コトネとシルバーとゴールド
学ぱろ

一日の授業を終えた教室にいるのは、数人のクラスメートとあたしだけ。流石に受験生の冬ともなれば、皆授業が終わるやいなや速攻で教室を出て、自宅や予備校や図書館等、それぞれの勉強が捗る場所へと姿を消す。今教室にいる子達だって、机をくっつけてお勉強中だ。あーやだテキストって見るだけで寒気がする!
ぶるり、と肩を震わせてあたしはセーターの上にダッフルコートを羽織る。ただでさえ冬で寒いんだから、勉強道具はしまおうねー。なんて脳内で呟いてみる。いやいや、そんなこといっても目の前のバカでかい試験からは逃れられませんよ。分かってますよ。
入学当初はぴかぴかに光って真新しかったはずの通学カバンは、あたしの使い方が雑だからかなんなのか、もうすっかりよれよれになってしまった。光沢を放っていた綺麗な黒地の革は、悲しいかな端の方がべろりと剥がれてしまい、そこだけ色が変わっている。ここに入学してからもうそんなに経つのかと、時間の流れをはっきり表しているカバンをそっと撫でた。
教室をぐるりと見回せば、チョークが落としきれていない薄汚れた黒板(当番の子が悪い訳ではない。先生の筆圧が濃いのが悪いのだ)や、綺麗に整頓しきれていない机が目に入る。掲示板に無造作に貼られたプリントは、一体何人に見られたのだろう。
窓から見える木は、すっかり葉を落として裸になっている。がらんとした皆の机の中も、黒板の端に書かれた日にちも、すべてが近付く受験と卒業を表しているように見えた。そういえば、今日は最後の授業だったっけ。なんだかあんまり実感がわかないなあ。
よいしょ、と置き勉の教科書を詰め込んだ重いカバンを肩にかけて教室を出る。がらがら、ぴしゃん。冷たい音をたててドアは閉まった。それとは対照的に、一つ上の階からは下級生のきゃらきゃらとした笑い声が響き渡っている。ばたばた、と廊下を走り回る足音、先生の怒声、笑いを含んだ謝罪の声。楽しそうな空気がすぐ上にあるというのに、あたしが歩いているこの階は冬の寒さに包まれてしまったように冷たいのはどうしてだろう。上履きのきゅ、きゅ、という音がひっそりとした廊下に響いた。
階段をトントン、とリズムよく下りて、最後の二段を飛び降りる。玄関までは中庭を突っ切るのがショートカットの方法。いつも通りにそれをこなして、下駄箱からローファーを取り出す。手を離すと、重力に従って地面へと落ちた。かたん、と音をたてたローファーを履くと、薄汚れた上履きを乱暴に下駄箱に突っ込んだ。

踵がすり減ってしまったローファーで、校門へと進む。マフラーに手袋で完全防備といきたいところだけど、生憎今朝は然程寒くなかったものだから、二つとも忘れてしまった。冷たく吹き付ける風のせいで顔が痛い。この寒さに耐えながら家まで帰らなくてはいけないのかと思うと、とても憂鬱になった。

「いやだなあ」

ぽつり、呟いた言葉はこの寒さに対しての筈だった。しかし、それと同時になんともいえない切なさが溢れてきて、胸の奥にまで北風が吹いているかのような心地になる。
冬だからこそ、もう空はあかく染まり、あたしひとり分の長い影ができていた。それに無償にイライラして、このやろ、と影を蹴り飛ばしてみても、勿論手応えはなかった。

「馬鹿かお前」

あ?なんだやんのかこいつ。影のくせして生意気なんだよコノヤロー。ってあれ?よく考えたら影が喋るわけないじゃないか。だったら今の声はどこから…?なーんてことは流石にあたしでも思わない。聞きなれた声が誰のものだか分からないはずないじゃないか。

「あれシルバー。どうしたの」
「推薦の自己PR書かされてた」
「え、もう決まったんじゃなかったっけ」
「決まったようなもんだけど、一応形だけでも意欲を見たいとかどーとか」
「ふうん、案外大変なんだね」

シルバーは、外見よりもすごく真面目なところがある。指定のネクタイはちゃんとしているし、授業だってサボらない。先生に対してはちゃんと敬語を使うし、テストの点もすごく良い。れっきとした優等生だ。ただ一つ難点があるとすれば、友達が出来にくいというところだろう。シルバーはぶっきらぼうなところがある。あまり笑わないから近寄りがたいというのも分かる。
対してゴールドは、シルバーなんかよりよっぽど問題児だ。制服は完全に着崩しているし、ネクタイもしていない。授業は簡単にサボって、屋上で寝てるか食堂でなにか食べているか。勉強なんてあたし以上に出来ないんだから相当なものだ。留年騒動だって何回あったか分からない。でも、そんなゴールドには友達がたくさんいる。自ら笑いを取りにいこうとする姿勢、授業中でもかまわず爆笑するようなムードメーカー。人を惹き付ける力があるんだと、あたしはそう思っている。優等生だけど人付き合いがよくないシルバーと、問題児だけど明るく人気者のゴールド。あたしはなんとまあ奇跡的にも、この二人と幼なじみであった。残念ながら三人とも一緒のクラスになったことはないけれど、毎日のように三人でつるんでいたから、あたしたちの関係はちゃあんと続いていたし、これからもそうだと思っていた。

