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あのバレンタインデーのやつって一体どういうことだったんだ。1ヶ月経った今でも、毎日毎日朝から晩まで考えている。おかげで仕事のミスが増えて、なんだどうしたらしくない、の三拍子が多くなってきていた。くそ、全部あいつのせいだ。あいつがよく分からんことをしてきたものだから、しかもあれから特に変わったようなこともないものだから!滅多にしない残業もなんとか終えて、パソコンの電源や誰もいなくなった社内の電気を消すと、晩御飯なんて考えるのも億劫になって、家の近くのコンビニに寄ることにした。

「あれ、今日も随分遅いんですねえ」

会社を出てすぐのところで突然声をかけられて、私は一度周りを見渡す為に足を止めた。聞いたことがある声と、なんとなく嫌な音。壁に背中を預けて薄っすらと笑うそいつは、毎日毎日頭の中で考えていたあいつだ。随分と会うのが久しぶりな気がするのは、多分彼がここのところ忙しすぎて社内にいなかったのが原因かもしれない。それよりも何故、今日も随分遅い等ということを知っていたのか。そんなの知る筈ない癖に。いつもいなかった癖に。‥私のこと揶揄うだけ揶揄って、さっさと離れた癖に。

「及川センパイじゃないですか。出張だか他所でミーティングだかあったんじゃなかったでしたっけ?」
「先輩はそっちじゃないですか。うわ‥なに、超疲れてる顔‥化粧崩れてますよ」
「うるさいな。てかなんでいるの」
「先輩のこと迎えにきたんです」

はあ?約束したっけ?携帯とか、なんか連絡あったっけ?そう言おうとしたけど、いやちょっと待てよ。私そもそも及川君の電話番号なんか知らないや。じゃあまさか、仕事のパソコンに勝手にメールしてきてるとか?いやそれもない。流石に今の出来の悪い私であろうとも、メールくらいは確認している。‥例え及川君のものであろうともだ。

「ああ、約束なんかしてないですよ?」
「余計意味分かんないんですけど‥」
「今日なんの日か知ってます?」
「毎月1回行われる社長のスカイプ朝礼の予備日」
「そうじゃないんだけどな‥」

じゃあどういうことかと首を傾げて、腕時計を見直した。小さく書かれた数字は14。‥なんかあったっけ?それよりもヒールのかかとが痛いから早く脱ぎたい、お腹に何か入れたい。そういうのでイライラしてきたら、目の前でニヤニヤを続ける及川君の顔にも腹が立ってきて、14日がなんであろうとどうでもいいやと溜息を吐いた。‥げ、くるぶし辺りまでストッキングが伝線してる。最悪。

「用ないなら帰っていい?」
「いやだから、迎えにきたんですって」
「そんな予定立てた覚えないんだけど」
「当たり前ですよ。俺が勝手に立てたんですから」
「‥は、ふざけてんの、帰れ」
「酷いよね!こっちはお返しできてんのに!」

お返し?なんの?はてなを頭の上に浮かべて、ぎゅうと眉間に皺を寄せる。‥ってまさか、3月14日のホワイトデーのこと言ってるんじゃないだろうな?私、チョコをあげたつもりはない。むしろ奪われたようなものだ。なのにお返しをくれると?‥またなんか奪われる気がする。いやいや、やばいやばい。帰ろう。

「間に合ってます。てか先輩のこと揶揄うとか悪趣味」
「俺いつ揶揄ったって言いましたっけ?」
「いや、そうでしょ。1ヶ月何もなかった癖に、こっちはずっと考えてたっていうのに、あんたは何も!!」
「へえ。ずっと俺のこと考えてたんですか」
「ちょ、それは言葉の綾で‥っ!」
「でも俺のことばっか考えてたんでしょ?」

ずい。可笑しそうにくすくす笑った及川君の顔がまた一歩近付いた。人が今だ通るこんな公共の場で何をしようとしている。慌てて掌で顔を押さえて、ぐぎぎぎと徐に引き離した。イケメンだと持て囃されている顔が、ぶっさいくに歪んでいる。ざまあみろ。

「オイ、」
「私そんな、軽い女じゃないから!」
「お前が軽いなんてひとっことも言ってないでしょうが!」

声を荒げた及川君が、敬語を取っ払って怒っている。私からしたら、そういう風に捉えられるんだよ!お互いに睨み合っていると、周りの視線が少し冷えていることに気付いて、そっと顔面から手を離した。なによ、どういうことなのよ、ホワイトデーのお返しも、その言葉の意味も。なんか言ってくれないと、なんにも、‥なんにも分かんないじゃない!

「ちゃんと言いますからね、いいですか」
「なっ‥によ、」
「バレンタインデーも貰いました。ホワイトデーもお返しします。たった1人にしかお返ししてません。それはつまりどういうことかというと」
「と、いうと‥」
「す」

ぶわーーん。丁度横を通り過ぎた、滅多に通らない規格外の大きなトラックが及川君の声を掻き消していった。何を言ったのかは、‥なんとなく分かった。でも、イマイチ決まらなかったのが恥ずかしかったのか、ぐにゃぐにゃと唇を動かした及川君が、顔を赤くしたまま俯いている。‥ぶふう。なにこれ、この人なんでこんなかっこつかないんだ。

「‥やっぱ後で。レストラン予約してあるからそこで」
「これだから出世する男はムカつくな」
「でも、行く気になったでしょう?」

だって、ちゃんと聞いてないからね。言い訳を1つすれば、可愛くないのって唇を尖らせた彼は、私の指に自分の指を絡めて嬉しそうに笑った。レストラン予約とか言っておいて、万が一ホテルまで用意してたらぶん殴ってやろう。とりあえず伝えたいことをちゃんと聞くまでは、帰らないでいてあげる。

2018.03.17