キセキ 帝光時代

夏真っ盛り。青く澄み渡った雲一つない空。太陽はぎらぎらと、容赦なく照りつける。そんな今日も変わらず、帝光バスケ部は練習に明け暮れていた。

ようやく夕方になり、練習を終えたレギュラー面子は、マネージャーの桃井を含む七人で校門に向かっていた。暑さを紛らすため、手のひらで顔のあたりを煽ぐ黒子。そんな黒子の隣で、今日の自分のプレーについて語る黄瀬。どこかソワソワと落ち着かないような、急いでいるような印象を受ける緑間。ジャージの首元をつかみ、ぱたぱたと風を送る赤司と、そんな赤司にくっついて歩く紫原。青峰は顔にしたたる汗を手のひらで拭うが、真夏の暑さの元ではそれくらいでおさまるものではない。だーっ!と文句ありげに声を荒げる青峰に、桃井が未使用のタオルを渡す。青峰は受け取ったタオルでがしがしと顔を拭くと、どうにかすっきりしたのか一息ついた。
校門につくと、キャプテンである赤司が立ち止まり、全員の顔を見回した。

「明日は祝日だから練習は久々に休みだが、だからと言ってはめを外しすぎないように。明後日はいつも通り朝から練習だ。遅刻したらペナルティ。以上」

はい、はーい、分かっているのだよ、へいへい、といった返事が聞こえたのを確認すると、赤司は自宅に向かって歩き出した。そこへ先程まで隣にいた紫原がついてきて、赤司の頭に顎をのせた。

「ねーねー赤ちん。一緒かえろー」
「分かったから離れろ紫原……暑苦しい」
「ちぇー」

紫原は大きな身体をのそのそと動かして赤司から離れると、鞄から飴玉を取り出して口に含んだ。ころころと飴玉を転がしながら「じゃあねえー」と言う紫原と隣りを歩く赤司に向かって、残された黒子、青峰、黄瀬、緑間、桃井は各々ちいさく手を振ったり声をかけたりした。それにこたえるように赤司はこちらを振り返りはせずに手を振って見せた。
二人が角を曲がり、紫原の大きな身体が見えなくなると、今まで我慢をしていたかのように黄瀬が黒子に抱き着いた。

「黒子っちー!一緒に帰ろうッス!」
「テツ、一緒に帰ろーぜ」
「すみません二人とも。今日はこれから本屋に寄る予定なので。あと黄瀬くん暑いですやめてください」

えーまじかよ、と不満そうに呟く青峰とは対照的に、黄瀬は文句ひとつ言わず、すぐに黒子から離れた。しかしそれは一緒に帰るということ自体を諦めたからではない。

「それなら俺も着いてこっかなー!」
「黄瀬くんがいるとうるさいので遠慮します」
「ヒドッ!黒子っちそれ遠慮って言わないッスよー!」

辛辣な言葉にしょんぼりとする黄瀬の頭には、ぺたりと垂れた犬耳が見えるかのようだ。黒子はそんな黄瀬の様子は気にも留めないかのように、急いでその場を立ち去ろうとする緑間の背中に声をかけた。

「そういえば緑間くんも欲しい本があるって言ってましたよね。これから行くんですか?」

もしそうなら一緒に行くか、とでも言うように緑間の方を見た黒子に、緑間は振り向くと首を振って見せた。

「俺はこれから夏祭りに行ってくるのだよ」
「夏祭りだぁ?」

一昨日から今日までの三日間、帝光中からも近場の神社で夏祭りをやっている、ということは他のメンバーも知っていた。しかし、緑間と夏祭りというのは、なかなかどうして、すぐに繋がる言葉ではないだろう。彼らの疑問を感じ取ったのか、緑間は指先で眼鏡を押し上げながら言った。

「今日のラッキーアイテムはりんご飴なのだよ。だが残念ながら朝から用意することは出来なかった。今日はそのせいでいまいち調子が出なかったからな。買いに行ってくるのだよ」