「ねえ知ってた?今日高校最後の授業だったんだよ」
「は?そんなの皆知ってるだろ」
「えー、あたしはすっかり忘れていつも通り過ごしちゃったよ。午後ってすごく眠いじゃん。なんか勿体無いことしちゃったな」
「別に、最後の授業だからって何が違うわけでもない」

んー、とすこし上の空で頷く。それくらいは分かっているのだが、やっぱり最後というともう少し真面目に受けておけばよかったなあと思うのだ。
それは三年間お世話になってきた先生だったり、同じ教室で時間を共有したクラスメートだったり、…ずっと一緒に成長してきた、幼なじみだったり。あたしは別れというものが、苦手だった。
シルバーは国立へ。ゴールドとあたしにはまだ受験という壁が立ちはだかっているけれど、女子大志望のあたしが一緒の大学へ行く可能性はないだろう。

「皆ばらばらになっちゃうんだね」
「…コトネ?」

訝しげに此方を見つめるシルバーの視線を感じたけれど、あたしの口と脳内は止まる術を知らなかった。

「もう今までみたいに、毎日一緒にはいられなくなっちゃうんだ」

びゅう、と冷たい風があたしとシルバーの間を吹き抜けた。風を避けようと目を瞑った途端、それを待ち構えていたかのように、目尻に溜まっていたらしい涙がぽろりと一粒溢れ落ちた。再び開けた視界は、うっすらと張った涙の膜で、少しゆらいで見える。

「そんなの、やだなあ」

ぼと、ぼとり。乾いたアスファルトが、ぽつぽつと丸く染まってゆく。
授業中に手紙を回してみたり、昼休みにわざわざ隣のクラスまで行って、三人でご飯食べたり、ゲーセンに寄り道したり、そんないつでも出来る当たり前のことが、もう簡単に出来なくなってしまう。そうして、いつの間にかそんな日々を当たり前だと感じるようになってしまうかもしれない。それがこわくて、とてもさみしかった。

「やだなあ」

繰り返すようにそう口にすれば、また涙が頬を伝った。乾いた跡に風があたってつめたい。寒いしお肌も乾燥するし、これだから冬は好きじゃないんだ。こころまで寒がりに、なってしまうから。
隣のシルバーは、どうすべきかが分からないのか何も口にしようとしない。そうだよね、シルバーは嘘が下手くそだから、適当に慰めるなんてことは出来ない。それはシルバーがやさしいからで、そんなシルバーのことがあたしは大好きで、だからこそ日常を失いたくなくて。これじゃあ堂々巡りだと自分でも理解しているはずなのに、うまく対処出来ないのはあたしが馬鹿だからなんだろうか。

「そんなに変わらないんじゃねーの」
「え、」

聞き慣れた声は、シルバーのものではない。ゆっくり振り返ると、滲んだままの視界の先には、いつも通りに制服を着崩したゴールドの姿。

「俺もコトネもシルバーも、誰かが何かを言い出してつるみ始めたわけじゃなかったじゃん。けど、今までこうして関係は続いてきた」

ゴールドは話しながら、一歩二歩、とあたしたちに近づく。あと一歩、というところで足を止めると、肩にかけていたぺちゃんこのカバンをどさりと地面に落とした。

「俺たちはお互いに一緒にいるのが好きだから、こんな長い間つるんでたんだろ。だったら、これからだってそうに決まってんじゃん」

ゴールドは、ぎゅう、とあたしとシルバーを纏めて抱き締めてくれた。夕方の校門前の並木道。高校生三人組が謎のおしくらまんじゅうの真っ最中じゃあ、怪しいことこの上ないけれど、今のあたしにとってはそんなのどうでもいいことだった。

「俺もシルバーも、コトネのこと忘れたりしねえよ。つーか、今更そんなの無理だろ!」

なっ、と声をかけられたシルバーは、一瞬戸惑いながらも、ちいさく頷いた。あたしはなんかもう何が起こってるんだか分からないくらいに、溢れてきた涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔を、二人のセーターに押し付けてやった。

「…汚い」
「頼むから鼻はかむなよ…」

失礼な二人組だなこのやろう!でも寒空の下でも、あたしたちは三人でくっついてれば寒さなんて飛んでくみたいだから、許してあげよう。
アスファルトに伸びた影は、まるまる太ってとてもあたたかそうだった。

―――
タイトル→ジューン
(101222)

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -