臨也が俺に会いに来なくなって、二日が経った。何の前触れもなく突然訪れたそれは、俺の心をぐるぐるとかき回していった。
そうしてようやく気付いたのは、俺は臨也のことを何一つ知らないってことだった。住所も知らない、電話番号も知らない、仕事だって、家族構成だって、なんにも。
臨也はいつも、俺が何か言うよりも先に俺の望みを叶えてくれた。思いを口にするのが苦手な俺にとって、その環境はとても心地がよかったのだ。だからこそ安心してしまった。このままでいられたら、それはとても気が楽であったし、幸せだったから。毎日二時に俺を迎えに来るのは臨也の役目だったけれど、考えてみれば約束なんかしたことはなかった。どうして今まで気付かなかったのか。答えは簡単。臨也が迎えに来てくれることを、当然だと思っていたからだ。
何故そんな風に思ってしまったのかは分からない。結局のところ俺はまだまだ子供で、脳みそをフル回転させてみたところで解決策なんて思い浮かぶはずもなかった。それでもこのまま来るか分からない臨也を待っているのは嫌だったし、たとえ何の手がかりもなくても、臨也のために知り得る道を走り回ることくらいは出来ると考えた。もしかしたら何かの事件に巻き込まれているのかもしれない。その時は俺が臨也を助けなきゃ。あんな細っこい身体じゃきっとあいつは戦えない。この忌々しい力も役に立つだろう。そう思ったらもうぐずぐずしている暇はなかった。俺は子供な上に馬鹿だから、これ以上考えていたって仕方ない。こんなことに時間を使うくらいなら、一つでも多くの道を駆け抜けた方が早い。思い立ったらすぐ行動、俺は履き慣れたスニーカーに爪先を突っ込んでマジックテープをとめると、派手な音をたてて暑い日差しの中へと飛び出した。

公園、コンビニ、夏祭りに行った神社、学校の校門。臨也と一緒に行った場所を手当たり次第走り回って、それでも臨也は見つからなかった。段々とオレンジ色に染まってゆく空が今日ほど憎かった日はない。立ち並ぶ住宅から夕飯のいい匂いが風にのって届く。その匂いに自分のお腹が鳴ったのが聞こえたけれど、そんなことを気にしている余裕はない。夕飯のことは臨也が見つかってから考えればいい。きっと臨也も夕飯はまだだろうから、家に招いて五人で夕飯を食べるのはどうだろう。両親も幽も、俺に友達が出来たことを喜んでくれるに違いない。臨也を人に紹介するのは独占欲が邪魔して気が進まないけれど、臨也が喜んでくれるならそれでもいい。そうだ、それがいい。そうしよう。そのためにも早く臨也を見つけなくては。
しかしもうどこを探せばよいのか分からない。思い当たる場所は一通り探した。それなのに臨也の痕跡すら出てこない。このままでは何も進展がないまま夜になってしまう。それだけは避けたいと、臨也と訪れた所を必死に思い出す中、ぱっと一つの場所が浮かんだ。臨也が俺にいちご味のかき氷を奢ってくれたカフェ。学校の裏手にあるあのカフェを忘れていた。あそこに臨也がいるという確信は全くないが、なにしろ何も手がかりがないのだから仕方がない。俺は今来た道を引き返すように駆け出した。

は、と息を整えながら足を止める。走っている間に五時の夕焼けチャイムはもう鳴り終わっていた。たどり着いたカフェの窓から中を覗き込むが、電気がついておらず、暗くてよく見えない。窓にはこの間はなかった紙がテープで貼り付けられており、八月二十日で閉店します、と書かれていた。そういえば臨也がここはもうすぐ閉店してしまうと言っていたっけ。たった一度きりしか訪れることはなかったけれど、何だか寂しいなあと思いながら入口へと歩を進める。ドアにはお洒落な字体で"close"と書かれた板が掛かっていて、どうやら今日はもう営業していないらしい。ここもハズレだったかとため息をついて、とぼとぼと歩き出す。
もう他に思い付く場所なんてない。どこを探せばいいかなんて分からない。もう臨也には会えないんじゃないか、なんてマイナスな考えに支配されそうになる。顔を歪めながら仕方なく帰途についた俺は、帰宅したところで夕食を美味しいと感じることが出来るか自信がなかった。確実に俺の胃袋は食物を欲してきゅうきゅう鳴いているはずなのに、そんなこと気にもならないくらいに臨也のことだけを考えていた。こんなことならもっと早く自分の気持ちに気付けばよかった。それで、気恥ずかしいなんて思わないで、さっさと思いを伝えればよかった。もっと臨也のことを知りたいって言えばよかった。そうしていたら、臨也はいなくならないでくれたかもしれないのに。俺とずっと一緒にいてくれたかもしれないのに。
じわりと目尻があつくなる。こんなところ、学校のやつらに見られたら笑われる。泣くなんて、弱いやつのすることだ。俺はちがう。まだ臨也がどうしていなくなったかだって分からないのに、勝手にもやもや考えたってしょうがない。しょうがないんだって、分かっているのに。くそ、臨也のやつどこいったんだよ。出てこいよ、土産なんか入らないから、側にいてくれたらそれでいいから。なあ!