成程。確かに緑間は今日、ラッキーアイテムらしきものをもってはいなかった。黒子たちも少々気にはなっていたのだが、問い詰めるほどのことでもないので、放っておいたのだ。おは朝のラッキーアイテムが絡んでいるというのなら、緑間が夏祭りに行くというのも納得できる。それくらい、緑間のおは朝に対する信頼は相当のものなのである。
それなら、と緑間を送り出すつもりだった黒子の言葉は、黄瀬の声によってかき消された。

「夏祭りかあ、いいッスねえ…そーだ!黒子っち、俺たちも行かねッスか!?」
「ですから僕はこれから本屋に行くと……」

黒子は、何度言えば分かるのだ、と思いつつ、もう一緒に帰れば気がすむのならそれで…と切り出そうとしたところで、先程までだんまりだった桃井が突然賛成の声をあげた。

「それ、いいかも!」
「桃井さん……?」
「わたしも夏祭り行きたい!きーちゃんたまには良いこと言う!」
「桃っちたまにはは余計ッス……」

黒子はまさかの伏兵の登場にがっくりと肩を落とした。黄瀬も桃井も悪気がないのは分かっているが、ここまで自分の本屋行きを邪魔されてしまうと、ほとほと困る。赤司くんがいてくれればうまく言いくるめてくれるだろうに、と思う黒子だったが、続く桃井の言葉はそんな思いを飲み込んだ。

「ここのところずーっと練習ばっかりで皆も疲れてるだろうし、息抜きも必要だと思うの」

息抜きも必要。確かに、ここのところ練習に明け暮れる日々が続いていた。しかも季節は夏。じりじりとした暑さに、滴る汗、水分不足に熱中症、と気を付けなければいけないことは山ほどある。そんな真夏の練習のせいで、選手、特にレギュラー陣の身体には疲れが溜まっているはず。休息をとることも大切だが、たまには息抜きをして、心に休息を与えることも大切だと桃井は考えたのだ。そう言われてしまえばもう、黒子には反対する理由がなかった。

「さつきのおごりなら行ってもいいぜー」
「何言ってるの、青峰くんには何一つ奢りません!」
「はあ!?けっちぃなあ」

不満そうにしながらも、皆の後を着いてくる青峰。はっきりとは言わないが、なんだかんだ言っても祭りが楽しみなのだろう。まあ本屋はまた今度でもいいか。黒子は少し頬を緩めると、何を食べようか考え始めた。

*

先程までの乗り気ではない、とでも言いたげな態度はどこへやら。立ち並ぶ屋台をきょろきょろと見回していたかと思えば、早速最初のお目当てを見つけたようで、青峰は黒子に笑顔を見せた。

「おいテツ!あっちにイカ焼きあるってよ!食おーぜ!」

そう言って黒子の腕をぐいぐいと引っ張る青峰の辞書には、遠慮という文字は無い。

「ちょっと待ってください青峰くん、僕は君たちほど馬鹿でかくないので…うわっ」

いつもなら影の薄さをうまく利用して人ごみを避けることも容易いのだが、青峰に腕を引かれていることで自ら方向転換が出来ない黒子は、物の見事に見知らぬ誰かにぶつかった。

「すみません……」

前方不注意だった自分が悪いのだ。黒子はぶつかった相手に謝ろうと顔を上げたところで…視線をあわせるのが大変だった訳を理解した。

「あれえ?何かちっこいのにぶつかったと思ったら黒ちんじゃん。それに皆も。どうしたのー?」
「紫原くん」

帝光バスケ部センター、紫原敦。紫原の2m超えの身長は、にぎわう境内でも目立っていた。

「お前こそどうしたのだよ」
「俺?俺はお菓子が食べたかっただけだし」

紫原は緑間の問いに簡潔に答えながら、大好物のまいう棒をばりばりと咀嚼した。そう言うだけあって、両手には食べきれないんじゃないかというくらいの食べ物が握られている。わたあめ、かき氷、ソースせんべい、りんご飴にあんず飴……。まあそれも紫原にかかればぺろりと一瞬のうちになくなってしまうのだろうが。
そんな紫原の姿に一番に反応したのは緑間だった。

