思ったのに、わたしが急いで戻ってきたときには既に掃除が終わっていたのである。
‥最悪だ。全部、掃除をさせてしまった。

「本当にすみませんでした!」
「いえいえ」
「しかも‥あの‥サンドイッチまで‥」
「いえいえ」

黒尾さんに、ちゃんとお礼をせねばと思っていた。なにか家にあるものででも、御馳走でもしないとわたしの気が治らないと。だけどその直後に鳴ったわたしのお腹の空気の読めなささときたら、本当に笑うしかなくて。そうして黒尾さんは笑いながら隣の部屋へと戻り、何をしに帰ったのかと思いきや、その手にあったのは美味しそうな厚焼き玉子のサンドイッチ。‥勿論、「食べたいから持ってきた」訳ではなく、わたしの為に持ってきたものだったのである。

「苗字さんって面白いですネ」
「からかってますよね」

含み笑いが止まっていない。最初から最後まで笑うしかできないのだろう。分かる。だけどもうちょっと堪えてもらってもいいじゃないかとも思うけど、それは口に出来なかった。

「いやあ、ホントに。一緒にいて飽きなさそう。ぶは」
「もう、酷い‥!‥いやでもなにも言えないですね‥何から何まですみませんでした‥サンドイッチ美味しいです‥」
「そりゃよかった」

一言むかつきますって言えればいいのに、厚焼き玉子サンドイッチのせいで全部消えたなんてバレたら、それこそ笑いのツボになる。だってこれ、凄く美味しいんだもん。

黒尾さんはわたしを気遣って(?)なのか、色々と話を振ってくれた。何してる人なの?とか、学生?とか、社会人?とか。質問をしてくる度に答えを出していたら、なんとわたしと黒尾さんが同じ年の生まれだということが発覚した。嘘だ、そうは見えない、だってまだ十九ってことでしょ?もっと色々、世の中のことを知っていそうなそんな雰囲気さえあるというのに。時折見せる笑い顔が、たまーに少年みたいに見えて納得しそうになったけれど、‥ううん、いや、やっぱりまだ納得できない。まだ専門学生って冗談でしょ、って。

「なんです?その怪しいものを見る目は」
「いや、見えませんよ。社会人三年くらいは経ってますよ、その風貌」
「それ喜んでいいんです?悲しむべきなんです?」
「お任せしますけど」
「ぶは、返し雑か」

全部食べ終えて、きちんとご馳走様をする。その様子をじっと見られているのか視線が痛い。だけど気にしたら負けだ。ぺろりと唇を舐めて、お腹が満たされたことに満足して、つい頬っぺたが綻んだ。

「黒尾さんは今日授業ないんですか?」
「ないです。オヤスミ。てか、もう敬語よくない?」
「え?いいんですか?」
「だって俺らタメよ?変でしょ」
「言ってる側から敬語抜くのやめてください」
「いーじゃん。もうひとつ屋根の下の関係なんだから」
「誤解受けますって。ダメですよー簡単にそんなこと言ったら!」

わたしに現在付き合ってる人はいない。だけど、黒尾さんは分からない。だって彼は今、単純にわたしを助けにここまで来てくれたのだから。そして、今彼女がいるのかいないのかなんて聞くような間柄でもないし。びしっと指を差して注意をすると、何かを思い出したように少し顔をはっとさせて、一頻りぐ、と思案したあとに苦笑いしながらゆっくりと立ち上がった。

「そろそろお暇しようかな、俺」
「あ、玄関までお送りします!」
「いいよそんな、」
「あと、ちゃんとお礼したいので、‥うーん、あ、連絡先教えてください!急に部屋の扉叩きたくないので!」
「え」

え、‥え?え、って、なに。なんの「え」?だって失礼じゃない、急に来訪なんてしちゃったら。ダメなのかな。あ、もしかしたら彼女いる、とか?

そう思っていたら、慌てて自分のスマホを開きだした黒尾さんは、はい、と自分の番号とLINEのIDを提示してきたものだから、わたしはそれに従って登録をするしかない。‥もしかしたら聞いちゃダメだったかなあと、ちょっとだけ不安になってしまった。