「…でね、……うん」

ぴくり。どうにか泣くのを堪えた俺の耳に届いたのは、この数日間毎日聞いていた声。聞き間違えたりしない。あいつだ、あいつの声だ。どこからだ?小さくてよく分からないけれど、ちゃんと耳をすませば分かる。
(多分この先の角を曲がれば…、!いた…!)

臨也のトレードマークである黒いファー付きコートが視界に映った。間違いない。夜とはいえ、こんな真夏に冬用コートを身につけているのは臨也くらいだ。嬉しさのあまり頬が綻ぶ。駆け出す足が自然と早まるのを感じた。そこで俺はふと思い付く。ここまで心配させたのだから、少し位痛い目を見てもらおう。後ろから突然声をかけて、驚かせてやろう!叫びたいのを我慢して段々とスピードを落とし臨也へと近づいてゆく。そうしてあと数歩進めば臨也の背中に手が届くというところで、俺の足はぴたりと止まった。

「だから溜まった仕事は二日かけて終わらせたでしょ。まだ何かあるの?え?いつ終わるのかって?」

臨也の右手には黒い携帯が握られており、電話中らしい。そんなこと気にしてやる必要はないのだが、臨也の話し方からしてどうやら話し相手とは親しいようだ。当たり前だけど、臨也には臨也の生活があって、そこに存在しているのが俺一人であるわけがないのだ。そんなこと分かっていたはずなのに、あまりにも臨也が浮世離れしているから忘れていた。それなのに俺が臨也について知っていることは何もない、という現状になんだかイラついて、だからこそ少しだけ盗み聞きしてやろうと思ったのだ。きっと俺がそういう汚い気持ちを抱いたから、いけなかったんだ。

「だから何度も言ってるでしょ、シズちゃんを手懐けるまでは帰らないって」
「仕事仕事ってうるさいなあ、ああごめんごめん。じゃあ有給出しとくからさ、はいはい」
「まあもうちょっとだって。あんな化物でも案外可愛いとこあるんだね。俺のこと簡単に信用してくれちゃってさ、ほーんとちょろいちょろい」

楽しげに話す臨也の声が、内容が、よく分からない。いつもと違う声に聞こえて、そう思い込みたくて、きっとこいつは臨也じゃない誰かで、だからこんな話をしてるのも臨也じゃなくて。どんなに言い聞かせても、聞き慣れた声は一人の人物しか浮かび上がらせてくれなかった。
もう、聞きたくない。
ガシャン!という音と共に、臨也の携帯が地面に落下した。気付いたら俺の目の前にいたはずの臨也は、俺の左手によって胸ぐらを掴み上げられていた。

「…あーあ…なんでシズちゃんがここにいるんだよ。いつもならもう家に帰ってる時間でしょ?子供は暗くなったらお家に帰りましょーう…あのさ…苦しいんだけど、離してくれたりする?」

突然の衝撃に驚いたのか、目をぱちくりさせていた臨也は、俺を見て一目で察したようでおどけた様に言う。そんな臨也に余計に腹が立つ。それでもやっぱり、俺は信じきれなかった。臨也があんなことを言ったなんて、信じたくなかった。ただ、ああだこうだと問い詰めるような頭脳は俺には無いから、一つだけ俺が確かめたいことを、ぽつりと呟いた。臨也が否定してくれることだけを期待して。

「俺のこと、化物だと思ってたのか」

違う。一言だけでよかった。もしその言葉を返してくれたら、聞いてしまった会話なんて全部忘れて、また一緒にアイスを食べる関係に戻ろうと思っていた。戻りたかった。
臨也は少し間をおいてから、あの気持ち悪い笑みをたたえながら言った。

「当たり前じゃん、今更何言ってんの?」

その答えが聞こえた瞬間、俺の右手は臨也を殴り飛ばしていた。手加減なんてしていない。きっと臨也の顔にはひどい傷が出来ただろうし、口内は血だらけで歯も何本か折れた筈だ。それだけですんでいればマシな方だけど、もう臨也の怪我がどうこうなんてこと考えていたくなくて、気づけば俺は全速力で走っていた。いつの間にか溢れ出していた涙が風に流れて、頬にあとをつくる。鼻水がへばりついて気持ち悪い。左手で顔を拭うと、手の甲には涙だか鼻水だか分からない汚いものがついた。それでも俺は、泣くことも走ることも止められなかった。そのまま走り続けて、気付けば家の前だった。インターホンを押すと、ドアから母親が顔を出す。どうやら連絡もせずに帰りが遅れた俺を怒ろうとしていたようだったけれど、俺の酷い顔に驚いたのか目を丸くし、手をひいて洗面所まで連れていってくれた。俺は洗面所の冷たい水で顔を洗うと、食卓に並んだ少しだけ冷めてしまったご飯を掻き込めるだけ掻き込んだ。今日は俺の大好きなメニューだったのに、どうしてだか塩の味しかしなかった。それが無性に悔しくて、またご飯を掻き込んだ。

(101030)

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