「おい紫原。そのりんご飴はどこで買った」
「これ?多分あっちだったと思うー」

紫原の指が示した方へ、緑間は目を凝らし屋台を確認すると、足早にそちらへと向かった。

「ムッくんは赤司くんと帰ったはずじゃあ……」

桃井の疑問はもっともだ。しかしそれには紫原が答えるよりも前に、彼の後ろから聞こえた見知った声で、なんとなく予想がついた。

「紫原、お前は目立つからいいけれど、勝手にふらふらといなくなるな」
「ごめん赤ちんー」

2mを超える紫原の巨体に隠れて見えなかったが、あの赤司までもがその場にいたらしい。紫原の背後からひょっこりと顔を覗かせた。そうして帝光バスケ部レギュラーの面々を見つけると、おや、と驚きを含んだ声を漏らし、ぱちぱちと瞬きをしてみせた。

「皆も来ていたとはね」
「それはこっちの台詞です。赤司くんまで来ていたとは驚きでした」

あんまりこういうことには興味がないかと思っていたので、と言う黒子に対し、赤司はちいさく笑って言った。

「まあ、俺は紫原につきあったにすぎないからな。けど、別に祭に興味がないという訳じゃあない。それに今日は最終日だからね、河原で花火が上がるんだ」

それを見るのが、赤司にとっての今日の祭の目的らしい。それに最初に反応したのは桃井だ。

「わあ素敵!私たちも見ようよ」
「花火かあ、お祭り!って感じでいいッスねえ」

桃井の提案に対し、黄瀬が賛成の声をあげる。二人できゃいきゃいと盛り上がる様子を見た青峰は、いかにもつまらなそうな表情だ。

「俺はいいわあ、そんなん見てる暇があるなら屋台まわりてーし。なっテツ!」
「僕は花火が見たいです」
「げ、まじかよ……」

黒子だけは自分の味方だと思っていた青峰は、黒子のばっさりと切り捨てるかのような発言にため息をついた。

「諦めるのだよ青峰。お前の味方はいないようだぞ」

いつの間に戻ってきたのか、本日のラッキーアイテム・りんご飴を手にして満足げな緑間の言葉を受けて、青峰はしぶしぶ自分も花火を見に行くことに決めた。

「赤ちん、俺も花火より屋台がいいし」
「今は俺がお前に付き合ってやっているんだから、今度はお前が付き合う番だよな?」
「それはそうだけど……」

そう言ってちら、と赤司の顔を見れば、鋭い眼光とぶつかった。紫原の背筋が自然と伸びる。これ以上駄々をこねては鉄槌が下る、と理解した紫原は、妥協案を持ち出した。

「うう、じゃあ今のうちに花火の間に食べるもの買ってくる」
「じゃあ俺はここで待っているから、早めに戻ってこい」
「りょうかいー。赤ちん何か欲しいものある?」
「そうだな……それならお好み焼きを頼む」
「分かった、行ってきまーす」

ひらひらと手を振りながら、紫原は人ごみの中に紛れていった。まあ、あの飛び抜けた身長のせいでそうそう見失うことはないのだが。

「あれ?そういやテツの奴どこいった」
「黒子ならあそこで型抜きをしているようだよ」
「型抜きぃ?地味なモンやるなああいつも」

青峰はそう言いながら赤司の視線の先を見たが、ちまちまと根気よく型抜きに挑戦する子どもたちの姿しか見えない。
ただでさえ影の薄い黒子の姿を見つけるのは苦労する。視線を漂わせ、ようやくテーブルの端っこで、真剣な眼差しで画鋲を持ち、型抜きに取り組んでいる黒子の姿を見つけた。

「お前もやって来たらどうだ、青峰」
「俺はああいうちまちましたのは向いてねーんだよ。射的とかやりてえな」
「射的ならあっちにあったッスよ。俺もやりたいから青峰っち一緒に行こーッス!」

黄瀬はきらきらとした視線をこちらに向けながらそう言った。黒子が型抜きを始めてしまったので、絡めなくなったのだろう。今の黒子の邪魔をすれば、いつも以上に冷たくあしらわれるのは目に見えている。

「やだよなんでお前と行かなきゃなんねえの」
「ひどいッス!皆俺に対して冷たすぎッスよお」

えぐえぐ、とうっすら涙を浮かべてみせる黄瀬は、流石モデルであるだけあって、その表情も整ったものだ。だからといって黄瀬がうざいのはかわらないが、こうして放っておくと後々もっとめんどくさいことになるであろうことは予想がつく。青峰ははあ、とため息をつくと、黄瀬の背中をばし!と叩いた。いってェ!という声が上がったのは気にしない。

