ランドセルを置き去りにして家まで走って帰った俺を見て、リビングでカップアイスを食べていた幽は「……兄貴、ランドセルは?」と口内でアイスを溶かしながら言った。言われてようやくそれに気付いた俺は、もう一度あの場所へ戻ろうかと思ったが、正直あんな得体の知れない男に再び会うのは嫌だった。かといって何も言わないわけにもいかず、「……なんでもねえよ」と呟けば、「そう」と言ったきり幽はそれ以上は何も聞いてこなかった。それが昨日のこと。

そして今日、俺は給食袋(所謂テーブルクロスってやつだ)だけを持って、学校へと向かっていた。大方の教科書やノートの類は学校に置きっぱなしだから然程問題はない。途中、そんな俺を不思議そうに見つめる視線をいくつも感じたが、態々俺に話しかけてくるはずもなかった。それが今は無性に有難かった。

教室に着いた俺を見つめる奇異なものを見るような視線は途絶えることはなかったが、授業が始まって四時間目の終わりを迎える頃には、皆俺がランドセルを持ってこなかったことなど忘れているように見えた。

そうして無事一日が終わり、俺も昨日会った不審な男のことなど、忘れていたころだった。今日はさっさと帰宅しようと、俺はさようならをしてすぐに立ち上がる。そのまま足早に下駄箱から取り出したスニーカーに履き替え、小走りで校門を出た瞬間、左腕を掴まれた。ぎょっとしてそちらを見上げれば、そこに立っていたのは昨日の男、折原臨也だった。臨也は昨日と全く同じ姿で、同じ笑みを浮かべながら言った。

「シズちゃん見ーっけ」

そして、昨日俺が投げつけたランドセルを差し出した。俺の腕を掴んでいる臨也の腕は、決して強い力ではなかった。振りほどこうと思えば容易く出来たし、臨也が手に持っているランドセルを引ったくって、走って逃げることだって出来た。それならどうしてそうしなかったのかというと、俺にもよく理由が分からない。一応仮にも態々落し物を届けてくれた相手だからだろうか。それとも、浮かべる笑みとは対照的に、コートから覗く白い腕の昨日の擦り傷が目についたからだろうか。今の俺にはどちらなのか、はっきりとは分からなかった。

*

「はい。ソーダで良かった?」

そうして俺は何故だか臨也と公園のベンチに座っている。臨也がコンビニで買ってきたアイスバーを受けとりながら。
見慣れたパッケージのそれは、低価格なため小学生でも手が出やすい。よく幽と二人で買って、家までの道のりを食べながら帰る。

「俺は結構コーラも好きなんだけどね」
「聞いてない」
「うーん、手厳しい」

言いながら臨也は手に持った自分用のアイスバーの袋をぴりぴりと破り、自らの口に含んだ。「今日あっついから美味しいねー」なんて言いながらアイスバーを舐める臨也は昨日と同じく汗ひとつ垂らしていない。暑いならそのコートを脱げばいいだろうなんて思いながらも、面倒だから口にはしない。俺は暫く臨也をじっと見つめていたが、臨也は目を細目ながらバーを舐めるだけでそれ以上話を進めようとはしなかった。
これ以上臨也を見ていたところで何も分からないだろうと思い、俺も手の中のアイスバーを袋から取り出す。どうやら握りしめていたせいで少し溶けてしまったらしく、冷たい液体が指へと触れた。

「うわっ」
「あはは、シズちゃん自業自得ー」
「うっせえ!」

臨也に笑われたのが不快で、指に垂れた液体を舐めるとソーダの味がした。そのまま口に含んだアイスバーは、いつも幽と一緒に食べるそれと何の変わりもない味だった。

「……シズちゃんさあ」

暫くして、口内のアイスを全て食べ終えた頃、既に食べ終えていた臨也が口を開いた。

「俺が昨日言った言葉、覚えてる?」
「…きみを助けにきた、ってやつか」
「うんそう。あれねえ、ナシ!」
「………は?」

いきなり何を言い出すかと思いきや、臨也は自分で勝手に始めたヒーローごっこを一日で終わらせた。

「その変わりさ、俺と友達になってよ」
「は?」
「だからあ、ヒーローは諦めるから、友達になってって言ってるの」
「…なんだよ、いきなり」

俺がそう言うと、臨也は突然立ち上がって言った。

「いいじゃん、ほらアイス奢ってあげたでしょ?だから俺の言うことを一つ聞かなきゃいけませーん」
「っな、なんだよそれ!聞いてないぞ!」
「言ってないもん。それで、どうなの?嫌なら別にいいんだ。その代わりにアイスの代金返してもらうけど」

ほら、と手をこちらへと差し出す臨也。とはいえ、現在手持ちは給食袋と昨日臨也に投げつけたほぼ空のランドセルの俺が、金を持っているはずもなく。

「はあ?そんな金、今持ってない…」
「じゃあ決まりだね。シズちゃんと俺は今日から友達ってことで」

にこり、と笑う臨也の笑顔は、まだまだ胡散臭かったけれど、初めて会ったときよりは幾分か人間らしく感じた。そんな臨也の笑顔を前にして、嫌だと言えるほど俺はひねくれた性格ではなかった。
ただ、友達が出来たという事実を喜んでいるのを表情に出さないように、臨也から顔を背けながら「……べつに、いいけど」と呟くだけで、今の俺には精一杯だった。

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