門田と臨也
来神時代

ざざぁん。海の音がする。貝殻を耳に当てて目を閉じた時に、懐かしい記憶が奏で出すような、そんな波音。池袋の喧騒に慣れた耳は、波音が支配する空間に未だ違和感を感じたままだ。世界から切り離されたようだった。視線の先にあるのは真っ暗な空。ちりばめられた小さな星達がきらきらと光る。まるで真っ暗な深海をさかなが泳いでいるみたいだ。どちらが海なのか、途端にわからなくなる。

「ドタチン、潮のにおいがするよ」

隣に座った臨也はちいさく息を吸い込むと、そう言った。鼻先を掠める潮の香りを感じながら臨也の声に耳を傾ける。

「もう夏も終わりだね」

臨也の声は夜中の冷たい空気に溶け込んで、俺の中で反響した。俺は相槌を打つことも出来ないまま、ただ臨也の言葉を聞いていた。

「夏が終わったら何をしようか。秋は旬の物がたくさんあるからね」
「俺はさんまが食いたいな」
「ちょっとドタチン。食べ物の話じゃないんだよ。読書とかスポーツだってあるでしょう」
「ああ、成る程。けどまあスポーツっていうと静雄だし、読書はもう春に十分したしなあ」
「ドタチン、春はよく図書室にこもってたもんね」

人っ子一人いない深夜の海岸でする話なのかといえば、そうじゃない。かといって他に明確な目的があった訳じゃない。
今朝(正確には昨日の朝)突然、臨也から電話があった。「ドタチン、海にいきたいな」理由を聞いても答えないことは分かっていた。黙り込んだ携帯電話を耳に当てたまま日時を問うと、先程と同じ声色で「今日の23時に駅前で」という返答が聞こえた。ああ、こいつは俺がこう答えることを分かっていたんだなあ、と思いながら「分かった」とだけ呟いて電話を切った。数分早く待ち合わせの場所に行くと、臨也は既に駅前の花壇に腰かけていた。「おはよう」学ラン姿の臨也がそう言って笑ったのは、何時間前のことだっただろうか。

「ほら見て。海がきれいだよ」

臨也はゆっくりと立ち上がり、ズボンについた砂を払うと、そのまま海へと歩き出す。波打ち際まで辿り着くと、臨也は靴を脱ぎ捨て、ズボンを膝下ぎりぎりまで捲り上げた。裸足になった白い足を水に浸しながら、くるりとこちらを振り向いた臨也の笑顔は、つめたく暗い空気の中で白く光っていた。

「ドタチンもおいでよ!」

俺のことを呼んでおきながらも、ぱしゃぱしゃと波を跳ねさせながら臨也はより深いところへと足を進める。どこまで行くんだと見つめていた俺は、ようやく立ち上がりのろのろと海へ向かう。脱ぎ捨ててある臨也の靴の隣に自らの靴を並べて脱ぎ、ズボンを膝下まで捲る。Tシャツの袖が濡れないように肩まで捲ってから視線を戻せば、臨也の背中はもう遥か先にあった。胸まで海水に浸かっており、捲ったズボンは意味を為していなかった。それでも先へ進もうとする臨也の背中を前にして、俺は背筋に冷たいものが走るのを感じた。

「臨也!おい、臨也!!」

あんなに静かだと思っていた波音が、今は俺の声を遮る多きな壁にしか思えなかった。聞こえているはずの声に対して、臨也の背中は進むことを止めようとはしない。気づけばばしゃばしゃと音を立てながら走り出していた。進めば進むほど、身体が水に浸かって走りにくい。思ったように身体が動かない。前には進んでいるはずなのに、臨也の背中は遠ざかっているように見える。俺がおかしくなってしまったのだろうか。わからない。分からないけれど、今の俺に出来るのは、ただ走ることだけだった。

「臨也!!」

もう胸まで浸かってしまいそうな深さになって、もう一度叫んだ俺の掌に、冷たい身体が触れた。

「なあに、ドタチン」

肩まで浸かった臨也がこちらに向かって微笑んでいるのが見えた瞬間、俺の両手は臨也の冷たい身体を抱き締めていた。

「お前、なにしてるんだよ…!」
「ドタチンこそどうしたの?そんなに焦らなくたって、俺はここにいるのに」
「俺が追いかけなかったら、お前はもっと先まで進んでいただろう!それで、それで」

言いたいことと言えないことがぐちゃぐちゃに混ざって上手く言葉にならない。そんな俺を前にしても臨也は変わらぬ笑みを浮かべたままだった。その笑顔を俺の濡れたTシャツに埋めて数秒。臨也の吐息がTシャツにかかった。

「もう、夏も終わりだね」

臨也の凛とした声が、潮風にまみれて震えていた。波音にかき消されそうなくらいにちいさな声は、それでも確かに俺の耳に届いていた。

「臨也……?」

抱き締めた臨也の身体がちいさく震えた。臨也の指先は俺のTシャツの裾をぎゅう、と握りしめていて、そのまま動こうとはしなかった。

「さみしいのか」
「ちがうよ、愛しいの。移り変わってゆく季節が、それに呼応する人々が。だって俺は、人間が大好きなんだから」
「そうだな、そしてお前も人間だ。季節に呼応しなければならない、人間なんだよ。臨也」

黙り込んだ臨也を左手で支えながら、右手で臨也の目元を隠した。

「ほら、お得意の笑みを見せてくれ」
「………ドタチンは流石だね」

そう言うと、臨也はにんまりと笑ってみせた。いつもと何一つ変わらない、静雄に言わせるところのムカつく笑み。人を見下し、あざけ笑うかのような笑み。
その笑みと同時に、俺の掌はじわじわとぬるい液体に支配されていった。
暫くして「もういいよ」と呟いた臨也の目元から手を離すと、いつもと変わらぬ赤い瞳と目があった。

「ねえドタチン。来年の夏も、またここに来よう」

冷えきってしまった臨也の身体を抱き上げて、砂浜を目指す。ざぶざぶと海水を掻き分けて、足を進める。せっかく捲り上げたズボンは海水が染み込んで重くなっていた。

「ねえったら」
「分かったよ。来年は静雄と岸谷も誘って来ような」
「えー、シズちゃんはいらないよ」
「我が侭いうな」
「はあい」

ようやく辿り着いた砂浜に臨也を下ろし、置きっぱなしにしておいた携帯を開くと、突然の明るい光に目が眩む。表示された時間を見ると、すでに一時間以上経過していた。冷えた臨也に学ランとインナーを脱がせ、無事だった俺のパーカーを着せる。
そうしてようやく、俺は自分の右手と対面した。先程まで臨也の目元を覆っていた掌には、なんの痕跡も残ってはいなかった。試しに舐めてみると、塩の味がした。そんな俺を見て、臨也は笑いながら言った。

「海水はしょっぱいからね」

―――
臨也を泣かせたかった
高校最後の夏は、なんだか切ないのです
BGM:CRAWL
タイトル→ギルティ
(100820)

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