「あーあー分かったからいじけんなようぜえな。その代わり俺が勝ったらそっから先のメシ全部奢りな」
「まじ!?そんなら青峰っちも俺が勝ったときは奢ってもらうッスからねえ」

さっきまでの涙はどこへやら。黄瀬はバスケで1on1をしている時のような笑顔を浮かべて、ほらほらと青峰の背中を押した。

(こいつうそ泣きとか覚えたんじゃねーだろな…)

青峰の疑心に気付いていないのか、それともふりをしているだけなのか。黄瀬はふんふん鼻歌を歌いながら、不満げな青峰を連れて射的の屋台へと向かった。



「もお…皆勝手なんだから!お祭りに来てもバラバラってどういうこと?」

黒子は型抜き、黄瀬と青峰は射的、紫原は屋台巡り。桃井の言う通り、皆それぞれが自分のしたいことを始め、バラバラと言える状態だった。
桃井は苛立っていた。それは、祭に来てまで一緒に行動する気のないメンバーに対して、というよりも、皆をまとめることのできない自分に対するもどかしさであった。毎日大変な練習をこなす皆の息抜きになればいい、そう思う自分の心に偽りはない。ほのかな恋心を抱いている黒子と二人きりになりたいという欲がまったくないと言えば嘘になるが、それよりも皆で過ごしたい思いの方が強かった。
最近の青峰は前とは比べものにならないくらい、バスケのセンスが開花したように感じている。他のメンバーとの関係が悪いものに変わったわけではないが、来年の夏、今と同じように過ごしていることが出来るのか不安だった。だからこそ思い出が欲しかった。くだらないことでもいい、バスケ以外でも、少しでも自分たちが繋がっていたという証拠のようなものが。桃井のこころには、ひっそりと、だが確実にそんな思いが存在していたのだ。

「まあ、あいつらは本来バスケ以外はてんでばらばらの性格だからな。こうなるのも当然だろう」

そんな桃井の思いを知ってか知らずか、赤司はそうはっきりと言った。

「それに、あいつらだって約束を破るほど馬鹿じゃあない。ちゃんと花火が始まるまでには戻ってくるさ」

赤司の言葉には何の迷いもなく、桃井の心にスッと溶け込んだ。先程までネガティブ思考に陥っていた自分が、なんだかばかなような気さえする。

「…うん、そうだよね」

少しずれたスカートを直しながら、桃井はちいさく笑みを漏らした。赤司は何も意識せずに今の言葉を紡いだのかもしれないが、桃井の心を少しばかり軽くしてみせたのは事実だ。

(こういうところ、流石キャプテン)

「俺たちだけでも先に河原に行って場所取りをしているのも手だと思うのだよ」
「そうだな。……ああ、ちょうど紫原も帰って来たようだし、先に河原に行っているか」

残された桃井、緑間、そして赤司は、ここで待っていると告げた通りの脇のご神木の下を陣取っていたが、人ごみから飛び出た紫原の頭がこちらへと向かってくるのが見えたため、そちらへ向かって踏み出した。

*

黒子、青峰、黄瀬には、赤司から先に河原に行って場所取りをしているという旨のメールを送っておいた。黒子からは返信があったが、青峰と黄瀬からはない。これは気付いていないな…と赤司と緑間はため息をついた。待ち合わせ時間を十五分過ぎた頃、ようやく二人が走ってくるのが見えた。頬をぷっくりと膨らませ、眉間に皺を寄せていた桃井は、二人の姿を見つけると息を吸い込んだ。かわいらしい怒声が響く。

「青峰くんにきーちゃん!おっそーい!二人ともどれだけ射的やってたの?」
「いっやあなかなか勝負つかなくって、延長戦に突入してたら、俺のこと知ってるって女の子たちが集まって来てギャラリーが出来ちゃって……」

