緑間と赤司
帝光時代

じりじりと照りつける太陽が、コンクリに反射してふくらはぎを焦がす。右手に提げたコンビニのレジ袋が歩みに合わせてがさがさと揺れた。
額を一筋の汗が流れてゆく。と同時に、緑間は左手の甲で額を拭った。
背中に汗の染みを描いた状態で、緑間はようやく和風の比較的大きな家の門へと辿り着いた。表札には赤司の文字。間違いない。
門をくぐり、玄関前で一度襟を正してから、インターホンを押す。
ピンポーン。五秒もたたないうちに、玄関の扉ががらがらと音をたてて開かれた。

「いらっしゃい、緑間」

緑間がもうすぐ到着するであろうことを見越していたらしい。約束の時間は決めてあったし、緑間はもともと時間を守る男であったから、それは容易かっただろうが。
出迎えた赤司は、白のワイシャツに身を包んでいた。袖は肘まで捲り上げられている。それならば半袖にすればよかったのではないか。むしろ半袖Tシャツでもよかったのでは。緑間はそう思ったが、わざわざ口にすることはないと脳内で結論づけた。

「おじゃまするのだよ」
「うん、どうぞ」

自宅で靴下は着用していなかったらしい赤司はぺたぺたと裸足で廊下を歩んでゆく。その背中に着いて行くと、客間と思しき和室へと通された。

「ここだよ。荷物はその辺に置いておいて」

大きな机を中央にして、向かい合うように座布団が二枚置かれている。自らに近い窓際側の座布団に腰を下ろすと、脇にレジ袋を置いた。

「クーラーつける?」
「今日の暑さは尋常ではないのだよ……頼む」
「ん、つけた。緑間が来る前につけておけばよかったな」
「いや、電気の無駄遣いは良くない。それより赤司、来る途中コンビニでアイスを買ってきたんだが、この暑さではすぐに溶けてしまうだろう。冷蔵庫に入れておいてくれないか」
「わざわざ土産までありがとう。しまってくるから、緑間はそこのノートに目を通しておいてくれ」

赤司はそう言うと、アイスの入ったレジ袋を片手に廊下へと出ていった。
さて、赤司が戻ってくる前にノートにざっと目を通すか、と机上にぽつんと置かれたキャンパスノートに手を伸ばす。先程言われたノートというのは十中八九これだろう。
中にはバスケ部のトレーニングメニューや、選手一人一人の特徴や弱点、チームワークなど、様々なことが記載されている。赤司は、彼がたてたメニューや選手に感じていることについて、緑間に意見を求めることが多かった。
ノートに書かれているメニュー等は非常によく考えられたものであり、さすがは赤司と言わざるを得ない。今までも意見を求められることはあったが、緑間はその度にひとつの改善点さえ見つけることが出来なかった。ここはこうした方がよいのではないか?そう告げると、赤司がそう考えた理由を述べる。それで大抵のことは納得できてしまうのだ。

「どうかな、それ」

いつの間に戻ってきたのか、冷たい麦茶の入ったコップを二つのせたお盆を持った赤司が問う。緑間は顔をあげると、ノートを閉じた。そして指でとん、とノートを示しながら口を開く。

「いつも通り、俺が言うことはなにもないのだよ」
「それって、良く出来ているってこと?」
「分かっていながらその聞き方……嫌味か」
「ふふ、すまない」

赤司はお盆を机に置くと、自らも向かい合うようにして座った。

「はい、どうぞ」
「……どうも」

カラン、と緑間の前に置かれたコップの中の氷が音をたてる。
火照った身体に流し込んだ麦茶は、喉から食道へ、すうっとつめたさを広げていった。冷え切った麦茶が美味しくて、ごくごくと飲み続けているうちに、コップは空になっていた。
目の前の赤司はおや、というような顔をしたかと思うと、ゆるりと頬を綻ばせ、新しい麦茶を注いでくれた。

「緑間お前、どれだけ喉が渇いてたんだ」

ふふ、と笑いのおさまらない赤司を見ていると、自分は何も悪くないのに恥ずかしいような気がしてくるから不思議なものだ。

「別にいいだろう。家で俺が汗だくになりながらやって来るのを待っていたお前には分からないのだよ」

ふん、と拗ねたように言う緑間を見ると、赤司はようやく笑うのを止め、「悪い悪い」とどう見ても悪びれもせずに言った。

「で、ここからが本題なわけだが」
「分かってる。ちゃんとそこに用意してあるよ」

赤司の細長い指先のむこうには、本日の予定のメインでもある、将棋盤が用意されていた。
残念ながら今日緑間と赤司がするのは、主将と副主将によるレギュラーメンバー育成のための会議などではない。というか、レギュラー面子のために、この真夏に汗だくになりながら、わざわざ赤司の家までやってくるなど断固拒否だ。緑間はそう思っていた。

*

「……俺の負けだ」

全戦全敗。今日も赤司の無敗記録を破ることはできなかった。
緑間がはあ、とため息をつくと、赤司はぬるくなった麦茶を飲み干して立ち上がった。

「小腹がすいてきたから少し休憩しよう。お前の持ってきてくれたアイスでも食べながら」

そう言うと、返事も聞かずにそのまま台所へと向かった。その際赤司の足が若干ぴくぴくと震えていたのを緑間は見逃さなかった。あの赤司も正座をすれば疲れるらしい。それを告げれば後々困ったことになるであろうことは容易に想像がついたので、告げはしなかったが。そのような点においても、緑間真太郎は馬鹿ではなかった。
しばらくして戻ってきた赤司の手には、緑間が土産としてもってきたスイカバーの箱が握られていた。冷蔵庫で冷やされていたお蔭か、白い冷気が漂っている。

「スイカバーとは。予想が外れた」
「ハーゲンでなくて悪かったな」

ふん、と鼻をならす緑間を前に、赤司はちいさく笑うだけで何も言わなかった。おい、本当にハーゲンだと思ってたのかこいつ。赤司は緑間の思考などまるで気にしていないとでもいうかのように、一人スイカバーの箱を開けると、驚きと喜びの入り混じったなんとも言えない表情をした。

「あっ、緑間!これメロン入りのやつじゃないか」
「そうだが、それがどうした?」
「俺メロンバー食べたことなかったんだ。これにする」

スイカバーとメロンバーは、基本的に箱に3:3で封入されている。食べたことがなかった、ということは、赤司は箱では購入したことがなかったのだろうか。…などというどうでもいいことを緑間が思考するのに三秒。

「なら俺はスイカバーにするのだよ」

絶対にどちらかがいいというこだわりもなかった緑間は、せっかくだからと赤司とは違うスイカバーを手にとった。赤司は緑間の手中のアイスキャンデーをちらりと見ると、メロンバーを一口齧った。自らもスイカバーに歯をたて、しゃく、と齧る。冷たさが口内に広がり、将棋のお蔭で火照った頭を落ち着けた。

「その種チョコ美味しいよな」

口内でゆっくりと氷菓子を溶かしながら、赤司が言う。

「そっちのはホワイトチョコだぞ」
「ん、本当だ。美味しい」

赤司の頬が少しばかりほころんだところを見ると、お気に召したのだろう。舌が肥えていそうだからどうかと思ったが、それならばよかった。緑間はそんなことを考えながら、スイカの種に見立てた固いチョコレートの粒を噛み砕いた。
半分より少し食べたところで、緑間は、先程から赤司の視線がずっと自身の口元に張り付いていることに気付いた。一体何事か。ちらりと赤司へ視線を向けると、ちょうど目があった。

「緑間」
「なんなのだよ」
「ひとくちくれ」

どうやらスイカバーを食べる緑間を前にして、そちらの味も食したくなったのだろう。赤司という人間は、ただの横暴な人格の持ち主ではないが、そういうところがあった。
緑間ならば分けてくれると分かっているかのように、赤司は返事を待たずに口を開く。あーん、とちいさく開いた赤司の口元にスイカバーを持っていくと、赤司はそれを口に含み、しゃくり、と一口食べた。

「うん、美味しい」
「それはよかったな」

続きを食そうとした緑間の前に、黄緑色の物体がずいと差し出された。冷気の漂うそれは、どう見ても赤司のメロンバーである。

「お前も食べるだろ?」

当然のように言う赤司を前に、緑間は少しばかり考えるような表情をした後、ちいさく首を横に振った。

「俺はいい」
「そう」

赤司は気を悪くした素振りは見せず、むしろアイスキャンデーをやらずにすんだことを喜んでいるようだった。
変な意地をはらずにもらっておけばよかったか、と緑間はうっすら後悔した。

アイスキャンデーを食べ終わり、コップから垂れた水滴で濡れていた机も綺麗に整えられたところで、赤司は背筋を伸ばして座り直した。緑間も同じように姿勢を正すと、赤司と目があった。

「はじめようか」

そう言ってわらう赤司は眩しかった。

*

「……俺の負けだ」

緑間は数時間前と同じ台詞を吐きながら、同じようにため息をついた。

「今回はかなりおしかったよ」
「慰めはいいのだよ。何度やってもお前には勝てんな、赤司」
「はは、それでも付き合ってくれるからお前は好きだ」

赤司は将棋の駒を片付けながらそう言った。
緑間は眼鏡を押し上げると、窓の外を眺める。空はあかく染まり、室内の時計も6時を指していた。

「もう夕方か、早いな。そろそろ夕飯の時間だろう、俺はお暇するのだよ」

すっくと立ち上がると、両足をじんじんとした痺れが襲う。再び座り込みたい衝動に駆られたが、何とか踏ん張った緑間の努力など気にもしないかのように、赤司は口を開いた。

「ああ、そのことなんだが」
「なんだ」

声が震えていないか些か不安だったが、赤司には気付かれなかったらしい。いや、気付いていてもあえて言葉にしないでくれたのかもしれないが。

「先程メールがあってね、今夜は親が帰ってこないらしいんだ。よかったら夕飯を食べていかないか?」


質素なエプロンを身に着け、包丁でじゃがいもの皮をむく赤司の背中を、緑間はぼうっと眺めていた。夕飯をご馳走になるのに何も手伝わないというのはいかがなものか、と思った緑間は、なにかすることはないかと問いかけたが、お前の大切な指を傷つけたらどうするつもりだ、という一言で一蹴された。

「いつも作ってもらっているから、あまり凝ったものは作れないんだ。合宿のようだけれど、カレーでもいいかい」

そんな赤司の言葉で、今日の夕食はカレーに決まった。全く料理をしない緑間からしてみれば、するすると綺麗にじゃがいもの皮が剥ける時点で誇るべきであると思う。
緑間は何の手伝いも出来ぬまま台所脇に突っ立っていたが、見かねた赤司から、冷えているお茶があるからそれを出しておくように、との指令を受けたことで動き出した。

居間のテーブルには向かい合うようにして、二人分のランチョンマットが敷かれており、その上に先程完成したばかりのカレーがことり、と置かれた。
二つの皿にはこんもりとカレーが盛りつけられていた。程よい大きさに切り分けられたじゃがいもと人参、とろけそうな玉ねぎ、つやつやと光る米に絡むカレー。口内にじわりと染みだした唾を、ごくりと飲み込んだ。

「「いただきます」」

手のひらをあわせ紡いだ言葉が、重なって静かな部屋に響いた。銀色の大きめのスプーンでカレーを掬い、口に運ぶ。カレーの熱さと辛さは口内を程よく刺激し、旨みを引き出す。緑間は赤司お手製のそのカレーをたいへん美味しいと感じた。きっと顔に出ていただろう。わざわざ言葉にはしなかったけれど。
向かい側では、出来立てのカレーが赤司の口内に吸い込まれてゆく。赤司には和食が似合う、というのは緑間の勝手なイメージだ。だが、その赤司が自宅で自ら作ったカレーを美味しそうに食べている。なぜだか少しだけ不思議な感覚を緑間は抱いた。

クーラーの効いた部屋で熱いごはんを食べるというのは、何とも気分がいい。
緑間は額に浮かんだ汗を指の腹でぬぐうと、満足そうに最後の一口を噛みしめ、飲み込んだ。

「ごちそうさま」
「お粗末様でした」
「美味かったのだよ。赤司は料理も出来るのだな」
「料理ってほどじゃあないさ。カレーみたいな簡単なものしか俺は作れない」

大した褒め言葉ではなかったが、赤司は嬉しそうに笑った。その笑顔が緑間の胸を高鳴らせたのは夏の暑さがみせたまぼろしであったろうか。

「それでは、そろそろお暇するのだよ」
「うん、今日は楽しかったよ。暑いなかわざわざ家まで出向いてもらって悪かったね」
「いや、こちらこそ夕飯までご馳走になったからな。ありがとう」

玄関に座り込んで靴を履いていると、赤司から靴べらが渡された。すっぽりと靴に収まった足で立ち上がると、ドアを開けた。肌に触れた空気は思っていたよりも快適で、これなら帰りは不快な思いをせずに済みそうだ、と緑間は安堵した。

「それじゃあまた明日、学校で」
「朝練には遅刻しないように」
「失礼な。俺を誰だと思っているのだよ」

またね、とひらひらと軽く手を振る赤司に背を向け、緑間は自宅の方向へと足を踏み出した。時刻は9時を過ぎており、夏とはいえ空は暗く染まり、月がぽっかりと顔をのぞかせている。
あれほどまでにじりじりと肌を焦がしていた暑さはいつの間にやらどこかへ消え失せ、涼しい風が頬を撫でる。夜だというのに蝉だけは鳴き止む気はないらしく、静かな道路に蝉の音だけが響いていた。

赤司が緑間のためだけに作ったカレー。
作り方自体は合宿で食べたカレーと大差なかったはずなのに、あんなにも美味しかったのはなぜだろう。不覚にもそれを嬉しい、などと感じてしまった自分が恥ずかしい。
すでに夏の暑さは過ぎ去り、涼しい風が通り抜ける夜道だというのに、緑間の頬はまるで太陽に照りつけられているかのようにあつかった。

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企画 まぼろしと白昼夢 さま提出
お互いの色のアイスを食す緑赤
(120820)

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