祭りの余韻が未だ残る翌朝、いつもより遅く起床した俺は、まだ未覚醒の頭のままリビングへと向かった。リビングには既に朝食を食べ終えたのか幽が皿を洗っていたが、眠気眼の俺を見るとおはようと声をかけてきた。俺が欠伸をしながらもおはようと返すと、幽は洗い物の手を休めずに、「パン焼いて適当に食べてって。牛乳もあるよ」と言った。
よれたTシャツに短パン姿で暑い夜を過ごしていた俺は、その姿のままで冷蔵庫から冷凍された食パンを取り出す。幽の後ろを通って、トースターにパンをセットし目盛りを3分にあわせたのを確認し、自分は洗面所へ向かう。朝だからか、蛇口から出た水はまだ生ぬるくはなかった。これ幸いと冷たい水を両手で掬ってばしゃりと顔にかける。お、なんだか目が覚めた気がするぞ。それを何度か繰り返し、詰まれたタオルを顔に押しつける。洗顔を終えたら次は歯磨きだ。家族四人、色の違う歯ブラシが立ててあるコップから自らのものを抜き取り、共用の歯みがき粉が入ったチューブの腹を押すが、プシュッという空気の抜ける音しかしない。そういや昨日も出が悪かったっけかなあと思いながらチューブを丸めてゆくが、一向に中身は出てこない。段々とイライラしてきたころ、リビングから幽が顔を出した。

「兄貴、パン焼けたよ」
「あー、歯みがき粉よお」
「ああ、それもう頑張っても出ないから、今日買ってくるって言ってたよ」

どうやら幽も体験済みだったらしい。ないなら捨てとけよ、と思いながら水で濡らしただけの歯ブラシを突っ込んで磨く。なんだか変なかんじだが、まあ仕方ない。コップに入れた水を含んでもごもごと口を動かして吐き出す。蛇口を捻って綺麗に洗い流すと、朝食を食べるべく俺は台所へと向かった。

既に焼けていたパンを幽はお皿に乗せてくれたらしく、テーブルにはそれが乗っていた。小さく礼を言って、冷蔵庫から牛乳瓶を取り出し席につく。皆が使ったであろう苺ジャムをスプーンで掬ってパンに塗る。噛みついたそれからはパンの香ばしい匂いとジャムの甘ったるい匂い。そんな甘ったるさが、俺は好きだった。そうして朝食だか昼食だか分からない飯を食った後、俺は宿題をする気にもなれずテレビをボーッと見ていた。壁に掛けてある時計にちらちらと目をやりながら、夏の暑さに耐えるようにして、二時が来るのを待っていた。

臨也に会うのが楽しみになっている自分がいるのは、もう確かだった。俺はいつの間にか臨也が会いに来るのをそわそわと待つようになっていて、それは初めて対峙した時には想像もつかないことだった。ファー付きコートを羽織って笑いながら手を差し出した臨也にランドセルを投げつけたのも、今となってはいい思い出だ。怪我をさせてしまったのは悪かったけれど、あいつだってどこからどう見たって不審者そのものだったんだから仕方がない。今が楽しければ、それでいい。今が幸せなのだと、そう思って。そんなことを考えているうちに、いつの間にか頬が緩んでいる自分に気がついた。そして思い返してみる。今まで、こんな気持ちになったことはあっただろうか。今までとは違う、未だ経験したことのない気持ちがそこにはあった。それが一体何なのかを熱で蕩けた脳内でもう一度反芻して、それで、

突然、俺の中を電撃が駆け抜けた。びりびりと手足の先まで痺れるような、そんな、。そうして俺はようやく気付いた。この胸を占める、感情が一体なんなのか。あんな不審者をそういった対象として見ているだなんて、正直自分が信じがたかったが、それでも事実だった。そしてそれは、決して不快ではなかったのだ。俺は臨也のことが、

「すき、なのか」

口に出してみると、妙にしっくりした。そうか、これが恋なのか。
今更気付いた事実に、頬が熱くなる。心臓が波打つ。口元がかすかににやけるのが、自分でも分かった。
そうと分かったら待ちきれなくなって、気づいたら寝間着姿のまま、飛び出していた。まだ二時前だったが、そんなことは気にせずに。時間が経つのなんてすぐなんだから、きっと臨也だってすぐにやって来る。そうしたら、何て言おうか。好きだって?いや、俺はきっとそんなふうに素直に気持ちを伝えることなんてできないだろう。それでもいい。小さなことからでいい。俺から臨也と手を繋いで見るのはどうだろう。うん、それがいい。握り潰さないように、やさしく。それがいい、そうしよう。

じわじわと日差しが照りつける真夏日、みーんみーんと蝉の合唱はまだまだ止みそうにない。
待ち合わせの二時を過ぎても、それこそ夜の八時を過ぎても、臨也は現れなかった。

(100621)

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