両腕に射的の景品をいくつも抱えた状態で黄瀬が言う。

「黄瀬が景品落とす度にきゃーきゃーきゃーきゃー……まじうぜェ」

そう言う青峰の両腕にも、黄瀬に負けない量の景品が抱えられている。飲み物やお菓子からぬいぐるみまで、物は様々だ。

「まあ、女の子たちも悪気があった訳じゃないんスから!」
「あ?うぜーのはお前だけど」
「えっ俺!?」
「イケメンの黄瀬くんはおモテになっていいよなあ、はいはい」
「青峰っち言い方が酷いッスー!」

いつものように黄瀬いじりが始まったところで桃井が間に割って入った。

「もお!ここまで来て始めなくていいから!間に合うか心配だったんだからね?」

桃井がそう言えば、黄瀬は反省したかのように、しゅん、と項垂れて謝った。青峰も少しは悪かったと思っているらしく、桃井から視線を逸らし、ぽりぽりと項を掻いた。

「あ、そうだ!桃っちこれ、俺と青峰っちで取ったんスけど、皆で山分けしようってことになってー」
「こーんなくまのぬいぐるみなんて俺らいらねえから、さつきにやるわ」
「か……かわいい…」

差し出されたくまのぬいぐるみは、屋台の景品にしては珍しくちゃちな作りではなく、しっかりとした縫い目で、くりっとしたまるい瞳が愛らしい。

「そんで、緑間っちにはこれ」

黄瀬が差し出した缶を見た瞬間、先程まで興味がないと言いたげだった緑間の目が光った。

「こ…これは…おしるこ…!」
「夏だから冷たいバージョンぽい。美味いのかこれ?」

首をかしげる青峰を前に、緑間は珍しく興奮ながら黄瀬の背中を叩いた。

「よくやったのだよ黄瀬!青峰!」
「いてっ!ま、喜んでもらえたなら良かったッス」
「そんで、紫原にはこれな」

紫原は先程から青峰の腕の中にあるそれに目をつけていたらしく、名前を呼ばれた途端、ずずいと二人の前へ進み出た。

「ああ、それまいう棒の復刻味詰め合わせなんッスよねー。なんだっけ、シューマイ……?」
「カニシューマイ!梅おにぎり!さきいかにピザにオムライス!!」

いつもののんびりとした口調からは想像がつかないくらいの勢いで、まいう棒の味を言い当てた紫原を見て、黄瀬は苦笑いをしながら言った。

「なんでそゆとこだけ記憶力いいんスか紫っちは……」
「黄瀬ちんと峰ちんえらい。ほめてつかわす」

幸せそうな顔をした紫原は、黄瀬と青峰の頭を交互にぐりぐりと撫でる。紫原としては褒めているつもりなのだろうが、撫でられている方はなかなか痛そうである。

「なんでそんな上から目線なんだよ」
「撫でられてるっていうか押されてる気がするッス……」
「随分ごはん系の味付けですね」
「うわっ黒子っちいつの間に!」
「君たちが来るより前からいましたけど……」

黒子の影の薄さは今に始まったことではないが、集合時間までにやって来ていた自分が、時間を過ぎてからやって来た黄瀬と青峰に気付かれていなかったというのは少々癪だ。

「わりーわりー。テツにも土産あるから許せ」
「黒子っちと赤司っちにはドンピシャって感じのがなかったんで、悪いけど飴玉でもいいッスかね」
「構わないよ」
「……ありがとうございます」

黒子は未だ不満げであったが、気付かれないことには慣れているし、飴玉をもらわない理由はなかった。黒子と赤司が飴玉を受け取ったことで、持て余していた景品はすべて捌き終わったようだ。青峰は先程まで動かせなかった両手を挙げると、全身で伸びをした。

「で、テツはどうだったんだよ」
「何がですか」
「型抜きだよ。お前ずっと型抜きしてたんだろ?」
「ああ…。敵は手強かったです……だからと言って負けるわけにはいきませんからね…ほら!もぎ取ってきました」

そう言う黒子の手には、賞金800円が握られていた。

「お前800円のためにあんな粘ってたのかよ」
「別にいいでしょう。型抜きは賞金じゃなく、いかに綺麗に抜き取ることが出来るか、というロマンをかけた勝負なんですよ」
「黒子っちがアツいこと言ってる…」

