母と父

「白魚レノウが里抜けしていたことは噂には聞いていたが…まさか本当だったとは…」
「…ほう」

がりりと唇を噛みながらひとり呟くように嘆いた綱手の声を聞きながら、ホウライはゆっくりとその場に腰を降ろした。綱手がまだシズネと共に各地を放浪していた頃、白魚レノウの里抜けの噂は綱手の耳にも入っていたが、実際各里に興味が薄れていたこともありあまり信じていなかったこともありで、綱手は気にしていなかったのだ。

「レノウの里抜けを知っていましたか」
「噂程度だと今言っただろ」
「まあ、これが事実だと知っている人物はもう数少ないですからね」
「…何故白魚レノウは里を抜けた」

じっとホウライを見据える綱手からすいっと目線を外すと、ホウライは小さく息を吐いた。今"ここ"にハヤがいない以上理由が言えない訳ではない。だが、それをホウライの口から言うことは酷く辛いことだった。

「…ハヤ殿が産まれる前に、レノウは1人子供を授かっていました」
「ハヤが産まれる前?」
「はい。レノウは夫である"ズキ"によく似た男の子を熱望していました。そして最初に授かったのはハヤ殿ではなくヤツギという男の子…ズキによく似た子で、もちろん物凄く喜んでいましたよ、レノウも、ズキも」
「ハヤから兄がいると言う話は聞いた事がないが…」
「ヤツギは産まれて間もなく自分自身の一族達に殺されましたから…ハヤ殿が知るはずもないでしょう」
「自分自身の一族に殺された…?」

ホウライの言葉に、綱手は組んでいた手の甲の上に顎を乗せて眉を寄せた。自分自身の一族…つまり白魚一族に自分の子供を殺された、ということか…何故血の繋がりのある一族に産まれたばかりの赤子を殺されなければならなかったんだ…と、そう綱手は声に出そうとしたが、それよりも先にホウライは続けて言った。

「光の国は"過去の出来事"から男性に価値はないという風潮がありました。その中でも白魚一族は特に男を毛嫌いしておりましてね…数人の男の子だけを残して、他に産まれたヤツギ含む男の子の赤子を殺していたんですよ。もちろんそれが嫌だとごねていたのはレノウとズキだけでしたが」
「過去の出来事…?そういえば光の国の忍は女性がほとんどだったな。私も光の国出身の男と実際に会ったことがあったのは数人くらい…確か"要石マトイ"の父親がそうだったような…しかしあれは…」
「"要石 宮 ( かなめ きゅう )"のことでしょうか?彼は要石一族の中でも随分抜きん出た力を持っていましたからね…国にはとても貴重な人材だったんですよ。まあ彼の事はいいでしょう、話を戻しますがよろしいですか」
「ああ、悪いな」
「ヤツギが殺された後、レノウもズキも悲しみ怒りました。けど、どうすることもできなかった…そしてその中でまた、子供ができたのです。それがハヤ殿でした。……が」
「?」
「女の子だったことに、レノウは酷く落ち込んだのです。元々レノウは"ズキに似た男の子"が欲しかった、そして先に産まれたヤツギがどうしても忘れられなかった…でも周りは女の子だと知った途端、ヤツギの時とは違って"よくやった"と歓声を上げたんです。まるでヤツギがいなかったかのように」
「…まさか白魚レノウの里抜けの理由は…」
「光の国の風潮自体をよく思ってなかったレノウはその1件でさらに不快感を覚え、さらにハヤ殿が産まれる間際で任務に出ていたズキを失いました。もちろんハヤ殿にも愛情を注ごうと必死だったのは私の目で見てもよく分かることでした…でも、レノウにはできなかったんです。ヤツギを殺され、この世で1番愛していたズキを失い、それを乗り越えてハヤ殿を愛することなんて」
「…」
「レノウは私達口寄せとの契約を断ち切り、白魚一族との関係を断ち切り、ハヤ殿との関係も断ち切りました。自分の子を愛せない、里すら愛せない。だったらもう、ここにいる意味はない…それがレノウの里抜けした理由です」

静かにホウライの話を聞いていた綱手は眉を寄せたまま視線を床へと落とすと、「…そうか」と小さく嘆き顔を伏せた。

2015.04.28

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