ミーンミーン…。タンクトップに短パンという恰好でリビングの床に寝転がりながら、網戸の外で鳴く蝉の声をぼうっと聞いている。クーラーをつけるのも面倒でそのままにしておいた室内は暑く、タンクトップであるにも関わらず、俺の身体中汗でべたべただった。音をたてて回るぼろい扇風機の風のおかげで何とか溶けずにいる。立ち上がってリモコンを取りに行き、クーラーをつけるだけで状況は随分と改善するというのに、そんな気は全くといっていいほど起きなかった。

「あっちぃ…」

ここ一週間、俺は毎日をこんな風にしてだらだらと何もせずに過ごしていた。理由?そんなものはもう考える必要すらない。というか、元凶であるあのわざとらしい笑みを浮かべ、ファー付のコートを羽織った悪魔のことを思い出すことすら嫌だったからだ。ああほら、まただ。嫌なのに、どうして思い出してしまうのか。思い出せば、また目頭が熱くなるだけだというのに。

その感情を振り払うかのように、俺は勢い良く立ち上がるとそのまま風呂へと向かった。シャワーでも浴びて、汗でべたべたの身体とおさらばしようという魂胆だ。さっぱりすれば、気分も変わるかもしれない。張り付いているせいで脱ぎにくいタンクトップを何とか引き剥がし、次いで短パンとパンツもカゴの中にぽいと放り込み、タオルを持って風呂場のドアを開けた。蛇口を左側へと捻ると、頭上のシャワーから勢い良く冷水が噴き出した。俺はその冷たさに奇声をあげて飛び上がって蛇口を閉めた。一体俺をどれほど悲惨な目に合わせれば気が済むのか。後で自分が運転ボタンを押し忘れていたからだと気が付いたが、俺の脳内ではもうなにもかもがあの悪魔の仕業に思えてならなかった。俺はそのまま冷水をもう一度頭から被り、なんだかすこし頭がすっきりしたような気分になって浴室を出た。

リビングに戻り、冷蔵庫を開けてポカリをペットボトルのままごくごくと飲み干す。冷たい液体が喉を伝って全身にまわり、心なしかひんやりした気がした。少しあまってしまったのでキャップを閉めて冷蔵庫に戻し、ついでにプリンかゼリーといったものはないだろうかと頭を突っ込んでみたが、見つからなかった。その代わりに、正直見つけたくなかったものが視界の端に入った。透き通ったラムネの瓶。一体誰が買ってきたのやら、いつもは常備されているはずのないそれが、家の冷蔵庫の片隅にぽつん、と陣取っていた。ラムネは好きだ。特に夏に飲むラムネは大好きだ。しかし、今の俺にとって、ラムネは嫌なことを思い出させる品でしかない。あいつとの思い出なんて、ぜんぶ消してしまいたい。ラムネを見る度に思い出すなんてことがあっては困る。

そう、いくら言い聞かせても俺の脳はあいつを忘れることが出来なかった。勉強は得意じゃない。人の名前を覚えるのは得意じゃない。記憶力は悪い。それなのに、どうしてだろう。嫌なことほど忘れられない。そんな心理のせいかもしれなかった。でも、俺があいつと過ごした日々を思い出してまずはじめに心に浮かぶのは、とても悔しいことに、嫌悪でも悲しみでもなく、楽しさだったのだ。あいつ、臨也と一緒に過ごした数週間は、あいつにどんな意図があろうと、あいつが俺のことを怪物だと思っていようと、俺にとってあの時間はとても楽しいものだった、それだけは紛れもない事実だった。それがどうしようもなく、悔しかった。

「ばっかみてぇ」

本当に馬鹿みたいだ。俺の力が普通の人間のそれじゃないなんてことは、自分でも痛いくらいに理解していた。たとえ怪物と呼ばれても無理はないのだと、分かっているのだ。だから、友達なんてもう出来ないものだと思っていた。俺の力に興味を示してくれる新羅が稀有な存在であるだけで、これ以上を望んでも叶わないのだから割り切ってしまった方が楽になれる。そう思っていたのに、そんな俺の考えをある日突然現れた気味の悪い男は、一瞬で吹き飛ばした。自分でも驚くようなはやさで、俺と臨也の距離は近づいていった。臨也と一緒にいるとき、俺はどうしようもない幸せに包まれていて、それは紛れもない事実で、

うるさいくらいに聞こえていたみんみんという蝉の声は、いつの間にか殆ど聞こえなくなっており、かわりに蜩の声が耳に響いた。あれほどの暑さはどこかへ行ってしまったかのようにすら感じた。俺は数度瞬きをすると、がらりと網戸を開け、あかく染まった空を見上げた。視界の端に映る時計の針は、もうすぐ5に差し掛かろうとしていた。幽は友達の家に泊まりに行っていていない。親は今日は用事があるから帰ってくるのは9時を過ぎる。脳内でそれだけを確認すると、俺は意を決して玄関へと駆け出した。家の鍵だけをポケットに入れ、履き慣れたスニーカーのマジックテープをはがす。べり、という音が、臨也を探すために走り回ったあの日と被ったが、俺はそんなことはもう気にも留めずに、爪先を突っ込むと急いで駆けだした。あの日とは違う、すこし涼しい風が俺のTシャツの裾を翻した。

(110629)

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