黄瀬は黒子の新たな一面を見た…!というような驚いた表情をしていたが、桃井はそんな黒子に違う感情を抱いたようだ。

「さすがテツくん……!!」
「そこでときめく桃っちもよく分からねッスよ」

*

花火の打ち上げまであと十分を切った時だった。

「?」
「テツ君どうかした?」
「なんかいまポツッてきたような……」
「えっ、雨?」

心配そうな桃井の声がきっかけになったかのように、ポツ、ポツ、と降り出した雨は段々と勢いを増し、僅かな時間の間にざあざあと本降りになった。
これでは場所取りどころの話ではない。周りの人々が高架下へ移動し始めたのを見て、バスケ部の面々もそれぞれの荷物を持って、高架下へと走った。
どうやら雨はそう簡単に止みそうにない。仮に止んだとしても、これだけ湿気てしまった状況では、手持ち花火ならまだしも、打ち上げ花火は無理だろう。
しばらくすると雨は止んだが、予想通り打ち上げ花火は中止にする、というアナウンスが流れてきた。

「花火中止かあ……残念だけど帰るッスか」
「そーだな、天候には逆らえないししょうがねえかあ」

ぽつり、と黄瀬がそう漏らしたのを皮切りに、皆は服についた雨粒を払落し、帰宅する準備を始めた。周りの客たちも残念そうな表情で、それぞれのレジャーシートやごみを片付けている。
そんな皆の様子を前に、桃井はなんだか無性に悲しくなった。先程までのどきどきした感情はどこへ消えたのか。今は暗い気持ちが心臓を支配してしまったかのように、左胸がつめたい。あんなに可愛らしかったくまのぬいぐるみも、なんだか今にも泣きだしそうに見えた。

(私はもう子供じゃないんだから。いくらわがままを言ったって、どうにもならないことがあるんだって、それくらいわかってる。のに。)

家路に着こうと、歩き出す皆の背中を見るのがつらい。赤司はちらり、と桃井を振り返ったが、先程のように窘めることはしなかった。進む背中、動けない足。何をやっているんだろう。早く行かなきゃ。いくらそう思っても、桃井の足は動かなかった。

「桃井さん?」
「テツ、くん」

目の前には恋い焦がれる黒子の顔。なかなか歩き出さない桃井を心配して戻って来てくれたようだった。いつもならときめいて顔を真っ赤にするシチュエーションだというのに、桃井は頬ではなく目尻が熱くなるのを感じた。あ、だめ。そう思った瞬間、ぽろり。涙が一粒こぼれ落ちる。目前の黒子が驚いたように固まったのが分かった。
憧れの黒子の目の前で、しかもこんな子供染みた理由で泣いてしまったのが恥ずかしかった。恥ずかしい、そう思えば思うほど、顔はどんどん熱くなる。今すぐ逃げ出してしまいたかった。
そんな桃井を前にして固まっていた黒子は、動き方を思い出したかのように、桃井の耳元でささやいた。

「少し待っていてください」

黒子は桃井の頭を軽く撫でると、他の五人のもとへと駆けて行った。黒子が戻ってくるまでの時間は、まるで永遠に続くかのように長く感じた。
暫くして桃井のもとへと戻ってきた黒子は、なかなか見せてくれることのない笑顔を浮かべて言った。

「桃井さん。花火、しましょうか」
「え……?でも、花火は」
「はい、中止です。だから規模はかなり小さなものになってしまいますが、それでも良ければ」

黒子は、涙が乾いてぱりぱりになった頬をごし、と拭いながら不思議そうな顔をする桃井の手をひき、赤司たちのもとへと導いた。

「もうすぐ黄瀬と青峰が戻ってくる。それまでここで待とう」
「きーちゃんと青峰くん…?どこに行ったの?」

赤司はそれには答えず、公園脇の道をじっと見つめた。桃井もそれに倣い、同じようにしていると、しばらくしてから息を切らせた黄瀬と青峰が戻ってきた。右手にはビニール袋を持ちながら。

「黒子っち、桃っちー!花火買ってきたッスよー!」
「そこのコンビニになくって四件も梯子したんだから感謝しろよ!」

黄瀬と青峰が差し出したのは手持ち花火の詰め合わせだった。子供や家族向けとして、夏になると発売されるそれ。昔は青峰と一緒に家の前でやったこともあったが、最近めっきり触れることのなくなったそれを、桃井はすっかり忘れていた。

