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「なに、なんか作ってくれんの?」

珍しくまとまった休みが取れたという彼氏の貴大と久しぶりに会えることになって、1人暮らしの彼の家に大量の食材を持ち込もうと息を切らしていると、物音が聞こえたのかチャイムを押す前に開けられたドア。そこから驚きの声が上がった。部屋の奥ではまだ甘ったるい匂いが立ち込めているから、また試作品のケーキだなんだと作っているんだろう。とある有名洋菓子店で働いている貴大は、見習いになりたてなのにもう自作の商品を作ろうとしているらしい。ううん、中々に意識が高い。‥って、そうじゃなかった。今日は一旦仕事も作業も全部放棄してもらって、彼にはのんびりさせてあげる為に来たんだから。

何かの粉を顎や頬につけて、それを指で何度も拭う仕草はもう幾度も見た姿で、鼻にちょんとついた白いそれを、今度は私の指で拭ってやった。

「ヤメロ」
「ふふふ。台所借りるねー」
「台所ごちゃごちゃしてて汚ねーよ」
「いいよ、ついでに片付けてあげる」
「なんだよ、出来た彼女め」
「それ気分良い〜、もっと言って」

けたけた、けらけら、2人で笑いながら小突き合うと、彼はじゃあ俺向こう片付けてくるから適当に使っててと一言、おでこにちゅうを落として去って行く。ちぇ、もうちょっとだけいちゃいちゃしてたかったのになあ‥っていけないいけない、私はご飯とバレンタインデーのチョコを作りに来たんだった。いちゃいちゃは後だ、後。

メニューは決めてるし、何度も練習したし、お母さん達にも太鼓判をもらった自信作。とろとろのビーフシチューに、家で焼いてきたバゲット。デザートはスフレのチョコケーキと決めてきたのだ。全部万端、準備に抜かりはない。汚れても問題のないベージュのエプロンをつけると、気合いを入れて腕まくりと1つ結び。部屋の奥では随分慌てて片付ける音が聞こえてくるから、ついくすくす笑ってしまった。お菓子を作るのが上手な彼だけど、片付けは下手くそなんだよねえ。


***


「なあ、すげー良い匂いするけど味見役いらねー?」
「いりませーん」
「お腹と背中くっ付きそうなんですけどーー」
「くっついたら写真撮っといて」
「ひでえ!」

ひでえ!なんて言う割にはけらけらと笑ってソファでだらりと寛ぐ彼は、何度もテレビのチャンネルを変えて忙しなさそうにゆらゆらと身体を動かしている。待て待て、もうちょっと煮込みたいんだよ。本当はじっくりゆっくり時間をかけたい所を我慢しているんだから、これくらいは我慢して。オーブンに入れたスフレチョコケーキももう少し。漂ってくる匂いは、全部全部良い匂いだ。スフレチョコケーキに関しては審査をしてもらわねば。

「なあーナマエー、腹減ったし暇‥」
「もうちょっと待ってよー」

あれ、なんか最後の方が聞こえなかったんだけどなんか言った?くるりと振り向こうとした瞬間、1つ結びをしていた髪の毛がゆらりと動くのが見えた。あー、高校から伸ばしてたもんな。だいぶ伸びた。‥と、貴大に視線を合わせてみたら、普段はそんなに大きくない目がかっ開いていた。‥おや。何を見ているんだろうか?

「なに、‥駄目だよ、そんな顔しても今日は貴大にゆっくりしてもらいたいんだから、どうしてもやることないなら寝転がって、」
「‥そうじゃねーし」
「え?あ、そう‥」
「ナマエさ」
「うん?」
「うなじ。スッゲー色っぽいよな」
「‥は、はあ?」
「いや、マジで。隠すのめっちゃ勿体ねえと思う。‥あ、やっぱだめ隠しといて、俺がムリ」

ちょっとムリってどう言う意味。ソファからこちらを見ている貴大の顔がぐんと赤くなっていてさらに困惑した。ってかうなじとか結構今更じゃない‥?どんだけ見てきたと思ってんだ、私の裸。‥からの、うなじとか。

「変態」
「‥俺が変態になるのはナマエだけなんだけど」
「そうじゃないと困りますけど」
「他の奴には見せないでくださいよ」
「結ぶなってこと?」
「結ぶなってこと」

ええー。夏暑いじゃん。ぶうっと頬っぺたが膨らんで、そのまま抗議をしながらぐるぐるとお鍋の中をお玉でかき混ぜていると、背中から貴大の匂いと感触がした。ぎゅう、と抱き締めてくる大きな身体。そうしてぐりぐりと首元に鼻先を埋めて、すーはー、と大きく息を吸っては吐き出している。‥やっぱ変態か。

「早くご飯にしてよ」
「これじゃ何もできない!」
「お皿出す、スプーン出す、飲み物も持ってくる」
「出来た彼氏ですなあ」
「だから今日はここにキスマークつけさせてください」
「は!?」
「だめ?」

はあ!?あざとい!!小首を傾げるのは女子だから可愛いんだぞ!とは言えなかった。小悪魔め。そうしてゆっくりと背中から身体を離して、テキパキと食器やら何やらを取り出す彼はどこか嬉しそうだった。私いいよなんて言ってないよね?‥あれ?うなじにキスマークって髪結んだら一目で分かっちゃうことない?ああ、牽制ってことなのかな。そんなことしなくても、ずっと貴大のことしか見てないのにね。

2018.02.19