「黄瀬ちん、峰ちん、お菓子の追加はー?」
「んなもん自分で買ってこいよ!」
「えー?ケチ」
「あ?さっきやったまいう棒詰め合わせ返すか?」
「もう食べちゃったもんねー」

青峰と紫原のやり取りを笑いながら見ている黄瀬、あきれた、というようにため息をついている緑間、こうなることは分かっていた、とでも言いたげな赤司。皆の態度が、行動が、今の桃井にとっては本当にありがたかった。
そして桃井のわがままな願いを叶えてくれた黒子。
淡い恋心は、どうしようもなく本物で、もう止められないのだということを、桃井はようやく理解した。バスケ部のなかでは一際小さな黒子の背中が、桃井には一番大きく見える理由も。

*

「桃井さん、火貰えますか」
「あっ、うん」

色とりどりの火花が噴き出す先端を、黒子の花火にくっつけると、点火したそれは桃井のものとは反対の、寒色の色合いの火花を噴き出した。

「テツ!火ーくれ!」

隣りに黒子がいるという事実を喜んだのもつかの間、黒子は青峰に呼び出され、花火をもったまま彼の隣りに移動してしまった。先程と同じように、今度は黒子が青峰の花火に自分の花火から散るひかりを押し当てる。

「サンキュー」
「黒子っち、俺にも頼むッス!」
「ええ、青峰くんにもらってくださいよ」
「そんくらいいいじゃないッスかあー」

駄々をこねる黄瀬を前に、仕方がないと黒子は再び自分の花火を差し出した。はやく自分も花火を堪能したいという思いがあるためにやや粗雑なやり方になってしまったが、自分の花火から噴き出した暖色系のひかりの帯を見て笑う黄瀬を目にすると、黒子は少しばかりの悪気を感じ、苦笑いを零した。

「紫原、火をくれ」
「はーい」
「ありがとう」

寒色系の火花を散らす紫原の花火と、暖色系の強いひかりがはじける赤司の花火。そこに線香花火を持った緑間が近づいて、赤司から火を貰う。
色とりどりの光が連鎖するかのように、繋がっていく。桃井の瞳には、それがうつくしく映って仕方なかった。黒子の隣を取られたことに対する不満など、忘れてしまうくらいに。

「最も長く安定させて燃えさせるためには、45度の角度に傾けることが重要なのだよ」

そう言いながら、じっと手中の線香花火を見つめる緑間の表情は、真剣そのものだ。邪魔をしてはいけないな、と苦笑する桃井の手元に影がかかる。なんだろうと顔を上げた桃井の目に飛び込んできたのは、先程の位置に戻り、はじける火花を見つめる黒子の姿。驚いた桃井は、指先に集中していた意識を逸らしてしまい…。

「あ」

点火したばかりだった線香花火は無残にもぽとりと地面に落ちてしまった。がっくりと肩を落とす桃井の姿に、ふ、とちいさく黒子が笑う。
ねずみ花火を仕掛けた青峰と、逃げ回る黄瀬。眼鏡のせいで表情が見えないが、ラッキーアイテムのりんご飴を傍らに置いてまで、線香花火をより長くもたせることに全神経を注ぐ緑間。色とりどりの火花がはじける様を見て、美味しそうと漏らす紫原。それに苦笑しながらも、あどけない表情で火花を見つめる赤司。そして、桃井の隣でちらちらと揺れるひかりを見つめる黒子。
ぱちぱち、とはじける火花が暗闇できらきらと光る。夜空に大輪の花が咲くところは見られなかったが、こうして手持ちの花火でちいさく咲く花を見るのも、皆とならこんなにも楽しいのだと思い、桃井からは自然と笑みが零れた。

バスケにおいても、それとはまったく関係のないこんな夜でも、こんな風に過ごせる関係がずっと続いてくれたらいいと、それはこの場にいる誰もがほんの少しでも抱いている思いであればいいと、桃井はそう思った。

―――
BGM:星屑サンセット
まいう棒の味は本家うま〇棒の復刻味を参考にしてます
(120718)

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